非現の炎

 あの事故があった後、母はどれだけ生きづらかったであろうか。息子が人を轢いた、そのひとつの行いで彼女はどれだけの罪を自分で背負い込んだのだろうか。母が死んだあと、俺の周りには人はいなかった。人を殺したという事実は想像以上に人との間に壁を作るものだ。


 異世界へと生きる場所を移した。ここは命のやり取りが多すぎる。弱いものはヒーローにすら利用され、奪われるだけ奪われる。それを目の当たりにした時、俺は何をしていた?ボドラスと対峙した際、足がすくんみ逃げた俺はあの光景を――あの二人を見て初めて血を流すことを許容できた。


 そういう事は大抵、平穏な日に思い出すのだ。今日のような。


 魔法を出せないまま手を前に出し立つだけの俺を見て、アランが笑う。それは平穏というに相応しかった。


「アカリィ、魔法ってのは意志の力が関係してくるんだ。何かのしたいっていう一種の願望が無ければ魔法ってのは使えない。基本的には魔法は体系化された方法だから君も使えるはずだよ、頑張って」


 考える。俺はどうしたいか、何をしたいのか。復讐なのか?それとも…。


 目を閉じる。なんか分からないけど閉じたくなった。空気を取り込む感覚、身体中に巡らせる感覚、手のひらの上で練り上げる感覚、それらのイメージを数回繰り返す。手のひらで何かに火がつくような温かい感覚がした。それは紙の端に火がついたようなすぐにでも燃え尽きてしまうような気がした。吹子で空気を送り込むように届けるイメージを頭の中で続ける。火が灯った。目をつぶっていてもそれは分かった。


 だが、頭の中に過去が流れ込む。仕組まれた死亡事故、死んだ母親、勇者によって人が死ぬ事への悲しみを奪われた人々。それは全て勇者への憎悪に変わる。炎は揺らぎ、赤黒く変色した。


 ユウシャヲコロセ、フウシュウヲカンスイシロ


 炎は大きくなり、色はどんどん黒く変色する。お前の使命は復讐だと、炎が語りかけてくるような気がしてくる。それはすぐに周りに燃え広がり気づけばアカリを飲み込んだ。


 アカリが目を開けた時、目の前は無機質な白い建物が木々の中にぽつりと建っていた。黒い服を着た人々がその建物に入っていった。柱に立てかけられた文字を見て気づく、母親だ。母親の葬式、参列していない――存在しないはずの記憶。

(だって、俺は)

 アカリは急いで扉に向かう。




 葬式は親族のみの、簡素なものだった。親族の中でも人殺しの親を弔いたくはないと拒否した人は何人かいたし、葬儀中俺の事を冷ややかな目で見る者もいた。告別式が終わり、皆が火葬場に集った。綺麗に化粧をされた母親の骨を集めて、喉仏を乗せた時、俺は泣いていた。泣いていたはずなんだ。


 俺の名前の燈は母さんがつけた。誰かのともしびとなるようにと。幼少期の俺は自分の名前が女の子のようだと嫌っていた。


 灯火が復讐に囚われた赤黒い炎であった時、人々はそれを頼りに前へ進めるだろうか。


 誰かを送り出す炎が憎悪にまみれていたら彼らは安らかに還れるのだろうか。


 あの時も、火葬場に運ばれる母親を見て願ったのだ。


 ――燃えるならせめて優しくあってくれ――


 揺らぐ炎は落ち着き、色は黄色く静かに燃え始めた。目を開けると手には頭の中と同じ火が燃えていた。アランと目が会い、安堵の笑みが零れる。


「ブラボー、アカリ。さっきも言った通り、魔法ってのは意志に大きく左右されちゃうから今の忘れちゃダメだよ。不安定になっちゃうとトブほど効くやつ処方しちゃうからね」


 足元を見ると草が少し焦げたような跡がある。あの時引火したのを消してくれていたのだろうか。悪い人では無いんだろうなこの人、やばい人であることは間違いないけど。


「よーし、このまま強くなっちゃえばお目当てのルーフィー君も敵じゃないよ!ラリってても勝てちまうよ!」


「ルーフィー?勇者のことですか?」


「僕なりのニックネームだよ。あんなに周りに女の子ばっかいたら誰でも疑うだろ?」


 説明されても意味がわからないのは慣れてきた気がする。こういうのはスルーするのがベストだろう。今まであってきたことの無いタイプで苦戦を強いられそうではあったがスルーすればどうってことは無い。


「それに彼は見ているところが違う気がするんだ。彼の正義は彼の周りのヤツの願望そのものって感じで。彼は世界最強クラスの願いを叶える機械みたいなものなんだ」


 遠くを見るように喋りだした。楽観とはまた違う、悟るような目だった。


 その時、物音がした。茂みの中にガサガサと音がする。何者かがそこにいるのは間違いなかった。咄嗟に身構え、さっきのイメージを起こし、火をつける。


 それは――人だった。正確には人の形をした何かだった。肌には血の気がなく、全身は脱力していた。呻くような低い音が口からは漏れていた。人であったという痕跡は体の至る所に残っていた。


 アランは制止するように手を出し、小さく言った。


「僕に任せて、いいとこってのはこういう時に見せるもんだよねー!サンキュー、偶然」


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