第3話 メインヒロインは部屋に上がる

「は? 晩ご飯? ……俺と、お前が一緒に?」

「ほ、他に誰がいるというんですか」


 言い切ってしまえばあとは流れに身を任せるだけ、というよりは突き進むしかなくなったのだろう。開き直った侑に晃晴は面食らった。

 

 気まずくなることはないと言ったが、限度があると思う。

 

 聞きたいことがあると言われても、今日初めて会話をした相手になにを聞くことがあるのか。


 本気で心当たりがなく、心の中は疑問符でいっぱいになった。

 

 冗談である可能性も考えてみたが、侑の表情から察するに、その可能性は皆無と見ていいだろう。


「……丁重にお断りさせていただきたく存じます」

「なっ……どうしてですか」

「いや、だって普通に断るだろ。大して親しくもない、今日初めて言葉を交わした奴から飯に誘われても。お前が俺の立場ならどうだ?」

「……丁重にお断りさせていただきたく存じ上げます」


 数瞬だけ考えたのち、侑は自分が勢いでなにを言ったのかを理解したのか、より言い回しを丁寧にして晃晴に言葉を返してきた。

 

 そら見たことか、と軽く鼻を鳴らす。


「大体、一緒に飯を食う必要があるか? 聞きたいことがあるならここで聞けばいいだろ」

「それはそうですが……」

「なんだよ」

「……いえ、あんな顔をしていたので、普通に聞いても教えてくれないだろうなと思いまして。時間がかかりそうだったので、それならご飯を一緒にと提案したのです」

「あんな顔……?」


 そもそも、侑がなにを聞こうとしているのかも分からない晃晴には、あんな顔と言われてもなんのことなのか本当に見当がつかない。

 

(その聞きたいことを話す義理も、一緒に飯を食わないといけない理由も、こっちにはないよな)


 しかし、一度助けられただけの侑がなぜここまでするのかというのは気になる。

 

 それに、あんな顔という単語に引っかかりを覚えた。

 

 どうするべきかと考え、晃晴はため息未満の小さな息を吐いた。

 

「……分かった。その提案を吞む」


 そう言うと、侑は大きな蒼い目をぱちりと瞬かせた。

 

 渋っていた晃晴が急に意見を変えたことが不思議らしい。

 

「自分で言っておいてなんですが、本当によろしいのですか?」

「俺の方にも聞きたいことが出来たからな」

「そうですか。では、私の部屋でいいですか?」

「え?」


 なんのためらいもなく自分の部屋にと言われて、声を漏らす。

 

「どうかしましたか?」

「いや、浅宮の部屋?」

「そう言いましたけど……なにか不都合が?」

「不都合って言うかだな……」


 特に親しくもなく、今日初めて口を利いた男をそんな簡単に部屋に招き入れていいものなのか。

 

 晃晴はそう口にしようとして、とっさに口を噤む。


 パッと見、ただ気が付いていないだけかもしれないが、侑は特に気にしていないように見える。

 

 そうなると、自分だけが変に意識していてなんだか下心があるように思われそうで嫌だ。

 

 こういう風に考えている時点で変に意識をしていることは間違いないのだが。


「あ……不都合あったわ」

「なんでしょうか」

「俺、汗かいてるし、それで女子の部屋に入るのはなんか、アレだろ。だから俺の部屋でいい」


 もっともらしいことを言ってみてはいるが、自分の部屋に女子を入れるのと自分が女子の部屋に入るのを天秤にかけた結果、前者の方が精神的ハードルが低かっただけのことだ。

 

(女子の部屋とか入ったことないし、こっちの方がまだマシだ。見られて困るものとかないしな)


 それに汗はもう引いているとはいえ、この状態で部屋に入られるのは侑だって嫌だろう。 

 

 決してへたれたわけではない。

 

「私は別に構いませんけど……」

「俺が構うんだよ。汗臭くないかとか気遣うことになるだろ」

「……日向くんがそこまで言うのなら」


 侑がどこか硬さを感じさせる声で「……自分の分を取って来ます」と部屋に入っていくのを見送って、晃晴は部屋の鍵を取り出してドアを開けた。

 

 靴を脱いで廊下に上がり、なんとなく玄関の前で侑を待つ。


 すぐに侑は戻ってきてドアの前に立った。

 

 しかし、声と同じく硬い表情をして、晃晴とたたきとの間で何度も視線を落ち着きなく往復させ始める。

 

