路地裏の防戦
「――っじゃあ! 僕はこれから用があるから、あとはよろしくね」
少し奥まった場所に着いた瞬間、足早に去っていったアランの後ろ姿を見てアカリは迷子の子供のような不安に襲われた。
闇市は比較的王都の中心から離れた場所に位置していた。民家と民家の間にひっそりと開かれている。陽は当たらず、じめじめとしたカビのような臭いが漂い、そのせいもあり全体的に暗い空気がその場の全員に流れていた。
「…さてと、取り敢えず見て回るか」
アカリはどこから手をつけていいか分からないこの問題に少しだけ諦めの姿勢で挑んでいた。ああは言ったもののアランが探しても見つからないものを探せる気が微塵も湧かないのである。そんな入り口で突っ立っているままのアカリの横側から低く陽気な男の声が聞こえる。
「おう、にいちゃん。おしゃぶりなら向こうの通りだぜ? 」
「いや…そういうんじゃなくて何というか、そ、その武器! 見てみても良いですか? 」
男の目つきに少し動揺したアカリは話を逸らし真っ先に目に止まった短刀に目を向けた。
「おう、良い目をしてるじゃねぇか。そいつの刀身は他のよりずっと硬いが軽くて扱いやすい。値段はちと張るが良い武器よ」
値札を見ればアランに貰った金の約百三十倍。とても買える様なものではなかった。だがその形は異様なまでに惹きつけられた。
「今あんまり持ち合わせがなくて…すいません」
「…買わないか?そうか。また来いよ」
残念そうな顔をする男と別れ、奥へと進む。入り口付近だったせいもあり、漂う臭いはそれ程キツくはなく、湿っぽい臭いとアルコールが混じった様な独特な空気が漂っていた。
「…いらっしゃい。何か買ってくかい?果物から薬草まで色々取り揃えてるよ」
ちょこんと小さな椅子に座り、腰を曲げながら老婆が話しかけてきた。床に広げられた、蔓を編んで作ったと思われる籠には土のついたままの赤い野菜、他のものには緑色の葉が何枚か紐で茎を留めて入っていた。足元には布が敷かれ暗く色を落とした様な赤い果実が並べられていた。
「こんくらいなら買えるか…あの!この甘そうなやつ下さい」
店に来て冷やかしで帰るのが憚られるのは元の世界の住人としての性ともいうべきか、何か買って立ち去ろうという意識に囚われつつあった。
「これか?…そうそうそれ二枚だよ。毎度あり、よく加熱して食べてね」
硬貨を手に乗せて値札との額を合わせるのに手こずっていたアカリに老婆は指を差して教え、果実を渡した。果実は少し固く手に持った感覚は林檎のようであった。
「…迷子かい?あんたみたいな子がこんなとこに来るなんて珍しくてねぇ」
「いやー、そうですね。そう、欲しいものがあって、うん。それでここに 」
老婆の眉がぴくりと動く。声のトーンが一段階下がったような気もした。その口元の皺が伸びてしまう前にアカリにはこの会話を終わらせなければならないと思わされていた。
「…それならそこで酒を買いなさい。とびっきり度数の高いやつだ。そしたらそのまま奥に進みな」
なんで酒…?エリクサーなんじゃないのか?奥、奥にあるのか?行かなきゃ。
あれ、奥って何処だ。
目のピントが合わない。意識は朦朧として異常なまでの眠気に似た瞼の重さ。一歩を踏み出しているはずの右足は意識とは逆に後ろに置いてあった。左右感覚がおかしい。違う、すべての方向感覚が正しく、間違ってもいた。
「おう、にいちゃん。お前は何を買いに来た? 違うな、何が目的だ? 」
声の違う男がどこの方向からか問う。少しのどの枯れたような芯のぶれた声だった。
(何をされた?隠せ。違う吐け。探るな逃げろ。隠せ隠せ。…誰が?何を?どうやって?)
