第5話 そうして、ようやく1日が終わる

「ひーろー、ですか?」

 

 侑は唐突に出されたヒーローという単語を認識するように、ぱちぱちと瞬きをし始める。


 もっと胸とか喉とかに引っ掛かるものだと思っていたのに、その言葉は自分でもびっくりするぐらい、するりと口から滑り出てくれた。


「ああ」


 あの時言おうとしたのは、自分にとって人を助けることは信念だから。

 

 人を助け続けても、自分はヒーローになれないことを知っている。

 

 侑が言った、欲しかったものが手に入らなかったという表現はまさにぴったりだった。


 思いの外カレーが美味しかったからなのか、誰でもいいから話を聞いて欲しい気分だったのか、晃晴本人にも分からない。

 

 心を開いたわけじゃないが、ただ、なんとなく話してみるかという気分になった。

 

 それだけのことだった。


「その、とぉっというやつ……ですか?」


 侑はとぉの声と共に、胸のあたりで控え目に右腕を突き上げてみせる。

 

 予想外の動作に、今度は晃晴がぱちぱちと瞬きをして、侑を見つめた。


 本人としては大真面目にやっているのだろう。

 

 無表情と動きにギャップがあって、ちくはぐで、かろうじて笑いはしなかったが、晃晴としてはそれが面白いなと思ってしまった。  


 もっとも、晃晴が憧れたのは人を助ける姿であり、怪物と戦ったりではないのだが一般的なヒーローのイメージとしては侑の考え方だろう。


「……方向性はちょっと違うけど、大体それで合ってる。イメージはちょっと貧困だけど」


「し、仕方ないではないですか。そういうの、あまり見たことないのですから」


 笑いを堪えきれずに軽く苦笑を漏らすと、むっと眉根を寄せて睨まれた。

 

 確かに、侑がそういうのを見ているイメージはない。

 

 むしろ詳しかったらそれはそれで反応に困るところだ。


「と、とにかく……それが私を助けてくれた理由なのですね」

「ああ。……ヒーローになるのはちょっとした事情があって諦めたんだけど」

「事情、ですか。確かに、そういうのはなにか特殊な能力がないと難しそうですしね」

「いや、そうじゃねえよ。真面目か。……まあそれはいい。今大事なのはそこじゃなくて、俺がなんで浅宮を助けたのか、だしな」


 大真面目な顔をして、うんうんと頷いている侑に一応ツッコんでおく。

 

 なにか盛大な勘違いをされたみたいだが、説明するのも面倒であるし、今日まで関わりがなかった相手に言うことでもない。 

 

 それとなく踏み込ませないようにラインを引きつつ、会話を続けていく。


「そんでまあヒーローになること自体は諦めたんだけど、昔から人助けをやってきたわけだから、正直もう癖みたいなものでさ」

 

 言葉を区切って、侑を見る。

 

 蒼い瞳が答えを待っているかのようにこっちを見つめていた。


「なんかこれやめたら自分が自分でなくなりそうだから。自分が空っぽになるのが嫌で、だから助けたんだ」

「そう、なのですか」

「ああ。言ってしまえば、浅宮のためじゃなくて俺自身のために助けた。それで感謝なんてされるべきじゃない」


 結局押し切られるように受け取ってしまったが、本当ならこのお礼も受け取るつもりはなかった。

 

 全ては自分のエゴ。

 

 侑が言ったような下心にまみれたものではないが、打算にまみれた後ろめたいものではある。

 

 そんなの、感謝されるべき行いではないはずだ。


「……でも、私が助けてもらったのは事実です。日向くんがなんと思っていようと、それは紛れもない事実なのですよ?」


 柔らかな声音に導かれるように、俯きがちになっていた顔を上げる。

 

 そこには声と違わずに柔らかな、慈しみに溢れたはにかみを浮かべる侑がいた。


 晃晴は数秒間ほど見惚れて、慌てて軽く頭を振った。

 

「日向くん? どうしたのですか?」

「い、いや。なんでもない」


 目の前で急に頭を振った晃晴を見て、侑がことりと小首を傾げる。

 

 誤魔化したのために、慌ててカレーをかきこみ、むせて、麦茶を飲む羽目になってしまった。


「ふふっ。おかしな人ですね」


 またもや不意打ち気味に笑みを浮かべられてしまい、表情に出さないようにわざとぶすりとしてサラダを口に放り込んだ。


「……早く食べようぜ。カレーが冷める」

「そうですね。いただきます」


 晃晴と侑はしばらくお互い、無言で食事を続け、やがて、2人の皿が空になった。

 

「洗い物は俺がやっとくから、浅宮はもう部屋に戻れ」


 先に食べ終わって、シンクで自分の皿を洗っていた晃晴は、シンクに皿を持ってきて横に立った侑を見ずに言った。

 

「いえ、そういうわけにはいきません」

「いいから。あまり戻るのが遅くなってるところをご近所さんに見られでもしてみろ。いらん誤解を招くことになるだろ」


 既に部屋の前で2人でいる場面を目撃されているこの状況で、これ以上妙な誤解を招くような真似はしない方が賢明だろう。

 

 割ともう手遅れな気がしないでもないが、気のせいだということにしておく。


「……私が使ったスプーンで変なことしませんよね」

「するか。それとそういう発想が出てくる時点でお前は人のことを変態と糾弾出来ないからな」

「なっ……わ、私がはしたないみたいに言わないでくださいっ」


 少しだけ声を大きくした侑に向かって、右手を軽く前後に振り、いいから早く帰れの意味を込めたジェスチャー。

 

 しばらくは不服そうにこっちを見上げていた侑だったが、このままこうしていても無駄だと悟ったらしい。

 

 ため息をついたのが横目で見えた。


「分かりました。お任せします」

「任された。タッパーは後日返すのでいいか」

「はい。私の方はいつでもいいので。日向くんの都合のいい時に」

「了解。覚えてたらちゃんと返しに行く」


 真っ白な髪が離れていって、リビングから出て行こうとし始めたので、洗い物の手を止めてそっちを見た。


「では、今日はありがとうございました。……おやすみなさい」

「ああ。おやすみ」


 侑がリビングから姿を消して、数秒後、玄関の扉が開閉する音が聞こえてきた。

 

 やたらと疲れたような気持ちになっているのは、ランニングのせいだけではないだろう。

 

 長い息を吐いている晃晴の様子からは、無意識の緊張が少しは残っていたことがうかがえた。


 この状況がイレギュラーだっただけで、侑とは別に仲良くなったわけではない。

 

 明日からはまたただのお隣さんでクラスメイトに戻ることになる。


 この時の晃晴は、そう思っていたのだった。

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