第7話 メインヒロインはずぶ濡れる

 ——ドォン!!


「っ……!?」


 ソファに座って微睡んでいた晃晴は、突然聞こえた大きな音に思わず跳ね起きた。

 

 寝起きで上手く回らない頭のまま、反射的に窓の方に歩み寄る。


「……マジか」


 横殴りの大雨が、窓に叩き付けられていた。

 状況的に、さっきの大きな音は雷が落ちた音で間違いないだろう。

 

 ローテーブルに置いていたスマホを手に取り、ネットで検索をかける。


「おいおい、台風って明日じゃなかったか」


 画面に表示された情報に独りごちる。

 

 そこには、台風の接近が予報よりも早まったことが書かれていた。

 

(台風が早まったことは別にいいんだけど)


 降ってしまったものは仕方ないとして、晃晴には1つ懸念があった。


「……飯がない」


 運の悪いことに、インスタント食品もレトルト食品も切らしてしまっていた。

 

 いつもストックしてある冷凍ご飯すら切らしている。

 

 先日の侑の訪問で、2人分消費したので思ったよりも早く無くなってしまった。

 

 元々、晃晴はこまめに買い溜めや作り置きをせず、材料は使う分だけしか買わないタイプ。

 

 今回は完全にそれが仇になった形と言えよう。


「幸い、米はまだあるし、今日はこれだけで凌ぐしかないか」


 窓から見える雨は強風で横殴り。

 

 これでは傘も意味を成さない。

 

 食べ盛りの男子高校生としては、米だけじゃどうにも物足りないものがあるが、この際仕方がないだろう。

 

 塩でもかけて握ってないおにぎりだとでも思えばいい。


「……とりあえず米炊くか」


 炊飯器を開き、中の釜を取り出して、米を洗って炊飯器にセットして、ボタンを押す。


「あれ?」


 しかし、炊飯は始まらなかった。


 ——カコ。

 ——カコカコカコ。

 ——カコカコカコカコ。


 何度押しても反応がない。

 

 晃晴の背中に嫌な予感と共に、冷や汗が流れ落ちた。


「……マジかよ。壊れてる」


 見ると、炊飯器に表示されているはずの表記が全て消えていて。

 

 コンセントが刺さっていることも確認。

 

 晃晴はすぐに故障の原因へと思い至った。


(さっきの落雷のせいか……!)


 となると、やられているのは炊飯器だけではないかもしれない。

 

 急いで他のものを確認しに動く。


「——いやいやいや。なんでピンポイントで炊飯器だけが壊れてるんだよ」


 結果、壊れているのは炊飯器のみだということが分かった。

 

 他のものが壊れてなくてよかったと言うべきなのかよく分からないが、晃晴にしてみれば食料が絶たれたようなもの。

 

 壊れていようと壊れていまいと、不運なのには変わりがない。


(今日は食べないって選択肢もあるか。……いや、ない)


 食事を諦めることを考えた瞬間、タイミングの悪いことに腹の虫が鳴いてしまった。

 

 意図せず反語になってしまい、意味はないと分かっていても、壊れた炊飯器と雨が叩き付けられている窓を睨む。


「……はあ。仕方ない。雨が弱くなるタイミングまで待つか」


 弱くならなかったとしても横殴りの雨じゃなくなりさえすれば、傘を差してコンビニに行くことが可能になる。

 

 いくら台風といえど、ずっとこのまま強風で土砂降りなはずがない。

 

 日にちが1日早くなるほど台風の進行が早いのならば、過ぎ去るのも早いかもしれない。


 晃晴はその可能性に賭けて、帰ってきたらすぐに入浴出来るように風呂を沸かしに浴室へと足を踏み入れた。





(お、今なら)


 待ってみること数時間、ゲームが映ったテレビから目を離して窓を見る。

 

 雨足はまだ強いものの、さっきみたいに窓に叩き付けられてはいない。

 

 また酷くなっても困るので、すぐに立ち上がってスマホと財布をポケットにねじ込んだ。


「あ。……ついでに、タッパー返しておくか」


 忘れないようにとキッチンの目立つところに置いておいたのが功を奏し、リビングを出る直前にタッパーの存在に気が付くことが出来た。

 

 綺麗に洗われたそれを手にして、改めてリビングを飛び出て、傘を掴んで玄関を開け、


「え?」


 部屋から2,3歩ほど出たところで思わず動きを止めてしまう。

 

 隣室の扉の前に、誰かが三角座りをしていた。

 

 その誰かは膝に顔を埋めるようにしていて、顔は見えない。

 

 でも、誰なのかは分かる。


「浅宮……?」


 その特徴的な白い髪は見間違いようもなく、侑のもの。

 

 呼びかけると、侑の頭がピクリと動き、緩慢な動作で持ち上げられていく。

 

「……日向くん」


 耳を澄ませていないと、雨音にかき消されてしまいそうなほど、あまりにも弱々しい声音。

 

