第8話 メインヒロインはお泊まりする

「——へ? と、泊まってくれって……その……私が、日向くんのお部屋に?」

「あ、ああ。そう言った」

「で、ですが……それは……」

「抵抗もあるし、身の危険的な不安もあるのは分かるけど、もうこれ以外に方法はない、と思う」


 侑が俯きがちになるのを確認し、晃晴もそっと目を逸らした。

 

 晃晴と侑の間に気まずい沈黙が下りる。


 いくら雨音が沈黙を埋めてくれてるとはいえ、この精神的気まずさはかき消してくれないらしい。


「そ、それも少しはあるのですが……」

「少しなのか」

「日向くんがそういう人ではないというのは、昨日のことでなんとなく分かってますから」

「そ、そうか」


 目を見つめられながら真っ直ぐに言われ、妙にくすぐったくなって晃晴はついぶっきらぼうに返してしまう。

 

「私が主に心配しているのは、日向くんのご迷惑になってしまうということです」

「俺から言い出したことだ。迷惑だなんて思ったりするわけないだろ」


 正直に言えば、他の案があるのなら早く思いついてほしい。

 

 迷惑とかそういうことではなくて、自分の部屋に付き合ってもいない異性を泊めるという選択がまともな案ではないという自覚があってのこと。


 こういう状況でなければ、絶対に言い出さなかっただろう。


「……そう、なのですか」


 明らかに悩んでいる様子。

 

 恐らく侑も、もうこうする他に選択肢はないと分かっている。

 

 納得させるには、侑が迷惑にならないことを示す必要があった。

 

 自然と晃晴の視線がある一点に吸い込まれるように向かう。

 

「それに、浅宮が俺の部屋に泊まるのは俺を助けることにもなる」

「私が、日向くんを?」

「ああ。——代わりに、食料を提供してほしい。食べるものがなくて困ってたところだったんだ」


 やや大きめなエコバッグにはかなり食料が詰まっているように見える。

 

(多分だけど、ゴールデンウィークに備えての買い溜めだ。それなら、俺と浅宮の今日の分の食事ぐらいは賄えるはず)


 自分は寝床を提供するから、そっちには食を。

 

 一方的に助けたり、助けられたりではなく、双方にメリットがある。

 

 咄嗟のギブアンドテイクとしては上出来な提案だろう。


「……すみません。やはり、遠慮させてください」


 しかし、侑は首を縦に振らなかった。


「こうして時間を割いてもらって、気にかけてもらえただけで十分ですよ。これ以上のご迷惑はその提案と釣り合いません。……ですので」


 どうして、と問う前に、柔らかな響きの声音に遮られてしまう。


 その声からは、決してこっちの厚意そのものが嫌だったわけではないということが伝わってきた。


「だから、俺は迷惑じゃないって……」

「私自身が、そう思えないんです」


 食い下がってみるも、侑は頑なだった。

 

(ああもう……! 強情なやつだな!)


 晃晴はそんな侑の態度に、わずかながらにむっとしてしまう。


「……どうしてもダメか」

「はい。食料なら、必要な分だけ差し上げます」


 確かに昨日助けたのは、自分の為だと言った。

 

 それなら、今こうして行っていることも結局は自分のためなのかもしれない。


 だとしても。


 たとえ、偽善と言われても、自己満足で押しつけがましい行為になっているとしても、ここで侑を放っておくなんて選択を、出来るわけがない。


 その思いが、晃晴の身体を突き動かし、いつもなら絶対にやらない行動を取らせた。


「はぁ……——悪く思うなよ」

「え? ……きゃっ!?」


 その場にタッパーと傘を置いた晃晴は、足早に侑の元へと歩み寄り、侑の身体を抱き上げた。


 所謂、お姫様抱っこと呼ばれる体勢。

 腕の中に、濡れた服の不快感が伝わってくる。


(や、やばい。これ、俺にも結構ダメージが……!)


 しかし、それ以上に、侑の体温だったり、柔らかさだったり、ふわりと広がる優しい匂いが晃晴の理性をくすぐっていた。


 更には雨で濡れた服が張り付いて、侑の身体の起伏が強調されてしまっている。


 侑に頷かせるためとはいえ、とんでもないことをしてしまったと、今更ながら後悔の念に押される。

 

「お、降ろしてくださいっ……!」


 自分がなにをされているのか、ようやく理解が追いついたのだろう。


 侑が晃晴の腕の中でぱたぱたと抵抗してみせる。


「……お前が自分で部屋に来ないって言うなら、俺がこのまま連れていくからな」


 内心の動揺を悟られないように、努めて冷静に言いながら、嘘ではないことを示すために、自分の部屋の方向に歩き出す。


「わ、分かりましたからっ。早く降ろしてくださいっ」

「言ったな? 約束だからな」


 きゅーっと目をつむって、顔を赤くした侑が何度もこくこくと頷くのを見てから、晃晴は地面へと降ろした。

 

