第18話 メインヒロインのわがまま
「スマホ、直ってよかったな」
ファストフード店の時からおよそ1時間と40分後。
伝えられていた時間からずれ込むことはなく、侑の手の中には修理されたスマホがあった。
「はい。日向くんもいいものが見つかってよかったですね」
「ああ」
紙袋を軽く掲げてみせるとカサリと音がして、中身が覗く。
晃晴も既に炊飯器を買い終わっていて、2人して帰路についている最中だった。
帰る方向も場所も同じなのでわざわざバラバラに帰る必要はない。
なので、先程のように一緒に食事をするかどうかの意見の擦り合わせは行われず、晃晴と侑の足は自然と一緒の場所へ向かって歩き出していた。
「ところで日向くん。晩御飯はなにが食べたいですか?」
「あーそうだなぁ……はい?」
住んでいる場所から最寄りの駅で電車を降り、マンションに向かう最中。
まるで天気の話でもするみたいに切り出されたので、ついつい普通に答えそうになってしまった。
思わず動かしていた足を止め、侑を凝視してしまう。
晃晴の動きを止めた張本人は、どうかしたのですかと言わんばかりにことりと小首を傾げている。
「や、え? 晩御飯って……」
「昨日のお礼で、今日の夕方に日向くんのお部屋になにかお料理を作って持って行こうと思っていたので」
一緒にいるならこの場で食べたいものを聞いておいた方がいいと思いまして、とこっちを見上げてくる。
(ああ、なるほどな。……食べたいものか)
納得し、歩みを再開しながら夕食のリクエストについて考え始める。
ごく自然に侑が食事を作ることを受け入れているように見えるが、侑の性格上、晃晴が遠慮したとしても引き下がりはしない。
お礼をしにくるという話は昨日の段階で既に押し切られているようなものなので、忘れていただけであって、料理を作ってくれることに関しては疑問を持つことはなかった。
「なんかあっさりしたものがいい。和食とか」
いくら味の濃いものが好きな晃晴でも、昼夜連続で口にする気にはならない。
その為、頭に浮かんだのはあっさりしたものという漠然とした考え。
そこに1人では決して選ばない、作れないという選択肢を交え、和食というチョイスを口にするに至ったわけだ。
「和食……それなら筑前煮なんていかがですか?」
「じゃあそれで頼む」
などと話していると、部屋から最寄りのスーパーに辿り着いた。
「では、後ほど日向くんのお部屋にお料理を持っていきますので」
「俺の部屋で作っていいぞ。どうせ持ってくるなら、そっちの方が手間がかからないだろ」
「あ……すみません。ついなるべくご迷惑にならない方向で考えてました」
では、お言葉に甘えさせていただきますね、と侑が話すのを聞きながら、晃晴はスーパーの中に入ろうとする。
「あ、日向くんはお先にお部屋に戻っておいて下さい」
「俺の分も作るんだし、俺も手伝うのが当たり前だろ」
「お部屋には食材もありますし、足りないものを少し買い足すだけなので本当に大丈夫ですよ」
それに、と侑は晃晴が持っている紙袋に目をやった。
「炊飯器、重いですし邪魔でしょう。お買い物をして回るには不便ですよね」
「このぐらいなら大丈夫なんだけどな。……まあ、そこまで言うなら俺は先に帰って、ご飯でも炊いておくよ」
料理には貢献出来ないが、せめてそれぐらいはして少しでも侑の負担を減らすべきだろう。
買い物を手伝わない代わりの折衷案を口にすると、侑は表情を和らげ、頷いた。
「助かります。……では、また後ほど」
スーパーの中に消えていく侑の背中を見送って、晃晴は一足先に自分の部屋に戻るのだった。
「ごちそうさまでした」
「お粗末様です」
侑が作ってくれた筑前煮は、晃晴の要望通りあっさり目な味付けだった。
しかし、しっかりと出汁は効いていて、薄めとも言えない絶妙なバランスを保っていた。
「美味かった。ありがとな」
夢中で平らげてしまった晃晴を見ながら、侑が微笑む。
「そう言ってもらえると作った甲斐があります。日向くんに満足してもらえないと、お礼の意味がないですから」
「正直毎日食いたいぐらいだ」
ストレートに思ったことを口にすると、蒼色の瞳がぱちりと面食らったように瞬いた。
「……催促してます?」
「ただの感想だ。そんな図々しいこと言うか」
侑よりも先に食べ終わってしまっていたので、食器を片す為にシンクへと運ぶ。
「けれど、本当に作り手冥利に尽きます。日向くんの食べっぷりは見ていて気持ちが良いので」
「普通に食べてるだけだけどな」
「美味しいと言ってもらえるだけで嬉しいものなのですよ」
そういうもんか、と口の中で転がすように呟く。
あまり食事の邪魔をしても悪いと思い、ソファに座り込んだ晃晴はスマホを取り出し、読みかけの電子書籍を起動する。
しばらく本の世界に没頭していると、小さく「ごちそうさまでした」という声が聞こえてきた。
「洗い物はやっとくから、シンクに置いといてくれ」
スマホから顔を上げ、侑を一瞥。
すると、侑は眉をハの字にして、困り顔になった。
「お礼なので洗い物も含めてやってしまいたいのですが……」
「自分だけなにもしない方が落ち着かないんだよ」
「……分かりました。余った筑前煮はタッパーの中に詰めて冷蔵庫に入れておきますので」
お礼の為という自分の気持ちもあるが、晃晴の言い分も理解出来てしまったのだろう。
侑は困り顔のままタッパーを取り出して、鍋の中の筑前煮を詰めていく。