 よく見なくても、座っている侑の全身はずぶ濡れだった。

 

 傍に置いてあるやや大きめなエコバッグを見るに、近所のスーパーに買い物へ行ってきたらしい。


「部屋にも入らずになにやってるんだよ。風邪引くぞ」

「……入りたくても入れないのです」

「入れない?」


 聞き返すと、侑は静かに指を指し示す。

 

 指先を辿るようにして、視線を動かした先には水が流れる格子状の側溝があった。


「鍵、落としてしまいまして」

「……マジか。なんでそんなとこに」


 側溝は侑のいる位置からは近かったが、落としたにしても不自然な場所だった。


「鍵を取り出そうとしたら、落雷があって……ビックリして手を滑らせてしまって……そのまま……」

「大家さんのとこへは?」

「行きました。ですが、ちょうど外出していると張り紙が。帰って来られるのは明日の夕方以降だそうです」


 あまりのタイミングの悪さに、晃晴は顔を少し引き攣らせてしまう。


「……そりゃ、まあ、なんというか……運が悪かったな」

「ええ、そうですね。部屋を出る時にはもう天気が怪しかったので、念の為にと持っていった傘も盗まれましたし」

「……災難だったな」

「ついでに言えばレインコートを買って帰ろうとしたら売り切れで、仕方なく買った2代目の傘は強風で骨組みが壊れて、そのまま風に攫われてしまいました」


 やけくそ気味に言われた不幸な出来事のオンパレードに今度こそ閉口してしまう。


「実家に帰るわけにはいかないのか」

「この天気じゃ交通機関は麻痺してしまっているでしょう。頑張れば歩いて帰れないことはないですが」

「この雨の中、徒歩は得策じゃないな」

「はい。それに少々帰りづらい事情があるので」


 侑の顔が少し曇ったように見えたが、瞬きの間に無表情になっていたので、実際にどうだったのかは分からない。


 帰りづらい事情というのも、触れてほしくて言ったわけではないだろう。


「……なら、友達に連絡して、今日は泊めてもらうしかないんじゃないか?」


 学校で見かけた感じでは、侑はいつも人に囲まれている。

 

 いくら侑が晃晴の考えた通り、他人と壁を作っていたとしても、頼れる友人ぐらいはいてもおかしくない。


 そう考えての発言だったのだが、侑は力なく首を横に振ってみせた。


「スマホは雨で壊れてしまいました。……それに、仮にスマホが壊れていなくても、連絡なんて出来ませんよ。ご迷惑になります」

「迷惑になるって言うのは分かるけど、この状況なら仕方なくないか」


 全身ずぶ濡れの上、部屋には入れない。

 明日から5月とはいえ、台風の影響で風も強く、今日は肌寒い。


 更に言えば、侑の言った落雷が晃晴をまどろみから叩き起こしたものであれば、侑は数時間ほど濡れたまま、扉の前にいたことになる。


 このままだと、まず間違いなく風邪を引いてしまうだろう。


「……日向くん。人に頼ったり、ワガママを言ったりするのってどうすればいいんですかね」


 わずかな沈黙のあと、雨音の隙間を縫うようにして、自嘲気味な呟きが耳朶を打った。


「どうって……」

「私には分からないのです。人への頼り方が」


 こんな天気のせいなのか侑から紡がれるのもまるで雨のようなぽつりぽつりとした言葉。

 

 侑が求めている答えを探すために、蒼色の瞳が向いている方に顔を向けても、目に映るのは土砂降りばかりで答えなんて見つかりそうにもなかった。


「はぁ……とりあえず、今はこの状況をどうするかを考えようぜ」

「どうもなにも、どうしようもないですよ。私のことはお気になさらず」

「いや気にするなとか無理に決まってるだろ」


 ここで見捨てるのはヒーローどころか人として失格だ。

 

 晃晴はどうにかして侑を助けられる方法はないかと考えを巡らせる。


 しかし、部屋には入れず、友達とも連絡が取れず、実家にも帰れない。

 

 どう見繕おうと、この状況は詰みと言っても過言ではないだろう。


「……あ」


 詰み、そう思っていたのだが、ふと、とある1つの提案が晃晴の中に浮かんできて、思わず声を漏らした。


(いや、でも……それは……いいのか……? でもこのまま放っておくわけにはいかないし……仕方ない、よな)


 急に声を出したきり、黙り込んでしまった晃晴に侑は怪訝な顔を向けてくる。


「どうかしたのですか」

「ああ、いや……うん。その、なんだ……この状況を打破するための案を思いついたんだ、けど……」


 ちらり、と侑を見ると小首を傾げられた。

 

(ああくそっ。やっぱこれしか思いつかん……!)


 晃晴は片手で頭を乱暴にかき、侑から目を逸らしながら、ぼそりと、


「——今日、俺の部屋に泊まってくれ」


 昨日投げつけられた爆弾を上回る爆弾を投げ返すのだった。

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