第2話 メインヒロインは訪れる

「……疲れた」


 部屋に帰ってくるなり、ぼふっと音を立ててベッドに身を沈める。

 

 普段の晃晴からしてみれば、今日みたいに関わったことのない女子と会話すること自体がイレギュラーだった。

 

 そもそも進学を機に地元を出た晃晴には高校での知り合いなんてほぼおらず、女子の知り合いなんて1人しかいない。


(にしても、嫌がらせで靴を隠すなんて……これだから……)


 ――これだから人間は怖いんだ。


 自分自身、そういった悪感情に触れて、人と関わることに恐怖を抱き、逃げ出した身。

 

 晃晴は最初から人と関わるのが苦手だったわけじゃない。

 

 彼の性格と目指していたものの関係上、むしろ逆だった。


「……っ」


 胸がうずくような痛みがして、それ以上考えるのをやめた。

 

 代わりに今日渡されたスポーツテストの結果が書かれた紙を鞄から取り出して、なんとなく眺める。


 全1年生140人中11位。

 紙にはそう記入されている。


(ギリギリトップ10に入れないのがなんとも俺らしいな)


 高校では部活に入っていないが、昔からの習慣であるランニングや筋トレは惰性とはいえ続けていて、スポーツテストだって手を抜いたわけじゃない。

 

 それなのに、両手の指にすら入れない自分に、晃晴は無意識に自嘲の笑みを零した。

 

「……走るか」


 嫌なことがあった時は、身体を動かすに限る。

 

 惰性で続けているだけとはいえ、身体を動かすこと自体は嫌いじゃない。

 

 晃晴は立ち上がり、スポーツウェアに着替え、耳にイヤホンを差し込んで外に出た。






「……なにしてるんだ、あれは」


 ランニングから部屋の前に帰ってきた晃晴は、学校で侑を見た時と同じ言葉を呟いた。

 

 晃晴が見たのはタッパーを手に持ちながら、晃晴の部屋の前を行ったり来たりを繰り返している侑の姿。


 その挙動不審な姿は傍から見れば、言い訳のしようがないぐらい不審者で、いくら見た目が整っている侑でさえ、全く例外ではない。


 そんな真っ白な髪の不審者はようやく足を止め、大きな深呼吸を何度も繰り返し、意を決したようにインターフォンへと手を伸ばしていく。


「なんか用か?」

「わひゃっ」


 可愛らしい悲鳴を上げ、振り返った侑はこっちの姿を認め、目を丸くした。

 

 まさか訪ねようとしていた部屋の主が外に出ているとは思わなかったのだろう。


「あ、あの……もしかして、見てましたか」

「色々とタイミングが悪かったな」


 部屋の前でうろうろしている姿を目撃されたのもそうだが、せっかく決意を決めてインターフォンを鳴らそうとしたのに部屋の主が留守で肩透かしを喰らってしまいそうだったという意味を込めて、口にした。


 すると、侑は徐々に頬を赤くして恨みがましい目でこっちを睨む。

 

 髪と肌が白いせいで、その付け足された赤は余計に際立って見えた。

 

 まあ、この件に関しては本当に色々とタイミングが悪かっただけで、こっちが睨まれないといけない理由はないのだが。


「で、結局なんの用なんだ」


 睨んでくる侑には取り合わず、話を進めていく。


「そ、その……もう、晩ご飯は済ませてしまいましたか」

「……まだだけど」


 晃晴の言葉に少しだけ安堵したような表情になって、侑は持っていたタッパーを突き出した。

 

「これをどうぞ。今日のお礼と、お詫びです」


 差し出されたタッパーをまじまじと見てみる。

 中身はカレーのようだ。


「お礼はまだ分かるが、お詫び?」

「……助けてもらったのに、日向くんがやったんじゃないか、なんて疑ってしまったので」


(ああ、あれか)

 

 晃晴にしてみれば気にしていないどころか、言われるまで忘れていたぐらいだった。

 