「もうっ、いきなりなんなのですかっ」

「悪いとは思ってる。けど、俺も恥ずかしかったんだからおあいこだろ」

「どこがおあいこですかっ」


 侑のご機嫌は斜めになってしまったが、目的は達成することが出来た。


「文句の続きは部屋で聞く。ほら、行くぞ」


 文句を言い足りない様子の侑を宥めながら、エコバッグとタッパーと傘を回収し、部屋の扉を開けた。


 まだ躊躇っている様子の侑だったが、自分の荷物まで持たれては動かざるを得ない。


 ようやく晃晴のあとに続いて、部屋の中に入った。


「……お世話になります」

「ああ。……風呂沸いてるから、とりあえず入ってきたらどうだ」


 まさか、風呂を沸かしていたのがこんな形で役に立つことになるとは、露にも思っていなかった。

 

「では、お先に頂かせていただきます。……本当にすみません」

「もういいって。そもそも俺は気にしてないって言ってるし、浅宮はなにも悪いことしてないだろ」


 申し訳なさそうにしゅんとした顔の侑を脱衣所へと押し込み、バスタオルを押し付ける。

 

「服の着替えは俺のを使えばいいとして、問題は……」

「……下着、ですよね」

 

 晃晴が口に出さずとも、察されてしまった。

 さすがに同じものを使い回すのは抵抗があるだろう。

 

「まあ、それはコンビニに買いに行くか」

「それなら私が買いに……」

「いや、あれだけ濡れて数時間も外にいたんだから、ゆっくり温まっててくれ」

「そういうわけには……」

「いいから」


 またも押し問答が始まりそうだったので、短く会話を切り、晃晴は脱衣所から出た。


(どうしてそこまで人に迷惑をかけるのを嫌がる……というより、あれは)


 恐れている、と言った方が正しいかもしれない。


 理由を探そうとしたところで、中からかすかにシャワーの音が聞こえてきた。


「……浅宮のことをなにも知らない俺が、いくら考えても意味ないよな」


 どれだけ考えたところで、結局それは憶測にしかならない。

 

 軽く頭を振って思考を中断し、部屋着にちょうどいいゆったりとしたパーカーとスウェットを取り出してきて、再び脱衣所に入った。


 すりガラスに映るシルエットを視界から外しながら、声をかける。


「浅宮、着替え。ここに置いとくからな」


 返事を待つ必要はない。

 むしろここにいると、お互いに落ち着かないだけ。


 そう判断し、脱衣所から出ようとした瞬間——

 

「……っ!」


 ——あたりが闇に包まれた。


 声は上げなかったが、突然のことに息を呑んで、肩を軽く跳ねさせてしまう。


(停電か……ブレーカーが落ちたのか……?)


 ここら一帯が停電している可能性の方が高いが、この部屋だけならブレーカーを上げなければならない。


 晃晴が手探りで脱衣所から出ようとしていると、背後でガチャンと大きな音が鳴った。

 

 振り返る間もなく、自分の背中になにかが勢いよくぶつかってくるような感触。


 そのまま、そのなにかにギュッと抱きつかれてしまい、晃晴は硬直せざるを得なかった。


 どう考えたって、その抱きついてきたなにかはたった今、シャワーを浴びていた侑しかいない。


 そして、シャワーを浴びていたということは、当然、侑は服などまとっていない状態なわけで。


「お、おいっ!? 浅宮!?」


 慌てて声を上げると、より強くギュッと抱きつかれてしまう。

 

(これ裸の浅宮に抱きつかれてるよな!? うっ……ぐっ……!)


 背中から伝わってくる直接的な柔らかさが、理性を直接刺激してくる。


 意識を他に逸らそうとしても、あたりが暗闇なせいで、触れられている箇所の感覚が余計に敏感になってしまっていた。


 だから、抱きついている侑の震えもしっかりと伝わってきていて。


 それが却って晃晴の理性を保ってくれる要因となっていた。


「……大丈夫だ。落ち着け」


 小さな子供をあやすように言い、そっと侑の手に触れる。


 触れた瞬間はビクリと跳ねた、その小さな手は、やがて遠慮がちに晃晴の手をきゅっと握った。


 どれだけそうしていたかは分からないが、そう長くはない時間が経過し、


「うっ……まっぶし……!」


 ようやく電気が点いた。

 暗闇から急に明るくなったせいで、目が眩んだが、すぐにそれも治った。


「浅宮。もう電気、点いたから……いつまでもそうされてると……さすがにヤバい」


 目でもつむっているのか、電気が点いたというのに一向に離れる気配がない。


「えっ、あっ……!」


 声をかけると、背中から柔らかな感触と押し付けられていた額の感触が消えた。


「す、すみませんでしたっ!」


 背後からバタバタガチャンと慌ただしい音が聞こえて、やっと硬直が解ける。


「……はぁ。マジでヤバかった……!」


 脱衣所から抜け出した晃晴は、背中を扉に預け、大きく息を吐き出した。


 あともう少し電気が点くのが遅かったらどうなっていたか分からない。


 目を閉じれば、柔らかな感触のことをまだ鮮明に思い出せてしまう。


(なにかするつもりはもちろんなかったけど……自信なくなってきた……)


 抱きつかれたことで濡れてしまった服を、感触ごと脱ぎ捨てるようにして着替える。


 そして、雨の中を駆け出すようにして買い物に向かうのだった。

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