照る幸福
商店街の東、小さな鍛冶屋の横の小さな通り。そこが闇市と呼ばれる場所。王都の治安改善策によって縮小されたものの未だ極安品から非合法な物までなんでも揃うはみ出しものの通りだ。
「こほっ、なんすかここ。埃っぽくて湿ってて、変な臭い。うげぇ、虫売ってる…」
「まだ入り口だよ?アカリィ。やって貰わなきゃいけないことがあるのに…ほんとにできるの?」
アカリは服の袖で鼻を覆い、顔を顰めていた。一日中何処かしらの影になるというこの通りは露店が左右に立ち、人がすれ違えるかどうかという狭さであった。
五日前――傷だらけで帰ってきた二人に隊長であるドーガムは何も言わず休息と謹慎を命じた。謹慎といっても規模の小さな組織であるディザルトではそれ程の効力を有しない。
ナルはアカリに駆け寄り心配していたが二人が仲良さげに会話しているのを見て不安ながらも自身の反省文を書きに部屋に戻っていった。
「アカリィ、君に探って欲しいことがある」
二日間の謹慎が空けた翌日の昼前、アランはアカリの部屋のドアを乱雑に開けて言った。
「っ?…なんですか?いきなり」
「僕は闇市で色々聞いて回り過ぎたっぽくて、あいつらなんか隠してんだよ。でもそれがわかんないんだよねぇ… 」
突然の訪問にアカリは少し戸惑ったが流される様に会話を続けてしまう。
「いやー、あの頃は荒れてたからさ。色々目立っちゃって、っね! 例の薬物の事片っ端から調べてたから怪しまれてたのか全く情報が入ってこなくなっちゃって… 」
「何やってるんですか…まったく。…というか」
その綺麗過ぎる顔のせいでは?そういう業界ならではのハニートラップへの異常なまでの警戒からでは?…とは言えない。
「というか何? 」
「い、いやー作戦とかってあったりするのかなって… 」
「いや、アカリィが代わりに探ってくるだけだけど? 」
きょとんとした顔を見せるアランに思わずため息が出るアカリだったが、考えても作戦を立てるには疑問点が多すぎるのだ。
「…そもそも何故その薬物が出てこないんでしょうか? 」
アカリは疑問をそのまま口に出した。アランが調べただけでも歩死の患者は既に20人を超えている。それなのに体内からはそれらしき薬の成分は含まれていなかった。そして″流通しているはずのエリクサー″はアランが探しても手がかりすら掴めない。この乖離が彼ら二人をその場に留める要因の一つとなっていた。
「…正直分からない。ルーシーを実験に使いたくはないし、僕が捕まえたやつもちょっとした検証にしか使えない。…なにせ人間だからね」
迷いを一つ零した。
――人間だから――その言葉はアランにとって生命線の様な言葉だった。様々な感情と怒りがその言葉を土台として積み上がってきていた。崩れ去る恐怖と彼の愛情はどう足掻いても同じ行き先であった。
「だけど歩死病が存在する限りその原因であるエリクサーも存在する。治す方法もきっとある」
だが同時にアランは何かが吹っ切れたような清々しくもある目付きに変わっていた。
「って事で、出動だよ!アカリィ! 」
手を叩いてアカリを急かす。
「…やれるだけやってみます。でも薬物を探すなんて俺にできるんですかね」
「それに関しては大丈夫!頼もしい助っ人を連れていくからさ! 」
親指を上にあげ笑顔で答えるアランは少し頼もしく感じた…無策であることを除けば、だが。
――突如廊下を駆けてくる音が聞こえる。窓枠はカタカタと揺れだし、二人はその音の方を向き少し警戒したような様子を見せる。
開いたままの扉には長い黒髪が横切り通り過ぎたと思ったらナルが枠を掴み顔を出しアカリに呼びかけた。
「アカリ君!謹慎明けただろ?ご飯に行こう! …ってアランもいるのか。うーん、来る? 」
通りは賑わいを持ち、多くの人が昼のひと時を満喫していた。革の前掛けを着けたままの筋骨隆々の男達や防具を身につけた者たちで溢れかえっていた。
「…いつきても慣れないなここは」
アランがポケットに手を入れ少し前傾姿勢になってため息をついた。
「まぁ、近くに勇者所属の同業者組合があるからな〜。日の光を堂々と浴びられないアランさんは窮屈かも知れませんねぇ〜 」
「そういう事言える立場ですかー?反省文ライタぁーさん?? 」
ニヤニヤとアランの方を向いて煽っているナルとそれに反撃するアランの放つ言葉には少しずつ罵倒が混ざってきていたがその言葉に棘はなく、アカリにはどうも二人がじゃれあっているようにしか見えなかった。
ナルが連れてきた店は少し周りの建物とは雰囲気の異なる店だった。その外観は薄暗い木造で二階部分には窓全てを覆うほどの植物が鬱蒼と生い茂っていた。少なくとも飲食店の見た目ではない。
「ここ…ですか?ほんとにここ…?看板もないし、客もいませんけど」
「ここのはずなんだけど…」
ナルは自分の情報と目の前の建物の落差に若干の不安を覚えていた。
「まぁ入ろうよ。天下のナルが連れてきた店なんだ、トんじまう事間違いなしだよアカリィ! 」
ナルはムッとし店の扉を少し乱暴に開く。中は薄暗いが肉を焼いた様な良い匂いが立ち込めていた。カウンター席が縦にずらっと並びテーブルの上にはうす暗い光に照らされて淡い黄色の花が差してあった。
「らっしゃい!すーきな席どこでもかけぅていって」
独特な訛りのある店主が笑顔で迎える。鍋を振る音が聞こえ、そのリズムと合わさるとどこか心地よい。
「…意外と良さそうな店です、ね」
アカリがナルの方を見た時にはナルは自分の予想通りだったとドヤ顔でアランを見つめていた。
三人はどうせならと店主に近いカウンターにアカリを真ん中に置く形で座った。アカリが目の前のメニュー表を吟味する。
「ギアヌヤボ…ボボスモ。これなんて発音するんだ? ヌグュ、ヌギ…」
(これが異世界の言葉っ…!!??わからない…これがワールドギャップというやつなのか?)