「入らないのか?」


 晃晴が声をかけると、侑は肩を大げさにビクリと跳ねさせた。

 

「あ、あの、本当にお邪魔してもよろしいので?」

「そっちが一緒に飯を食おうって言ったんだぞ。どうしてもそこで飯を食いたいって言うのなら止めないけどな」


 この一言がダメ押しになったのか、侑は覚悟を決めた顔になって、ようやく玄関に足を踏み入れた。

 

 顔どころか身体中に力が入って緊張を隠せていない侑の姿に小さく苦笑を漏らす。


「人の部屋に入るだけでそんなに緊張するか?」


 さっきまで女子の部屋に入るのことに内心で盛大に狼狽えていたくせして、晃晴は思いっきり自分のことを棚に上げた。

 

「だ、だって……男の人の部屋に入るの、初めてで……」


 後半になるにつれ、どんどん小声になっていく侑。

 そんな侑を、晃晴は意外だという表情で見つめた。

 

 彼氏、も当然いたことがあったのかもしれないが、友達の多そうな侑のことだから異性の部屋にも入ったことがあるものだと思った。

 

「……さてはお前、男の部屋に入るのが緊張するからって理由で自分の部屋って意見を出して先手を打ったな?」

「うっ……そう言う日向くんだって私の部屋に入るの拒んだくせに」


 こっちの都合の良い言い訳には気が付いていたらしい。

 

 図星を突かれて、目を逸らす。

 

 横目に映るジト目がとても心に痛い。

 

「この件に関してはお互いノータッチの方が良さそうだな」

「異論はありません」


 このままだとどうやり合っても互いが同時ノックアウトの引き分け試合にしかならない。

 

 避けられる争いは避けるべきだと、晃晴も侑も判断した。

 

 なんだかんだ言って、異性を部屋に入れるのが初めての晃晴も異性の部屋に入るのが初めての侑もこれがきっかけで、多少なりとも緊張が解れたらしく、硬さが薄れているのが目で見て取れた。

 

「綺麗にしているのですね」


 リビングまでの短い廊下で話すこともないので、2人して無言でリビングへと移動すると、室内を見た侑がぽつりとこぼす。

 

「別に散らかすほどものがないだけだ」


 元々ものをあまりこのマンションに持ち込んだりしておらず、使ったものは元の場所に戻すことを徹底していれば、散らかって足の踏み場もなくなるということはそうそうない。

 

 精々、埃が溜まっていく程度のものだろう。


「そう言えばカレーだけ持ってきてしまいましたが、ご飯などはあるのですか?」

「冷凍庫に小分けにしたやつが何個か入ってる」

「……日向くん、自炊するんですね」

「言うほどはしない。ただ便利だからやってるだけだ」


 小分けにしたご飯を冷凍庫に入れているのは、親に教えてもらったからにすぎない。

 

 まあ、実際に重宝していることは確かなのだが。

 

 総菜を買ってきて、ご飯を解凍するだけでそれなりの食事にはなっているのだから。


「む……」


 キッチンを興味深そうに眺めていた侑が、眉根を寄せて呻いた。

 

 人の部屋のキッチンを見ただけの反応にしてはどこか悔しそうな表情に、晃晴は首を傾げる。


「なんだその顔は」

「いえ、うちで使っている家電や調理器具よりも良さげなものが多そうだな、と」

「どこに対抗意識燃やしてんだよ」


 1人っ子の晃晴は、基本的に両親と祖父母から可愛がられており、高校生の1人暮らしなのにある程度セキュリティと立地がいい1LDKの部屋に住まわせてもらわせてもらえてるぐらいには裕福な家庭でもあった。

 

 家具や家電なども両親たちの可愛がりの副産物であるというだけのこと。

 

 1人暮らしに少しばかり気分が盛り上がって選んだのは晃晴自身だったりするのだが。


「で、部屋に来てもらって待たせるのは悪いけど、シャワー浴びてきてもいいか?」


 汗は引いているとはいえ、このまま汗を吸ったスポーツウェアで汗臭いままでいるわけにはいかない。

 

「はい。お時間を取らせているのはこちらですので」

「悪い。すぐ出るから」

「私は気にしないので、どうぞごゆっくり」


 晃晴は冷凍庫からご飯を取り出し、レンジに放り込んでから、自分の部屋に着替えを取りに行った。

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