疑念

 その夜は久しぶりによく眠れたような気がした。夢自体を見ることも無く目が覚めたら少し固めのソファに横になっていた。多量の情報の摂取により混乱してたとはいえ、昨日は判断を間違えたようで不安になってくる。利用されたという怒りはあれど一度殺してしまった人をもう一度、殺すまではいかなくても対立するという、なんとも俺に資格が無さそうな仕事を了承してしまったのだから。片岡さんはあの後仕事が入ったと言って部屋を出ていった。どうやらここは街のはずれにある一軒家で片岡さんは山道を少し行った村に居るという。


 何故右も左も分からない俺をここに置いていくのか疑問はあるが仕事ならば仕方ない。どんな状況でさえ、出勤というのは大人に付きまとうものだ。もしくは昨日みっともなく泣き喚いてた俺の心情を察してそっとしておいてくれたのだろう。だけどいつまでもメソメソとしてられないのも事実。仕事を与えられた人間ならばそれをしっかりと行うのが常識であろう。そうと決まれば片岡さんを手伝わなければ。寝癖をできるだけ梳かして外に出た。外は澄んだ空気と涼し気な風の吹く山の中であった。方向なんて全く分からなかったが幸い道はひとつしかなく、下の方に開けた所があるのも確認できた。


 植生も詳しくないため元いた所とさほど大差ないように感じられた。死んで違う世界に来ているという実感が一切湧かないほどだ。10分ほどでその村には到着した。村は活気に溢れているとまではいかないが主婦は談笑し、子供は楽しそうに走り回っていた。老人は羊のような生き物を育てたり、軒先で座っていた。


「おや、最近は旅のお方が多いねぇ。さっき来たべっぴんさんの旦那さんかえ」


 ぼーっと村を眺めていたら後ろから声をかけられたので変な声が出た。見ると小柄な老婆が段差に座っていた。


「いや、そういうんじゃないんすけど。うん、その人今どこにいます?」


「あっこの食堂におると思うなあ。お昼時やからなあ」

 そういうと老婆は俺の手を取り、杖をつきながらゆっくりと食堂のある方向へ歩き出した。少し驚きはしたが老婆の優しさと握られた小さな弱々しい手でいつもの半分の歩幅でゆっくりと歩くことを決めた。食堂に着いた時片岡は食べ終わったあとであった。老婆とわかれ、老婆の友人らしき料理人とその娘たちが作る料理の入ったプレートを貰い、片岡の目の前の席に座った時、ちらっと老婆が親指を上げこちらに突き出しているのが見えた。そのせいで少し吹き出してしまった。

「ん?どうしたアカリくん」


「いえ、なんでもないです」

 腕で口を押さえる。片岡さんは少し不思議そうにしていたが何事も無かったように喋り始めた。


「…上からの要請でね、ここに来てたらしいんだ」


「え?誰が?」


「あいつだよ。勇者」

 勇者、そんなやつもいるんだ。中々別世界感が増したんじゃなかろうか。勇者ねぇ、剣を振るい、魔法を使う、いいねぇ憧れるねぇ。そんな考えが顔に出てたのか。


「違うよ。アカリくんが撥ねたやつさ」

 冗談交じりに弄ってくる。やめてくれよ、まだ結構引きずってんだから。それはそうと、あいつか確か名前は。


東風谷こちなた 彼方かなた、でしょ?でもね、今のあいつはファレル、この世界での選ばれし者、勇者ファレル ガルアーク」


 ファレル、なんだかかっこいい名前貰ってるじゃん。こちとらまだ前世に縛られたままの名前だっちゅうのに。それだけで恨み増えそう。


「で、その勇者が来た村で何を?来るくらいどうってことないんじゃないんすか?」


「それを今から見に行こう」

 大人な笑顔を浮かべた片岡さんであったが、それは俺の完食催促であった、その証拠に人差し指でコンコンと机をつついている。


 見に行くといっても実際は村を散策するだけであった。建築途中なのか屋根が剥がされた民家、積まれたままの大きな木箱、たくさんの荷馬車などを見て歩いた。少し面倒くさがりな気質な所以外は違和感のない普通の村だった。村初めて来たけど。


「あー、ちょっとそこで待ってて。少し連絡を取りたいんだ。連絡手段はあるけど少し時間がかかってしまうからさ」


 少し歩いた時、そう言って片岡は民家の裏へ消えてった。暇を持て余したアカリは民家を見て回る。木造の大きくはない民家の構造を見てはほかの民家に目を移していったところで


「ママ…、タナーが!苦しそうだよ」

 悲しそうな女児の叫び声が聞こえる。民家に向かい叫んでいる傍らには少し大きな犬が横たわっていた。

「大丈夫よ。落ち着いて…見守りましょう」

 母親は娘の横に座り、優しく語りかけていた。

「たなぁ…たなー!しんじゃいや…」


 そんな願いも虚しく、その犬はひっそりとこの世から旅立ったようだった。


 だがなぜか次の瞬間にはその女の子と母親はすくっと立ち上がり手を繋いでいる。

「ママー!今日のおゆうはんはなに?」

「シチューにしようかしら、お利口さんにしてたらお肉増やしてあげるわよ」

「やったー!わたしお肉大好き」


 親子は手を繋ぎゆっくりとアカリの横を歩いていった。愛犬が死ぬことが日常的にあったとしてもしないであろう屈託のない笑顔を見せていた。


(何が起こっている?)

 頭の中が疑問符でいっぱいになった。

「あ、アカリ君おまたせ。意外と遠くに来たもん…」

 ナルは倒れた犬と遠くに見える親子を見てため息をついた。鋭く何かを察したような目線をその親子に注いだ。

「行こうアカリ君、君に見せとかなきゃ行けないものがある」

 そういうとナルはアカリの手を取り急ぎ足で村の通りを真っ直ぐに歩いていった。


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