第4話 メインヒロインの聞きたいこと

「あれ?」


 手早くシャワーを浴びて脱衣所に出た晃晴は、バスタオルで身体を拭き終わってから衣服に手を伸ばして、声を漏らした。

 

(……シャツがない)


 どうやら急いでいて確認を怠ったせいでシャツを持って入るのを忘れてしまったらしい。 

 

 晃晴的にはシャツも掴んだつもりだったのだが、何度目の前を探そうと、あるのは下着とズボンだけ。

 

 このままだと特に仲良くもないし、付き合ってもいない女子に自分の上半身の裸を見せつけることになってしまう。

 

 下手したら通報ものだ。


 男の晃晴からしてみれば、上半身の裸を見られるぐらいどうってことない。

 

 しかし、女子の侑からすれば、特に親しくもない男子の上半身を見せつけられることになり、気まずいどころの話ではないだろう。


 しかも、それが男の部屋であるとするならば尚更だ。

 

「……でも仕方ないよな。汗吸ったシャツ着直すのとか嫌だし」


 このままここでこうしていても侑を待たせることになるだけで自分も風邪を引いてしまうかもしれない。

 

 水泳の授業で男の上半身なんて見たことあるだろうしと結論付け、下だけ身に着けて外に出ることに決めた。


「悪い。待たせた」


 ローテーブルの前にちょこんと座る侑の背中に声をかけると、こっちを振り返る。

 

 そして、青色の双眸を大きく見開いて、すぐに顔を背けてしまった。


「な、なんて格好をしているのですかっ」

「シャツの替え持って入るの忘れたんだよ」

「それなら早く取ってきてくださいっ。もうっ」


 言われなくてもそのつもりだったので、部屋に戻ってシャツを着る。

 

 原始人ワイルドスタイルではなくなった晃晴がリビングに戻ると、侑が顔を赤くしたままちらちらと見てきては、目を逸らすことを繰り返していた。


「そこまで恥ずかしがることか? 男の上半身ぐらいプールとかで見慣れてるだろ」

「そ、それとこれとは状況が違いますし、そもそもそんなにまじまじと見たことなんてありませんよっ」


 これに関しては服を持って入るのを忘れた自分が悪いので、文句を言うつもりはない。 

 

 悪かった、と謝罪の言葉を口にしてから、侑に近づいた。


「大体、服がないならタオルかなにかで隠すぐらいの配慮はしてくれてもいいじゃないですか」

「男が胸隠しながら出てきたらそれはそれで気持ち悪いだろ」


 想像してみると、気持ち悪すぎて思わずおえっとえずく。


「というかソファに座ってもよかったんだぞ。それかクッション使うとか」

「さすがに人の部屋のものを勝手に使うのは気が引けたので」

「そうかよ。……ほら」


 ソファに置いてあったクッションの1つを手渡すと、侑はそのクッションをじっと見つめ、ためらいがちに受け取った。


「……ありがとうございます」


 ぽつりと呟くような侑の声を耳にしながら、晃晴はその対面に腰を下ろした。

 

「このサラダは?」

「私が部屋から持ってきました。カレーだけだと栄養が偏るので」


 どうやらシャワーを浴びている間に部屋から持ってきたらしい。

 

 学生の1人暮らしはどうしても不摂生になりがちなので、晃晴にとっても、侑の気遣いはとてもありがたいものだった。


「じゃあ、いただきます」

「はい。どうぞ」


 話もそこそこに、スプーンでカレーをすくって口に含む。

 

 侑はスプーンすら持つことなく、こっちの様子をじっと見守っていた。

 

「うん、美味いぞ」

「……そうですか。それはよかったです」


 素直な感想を言うと、侑はホッとしたように頬を緩ませて口を綻ばせた。

 

 運動後でかなり空腹だったせいでカレーライスという突然振って湧いたご馳走をかきこむような勢いでスプーンを動かしていく。


「そんなに急いで食べたら体に悪いですよ」

「親みたいなこと言うなよ。仕方ないだろ。腹減ってたし、このカレー美味いんだから」

 

 再び味の感想を口にすると、侑は口をもにょりと動かしてなにを言おうか迷っているような様子を見せた。


「……カレーなんてレシピ通り作れば、誰が作っても似たような味になりますよ」

「まあそうかもな。……けど、俺が今食べて美味いって思ってるのは浅宮の作ったカレーだ」

 

 そう言うと、侑は蒼色の瞳をぱちりと瞬かせ、くすぐったそうに身をよじった。


 晃晴がそんな侑の様子を見つめていると、侑はそっと目を逸らし、小さな口をスプーンで隠してから呟いた。


「作り手冥利に尽きるお言葉ですね」


 口を隠してはいるが、わずかに赤く染まり緩んだ頬は隠し切れていない。

 

 そのそっけない口調も照れ隠しからくるものだということは想像に難くなかった。


(そこまで照れられるとこっちまで恥ずかしくなるんだけど)


 思ったことを正直に言っただけだったが、侑の予想だにしなかった可愛らしいリアクションに、晃晴の方も背中になにかむず痒いものが走るのを感じた。


「んんっ……それで、浅宮の聞きたいことってなんなんだ」


 妙な空気を払拭するかのように咳払いをして、可愛いと思ってしまったことを誤魔化すように本題を切り出した。

 

「では、単刀直入に聞きます。私を助けてくれた本当の理由はなんですか?」

「……は? だからそれは」

「隣人のよしみ、ですよね。でも私が聞きたいのはそのあとの言い淀んだ部分なのです」

「……そんなことを聞くためだけにわざわざ一緒に飯まで食おうって?」

「そんなことが気になったんですよ。むしろその言い淀みしている時のあの表情を見たりしていなければタッパー渡して終わっていたと思います」


 どうやって返答すればいいのか分からず、すぐには口を開かなかった。

 

 お茶を濁すような物言いは真剣な表情をしている目の前の彼女はきっと許してはくれないだろう。

 

 吸い込まれそうなほど綺麗で真っ直ぐな蒼色が余計に晃晴に本当のことを話すべきなのかと迷わせた。


「1ついいか」

「なんでしょう」

「先に聞いておきたいんだけど、その時の俺……どんな顔してた?」


 助けた理由を問われて、自分は一体どんな表情をしていたのか。

 

 知りたいようで知りたくはなかったが、知らなければならないとも思った。

 

 尋ねられた侑は、「そうですね……」と呟くと思案顔で黙り込んでしまい、2人の間に沈黙が降りた。

 

「――欲しかったものが手に入らなかった子供のような顔でしょうか」


 自分のことをなにも知らないはずの侑の言葉は、意外なほどにしっくりきて、すとんと腑に落ちた。

 

 言おうとしていたことからしても、その表現は的を射すぎている。


「どうして助けてくれた日向くんが痛みをこらえるような顔をしていたのか、不思議だったのです。もしかしたら、言わなかった部分が助けてくれた本当の理由なのではないですか」


 正しかった。

 

 ぐうの音なんて出やしないほどに、侑の言っていることは全て正しい。

 

 うっかり口を滑らせただけなのに、ここまで見抜かれるとは思ってもいなかった。

 

 その観察眼に素直に舌を巻きつつ、頷いてみせる。


「本当にそんな顔をしていたかどうかは、無意識だったから分からないけど、多分浅宮の言う通りだ」


 ふっと息をはいて、晃晴はなんとなく天井を見上げる。


「――俺さ、小さい頃……いや、割と最近まで、ヒーローになりたいって思ってたんだよ」


 重たい空気になりすぎないように、努めて明るめのトーンを意識して切り出した。

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