「エリクサーを…探しに」
空気が変わる。アカリの首筋は湿り、周りの者達の視線は一点に注がれる。
違う。隠せ、これ以上は…
「エリクサーを破壊しに…」
「それが
突如、アカリの背後を一線の痛みが縦断する。痛みに呻き、ふらつき下か上かも分からない平面に倒れ込む。落ち着く花の匂いがアカリを辛うじて落ち着かせていた。先ほどの武器屋を背に膝をついて痛みに耐えていた。
これは、これも魔法?ナルさんは誰でも使えるって…
「坊や、それは魔法じゃないよ。気化させた催眠剤さ」
老婆が覗き込むようにアカリに話しかける。既にアカリには自分の言葉が意識下にあるものなのか口から発されたものなのか分からなくなっていた。
「酒で催眠効果のある植物の成分を抽出した。魔法なんてもの、誰しもが使えたらわたしらはこんなとこで細々と商売してないだろうよ。あの子が手を差し伸べてくれたも同然なんだ、邪魔なんてさせないよ」
六本の足はまるで監獄の檻のようにアカリの周りを包囲する。
背中の痛みと
「なんだ?おい!これはっ! 」
慌てる声が狭く反響する。
武器を固く握ったままの男は足元を通る白い物体が動くのを見ながら戦慄する。靴を避ける様に大量の何かが蠢きながらアカリに向かって進み続けた。
アカリは地面についた左手に何かが触れたのを感じ手を引っ込めるが、足首や膝、背中まで到達し内部へ入り込もうと隙間を探る。
「っ?!入ってくる?んっ、背中が痛い。何がっ 」
「なんじゃ、これは虫…?線虫か?だが寄生虫が特定の人間に向かって行くことなんて有り得ない! 」
その場の全員が困惑する。誰も予想しないこの状況はアカリのもがき唸る声だけが響く事のみで表せられた。
「だけどよ、今がチャンスなんじゃないか?」
「そ、そうじゃな。首でもはねてあの子に捧げようか! 」
だがそのチャンスは一つの音で簡単に終わりを告げる。地面が重く鳴り、もがき苦しんでいたはずのアカリが三人を見回す。膝を使い立ち上がり体を巡る小さな痛みの数々に耐えながら自分の意識がはっきりとすることに困惑していた。
「見える…はっきりと」
包囲している三人はそれぞれの商品を手に取りアカリへと向けた。短刀、酒瓶、老婆に至っては慌ててその場の葉のついた枝を構えた。
「人数差は歴然、あんたは武器の一つも持っていない。ここでやっちまうよ! 」
男二人は目で合図をし、アカリの首元と頭部を刺し、殴打するように襲い掛かった。アカリはとっさに手で覆うようにガードを試みる。二方向からの攻撃を防ぎきれるほどアカリは経験があるとは言えなかった。
目を固くつぶった。目の前の起こりうる最大の痛みを想像して。それを直視する勇気はないまま、流れに身を任せざるを得ないから。
何かが香る。花のような落ち着くにおい。さっきも嗅いだ?ような....
「サリチル酸メチルっす、その匂い。ヤナギって攻撃を受けると防御のために揮発性の物質を出すんす。私が種撒いててよかったっすね」
この場の誰とも違う、けだるげな女性の声。ほかの雑音が静まり返りその声が際立つかのようにはっきりと聞こえた。
「あ、忘れてた。虫、取っとかないと」
その声とともにぱちんと音が一つ鳴る。アカリの体中にあった痛みは徐々に消え去っていき、覚悟していた痛みは起きぬまま右手の違和感を確かめるために目を見開いた。
「…菊の花?それに、体が痛くない? 」
そこには白くきれいな
「詳しいっすね。あの虫、知り合いの改良した線虫なんすけど人の体内に入って有害物質を取り込む性質があって....それを除虫効果のある菊の花で諸共消し去ったわけなんですが…」
いつの間にか横にいるその女に気付く。白のパーカーを緩く着ていた。暗い
「ですが…? 」
「花を荒らす害虫なんで…段々怒りがこみ上げてきちゃって…。その…」
前髪をくるくるといじりだした。照れ隠しのような恥じらいが頬を少しだけ赤く染めた。
「一匹でいいのに入ってた瓶割っちゃって三百ほど…アカリさんの体内めがけて…っす」
「はぁああああ??!!! そのせいであんな感覚味わったのか俺は?痛いんだぞ!這いずり回られるの!…ってか誰だよ! 」
驚きと怒りと疑問で満ち満ちていたアカリは作られた言葉をそのまま目の前の女に浴びせた。咲き誇ったままの菊の花を腕全体に生やして。思いをぶつけていくがどう頑張ろうともそこには花の咲いた男が変な動きをしているだけであるのでアカリとその女を囲っている三人ですら若干、いや相当困惑気味であった。
その女は流れた髪で右目を隠すように直し、アカリを見上げる。日焼けのない白い肌は暗がりのせいか少し顔色が悪そうにも見えた。
「キトラ・フラウディア、
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