「気にしてないからそっちも気にするな。あんなに都合良く探していたものが見つかったんだ。疑いたくなるのもよく分かる」

「いえ、あれは助けてくれた人への態度じゃありませんでした。本当にごめんなさい」


 侑は白い髪を揺らし、綺麗な姿勢でぺこりと頭を下げてくる。

 

「俺は本当に気にしてない。……ああいう言い方になったのもなんか理由があるんだろ?」

「……私が困ってて、今までに助けてくれた異性はその見返りになにかを求めてくる人たちばかりでした」

 

 俯きがちになった侑が静かに語る。

 晃晴からはどんな表情をしているのかがよく見えない。


「ですので、日向くんが初めてだったんです。助けた見返りを求めてこなかったのは」


 顔を上げた侑の蒼い双眸が照明の灯りを受けて、言葉を失ってしまうほど綺麗に輝く。

 

 事実、晃晴が返事を忘れて見惚れてしまうぐらいには、その蒼の煌めきは日常的な光景とはかけ離れて幻想的に見えた。


 呆けていた晃晴はどうにかもつれる舌を無理矢理動かして、くぐもった声で答える。


「あ、おお……まあ、本当に偶然だったし、その礼とやらを受け取るのもな……」

「いえ、受け取ってください。でないと私の気が済まないので」


 律儀というか、めんどくさいほどに真っ直ぐで真面目。

 

 それが浅宮侑という人間と話してみて、改めて受けた印象だった。

 

 ここで何度断ったところで、侑は晃晴がタッパーを受け取るまで頑として引かないというのは想像に難くない。


 晃晴としては汗をかいているし早くシャワーを浴びたい。

 

 それに、この場で押し問答をしているのは近所迷惑になりかねない。


「……分かった。ありがたく受け取らせてもらう」

「はい。どうぞ」


 ほんのりと温かいタッパーを手渡されると、食欲が刺激されたのか、思い出したかのように空腹がやってきた。

 

 口では色々と言っていたが、1人暮らしの男子高校生に食べ物のお裾分けは大変ありがたいもの。

 

 特にランニングを終えたあとで、自炊をするのは面倒だと思っていた晃晴にとってはカレーなんてご馳走でしかない。


 ふと晃晴が視線を上げると、なにかを言いたげに、そして言いにくそうに、口をもにょもにょと動かしている、こっちを窺うような表情の侑と目が合った。


「なんだ? まだなにかあるのか?」

「い、いえ……あの……その……」


 あちらこちらに視線を彷徨わせ、両手の指を腹の辺りで組んで落ち着きなく動かし続けている侑の頬はまたわずかに赤く染まっていた。

 

(一体なにを言う気なんだ……)


 晃晴は身構えて、言葉の続きを待つ。

 

「……」

「……」


 そのまま数分間ほど経過した。

 

 持ったままのタッパーは先ほどよりも明らかに熱が失われていて、時間の経過を嫌でも意識させてくれる。

 

 ちなみにその数分の間に同じ階層に住んでいるご近所さんが、部屋の前に立ったままの2人を見て、「あらー。若いっていいわねー」と言いながらにやにやしてなにかしらを勘違いしながら去っていってたりする。


「……おい」


 痺れを切らした晃晴が切り出すと侑は肩をビクリと跳ねさせた。

 

 さすがに時間を取らせすぎたという自覚はあるのだろう。


「……や、やっぱりいいです。なんて……」

「はぁ!? お前ここまで待たせておいてそれはないだろ!?」

「うっ……で、ですよね……」

「いいから言えよ。お互い数分間無言で顔突き合わせ続けたんだ。なに言われたってこれより気まずくなることなんてほとんどねえよ」


 ん、と顎を軽くしゃくって話の続きを催促。

 

 侑はちらり、と晃晴の顔に視線をやってから、ふいっと視線を逸らし、


「き、聞きたいことがあるので……い、一緒に晩ご飯を食べませんか!?」


 晃晴の時間を止めるのに十分な威力を秘めた爆弾を投下した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る