アカリは何故か言葉の理解ができた。だがその世界の言葉は″読めるだけ″なのである。そのためアカリには恐らく食べ物だということしか分からないその名称を反芻することしかできないのであった。
(…これは、こっちの人にしか分からないやつだ。大人しく二人に聞こう! )
アカリが右を向く。
メニューを両手で持ち眼球が接してしまうほどに顔を近づけわなわなと目の前の文字列を観察し、イラつきが抑えられず手が震えるナルがいた。
(あ、この人ダメだ…!)
アカリは左を向いた。
そこには真っ直ぐ通った鼻筋をなぞり、目をつぶるアランがいた。今にも唸り声が聞こえそうなほどで力の入った眉間は金剛力士像の様であった。
(こっちもなの!?)
二人はちらちらとお互いの事を見て、気まずそうにする。あれだけお互いを煽りあった手前、分からないというのは弱点を相手に晒すようなものなのであった。
「ごちゅーも、おきまりぃです?」
店主が厨房から出てきて言う。細身で肌ツヤのいい色黒の男だった。首元に赤い線の簡素なタトゥーが刻まれていた。
アカリは二人の代わりにメニューについて聞くことにした。
「あのー、このギアヌヤボ?ってどんな料理ですか? 」
「ギアヌヤボ?ギアヌルォをジャーして…ショトゥといーしょにだしま、ス」
「…じゃあボボスモは? 」
「ショトゥにチャジャスンのせーた、食べる」
アカリが左を向くとアランが今与えられた情報で考察を始め、ブツブツと呟いていた。
「…ふたつに共通するショトゥは穀物か? ギアヌルォは生もので火を通すことをジャーと言えば合点はいく。問題はチャジャスンか…情報が少な過ぎる…クソ! こんな事でスマートドラッグの必要性に気付くとは…F××k'nチャジャスン! 」
右を向けばナルは既に椅子にもたれかかりぼーっと天井の淡い電灯を見ていた。プスプスと脳の回路がショートするようにも見えた。
勿論、この他にもいくつかメニューはあったがアカリにはそもそも読めない。唯一読めるこのふたつが何となく安全そうに見えた。
「じゃあ…俺、ギアヌヤボで」
アカリがそう発音した瞬間両脇から
「「同じのを!!」」
数々の難所?を突破し、注文まで漕ぎ着けた三人は不思議な達成感と疲労感に包まれていた。そのせいか三人は皿が到着するまでの数分間、何も喋ろうとしなかった。何かを焼く音と包丁がまな板に当たる音を聞き、静かに待っていた。
「おーまたしました」
その時は唐突にくる――カウンターに皿が置かれその白い光沢に手を伸ばす。
出てきたのはなにかの肉を焼いたものを米と一緒のさらに盛り付けたものだった。肉は何度か潜らせて焼いているようなソースの少し焦げた香ばしい香りと炭火の匂い。視界を塞ごうとする湯気には脂のがキラキラと反応する。付け合せの野菜は綺麗な赤や緑の野菜が盛り付けられ、ライスはふっくらと角がたち肉のソースがちょっぴりと侵食する。
アカリとナルは手を合わせ、無心で食べ始めるアランに続きその肉を頬張った。口の中には卒倒するほどの強烈な旨みと香辛料の香りが鼻腔や口内を殴り飛ばし、それを白米の存在が正気に戻す。
付け合せの野菜の苦味や酸味、歯応えは心地よく箸休めとしての役割を放棄せざるを得ないほどにフォークを持つ手を止められない。
ナルは米の一粒一粒を丁寧に食べきり、カウンターに三人分の料金を置いて店を出た。
通りはすでに午後の仕事に取り掛かっていたのか少し寂しく雲間から差し込む日の光は三人の幸福感を表している様だった。
「「「…また来よ 」」」
呟きは重なり、本部へと帰還する三人は何とも言えない幸福感に包まれていた。
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