しばらくして、その作業を終えた侑がこっちへ戻ってくるのを視界の端で捉え、スマホに落としていた視線を上げた。
「帰るのか?」
「はい。あまり長居してもお邪魔でしょうから」
「……そうか。とりあえずこれで今のところの貸し借りは0ってことでいいんだよな」
「私の気持ちとしては全く返し切れてないのですが……」
微妙に不服そうな侑に軽く苦笑をし、背もたれに預けていた身体を起こす。
「なにはともあれ、だ。これで明日からは元の、隣人でクラスメイトの関係に戻るわけだ」
「……ぁ」
晃晴がそう口にした瞬間、蒼色の瞳を悲しげに揺らした侑が胸元をきゅっと握りしめた。
今までよりは会話をするかもしれない。
顔を合わせれば挨拶もするだろう。
だが、仲のいい友人では、ない。
あくまでも、知り合いの域を出ないご近所付き合いの接し方。
今日のように一緒に出かけたり、こうして侑が部屋に来ることはまずないと言ってしまっていいはずだ。
「それは、……やだな」
「浅宮? 今なにか——」
侑がなにかを言った気がして、聞き返そうと口を開く前に、
「日向くん」
意を決したような表情をした侑に名前を呼ばれ、遮られた。
「どうした?」
尋ねると、侑の意を決した表情が揺らぎ、自信がなさそうで、不安そうな顔を覗かせた。
それでもすぐに口を引き結ぶ。
その姿はまるで弱い自分を恥じ、己を叱咤しているようにも見える。
それから、大きく深呼吸をし、
「わ、わがままを言っても、いいでしょうか」
震える声で、告げてきた。
晃晴は驚き、軽く目を見張る。
「わがまま……?」
胸中に生まれた驚愕は、声になって外へ。
頼み事やわがままを言うことが苦手だと言っていた侑が、自らその単語を口にする。
驚くなという方が無理があるだろう。
部屋に沈黙が満ちる中、晃晴は侑が続きの言葉を紡ぐのを待つ。
「——わ、私と、友達になってくれませんかっ」
やがて紡がれたわがままは、晃晴に呼吸すらを忘れさせた。
(友達……? 俺、と……?)
理解をするのにも、思考が再び動き始めるのも、それなりの時間を要したように思う。
それだけ、侑の言葉が衝撃的だった。
「……どうしてだ?」
ようやく、辛うじて、真意を尋ね返す言葉を捻り出した。
「お昼の時、日向くんに友達じゃないって言われて……私、ショックだったんです」
「え?」
「もちろん、頭では分かっているつもりでした。でも、実際に言われてみれば、ショックを受けてしまったんです」
寂寥感を持った蒼い瞳が伏し目がちになる。
「今だって、元の関係に戻るって言われて悲しくなりました」
「……」
「だから、思ってしまったんです。わがままを言ってでも、私はこの人と友達になりたいんだって」
侑に微笑みながら真っ直ぐ見つめられ、晃晴は再び言葉を失った。
「いつの間にか友達になっていたなんて、信じられません。やっぱり、私は言葉がないと安心出来ないんです。確固たる証を持っていたいんです」
続けられる侑の独白に静かに耳を傾け続ける。
晃晴と侑が話すようになってから、まだ、たった4日。
しかし、その短い間で体感した時間は、頼み事やわがままを苦手とする侑を突き動かすほど濃密すぎた。
晃晴だって、それは認めている。
だが、晃晴の頭に浮かんだ言葉は——。
(——断るべきだ)
侑のことは嫌いではない。
それどころか、生真面目すぎる部分も生き方にも、人として好意を抱いている。
(俺と浅宮じゃ釣り合わない)
晃晴を否定的にさせているのは、自分への自信のなさからくる気遅れだった。
散々関わっておいて、なにを今更と思うかもしれないが、偶然関わることになるのと、意図的に関わるのとでは、全く違うだろう。
——自分の人生ですら主役になれない少年と他人の人生でメインヒロインになれてしまう少女。
そんな人物から、友人になりたいと言われて嬉しくないわけがない。
心が浮き立たないわけがない。
だが、立場も能力も、自分はこの少女の友人たる資格を持ち合わせていない。
だからこそ、晃晴は浮き立ち、嬉しいと思ってしまう心を殺し、断る為に口を開こうとした。
「…………分かった。俺と、友達になってくれ」
しかし、長い時間をかけて出てきたのは、晃晴の心中とは真逆の言葉だった。
「……え? い、いいのですか?」
「ああ」
「あ、ありがとうございますっ」
破顔し、喜ぶ侑を、晃晴はどこかやり切れない気持ちで見つめる。
(断れるわけ、ないだろ)
声が震えていた。
身体が震えていた。
服にしわが残るぐらい両手で握り締めていた。
脳裏にはさっきまでの侑の姿が焼き付いていた。
最初は食事に誘うのでさえも時間がかかっていた侑が、晃晴に友人になってほしいと頼むのはどれだけの勇気がいっただろう。
誰がどうして、勇気を持って踏み出した少女の手を拒めるというのだろう。
だからこそ、晃晴は断れなかった。
ダメだと分かっていても、侑の手を取ることを選んでしまった。
人と必要以上に親密になり、踏み込むのが怖い。
弱くて脆い自分を見せてしまい、幻滅されるのが怖い。
(分かってるんだよ。確かに人を信じるのは怖い。けど——)
結局、1番信じられないのは咲でも心鳴でも、侑でもなく、自分自身だと。
しかし、晃晴の気持ちにとは裏腹に、この日。
侑と晃晴の関係はクラスメイトの隣人から、友人へと進んだのだった。
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