決意と鮮血
「この世界に麻酔ってのがあるのかは分かんないんだけど僕がやろうとしてるのはそういう事なんだ」
案があると微笑んだファレルは説明を続けた。
「ますい…?なんだそれは、それがあると潜んでる奴が分かるのか?」
「こっちには無いのか、僕たちの世界では体の中の異常を探したり治したりする時に腹を開くんだけど…」
「ちょ、ちょっ、ちょっと待てファレル。腹を開くだと?何馬鹿げたこと言ってんだ?体の傷とか病気なんて療魔術師か薬師の仕事だろ?なんで戦士が腹かっ捌いて治すんだ、お前の来た世界とやらここより酷くないか…」
目を丸くし驚きが四肢の動きに表れるボドラスに対しその意味に気づいたファレルは徐々に笑いが込み上げてきた。
「ふふっ、違うよボドラス。そうだね、そりゃそうだ。元いた所は魔法の代わりに麻酔ってのがあってそれで痛みを感じなくさせてから腹を開くんだよ」
そうファレルが説明してもなお理解しきれていないボドラスはうーんと唸る。
「そういう…ものなのか、それがあるとしてどうやって」
ボドラスの疑問に食い気味にで説明挟んだ。
「簡単だよ、患者全員に麻酔をかける。痛みのないように」
***
目の前の壁が崩れる。煉瓦は砕け、破片がパラパラとアカリの頭に飛んでくる。
あの怪物――ボドラスはもう既に人間の精神を放棄していた。アカリを殺すという目的のみに行動する、本能に取り憑かれていた。
ナルがいたはずのところには未だ粉塵が漂い姿が見えない。アカリは血だらけのボドラスを見た時真っ先に足を動かした。ライオンを見たガゼルのような、捕食者から逃げる本能。ボドラスもアカリも本能に操られているという点では同じであった。
「小僧ォ!逃げるか、お前は逃げて生き延びるか!いいぞ、いいぞ!それでこそ殺しがいがあるというもの!」
次々と金属片を放ち、周囲の建物を倒壊させていく。アカリの逃げる先を塞ぎ、いたぶり殺す事だけを考えるボドラスは自然と笑みが、あのニタニタとした奇妙な顔が戻ってきていた。
アカリは倒壊した民家の瓦礫の上を走り、破片による切り傷を作りながらも逃げ続けた。
広場へとたどり着く。ひび割れていて、所々濡れていた。開けていて隠れられない広場はアカリにとってはリングにあがらされたも同然であった。
「…やべ、どっか隠れるとこ」
見渡すアカリの足元に飛んできた金属片が刺さる。
「ッっつ....! 」
アキレス腱からはわずかに逸れたが回転を続け食い込んでくる。その痛みにしゃがみ込むがボドラスの地を揺らすような足跡を耳で受け止める。振り返れば側頭を切り、立ち上がれば太腿に突き刺さる。激しい痛みと絶望が鮮血と共に飛び散った。
動けないでいるアカリの襟元を掴み、引き上げたままボドラスは苦痛に耐えていたアカリの顔に追撃を加えた。
「…お前は、オマえは!あの女のように!どう歯向かって来るのか。見モの見もノ見ものォ!! 」
数発の拳がさらに追い討ちをかけ、周りを赤く散布した。アカリはもう二度目の生の帰路へと立たされていた。頬は腫れ寒々とした空気が痛覚を啄く。一つ二つと拳が当たる度何を吐いているのかも分からなくなる。
意識は朦朧とし、なにかが流れ出る感覚は止められない。痛みと血液の不足による身体機能の低下は体全体の脱力と瞼を落としていった。
「…あんたは!なぜ俺らを殺す?マカスも、フルーソもみんな殺した!あいつらは嬉々として酒の席では家族の話をしてたんだ…。あんたは…勇者様じゃあ無かったってのか…? 」
誰かの叫びがアカリの意識を乱暴に起こす。アカリの隣の男は手足を拘束され困惑し、ただ叫びただ泣いていた。
「お前らもなんなんだよ…なんで家族が、恋人が死んでそんな顔ができるんだ。あんたらはほんとに人間なのかよ。…なんであいつらは殺されたんだよ!教えてくれよ。わかんないんだ、わかんないんだよ! 」
その声は目の前の影に向かって放たれていた。シルエットは徐々に明確になっていき、その印象的な赤い目が現れる。それを起点に視界が開け始める。
目の前の赤い目の男、写真で見た――勇者――。
そのまわりには数人の武器を持った男、女。その中には血に染っていないボドラスがこちらに殺意を向けていた。
勇者が口を開く。
「 …君たちが始めたことじゃないか。擬態を解け、魔物。それとも最後までそのままでいたいのか?何人もの村の人を殺しておいて… 」
勇者は腰の剣に手をかけ臨戦体勢をとった。後ろのボドラスも腰の金属片を装填し、正面で構えた。
「 アルト…!ああ、私は…。駄目よ、死んじゃ!逃げて、逃げてよっ! 」
背後から女性の声がする。周りの住人に取り押さえられたまま泣き叫び、武器を向けられているその男に訴えかけるかのように叫び続けた。アルトと呼ばれた男はその声に気づき、震えながら振り返る。
「 ルティ…!君は正常なのか…?君は君のままなのか…。良かった」
零れてしまう涙は頬を伝い続け、それを拭うことは出来ない。触れるために這いずることも許されなかった。それでもアルトはルティに向かって叫ぶ。
「ルティ!君に渡したかったものが、見せたかったものが…言いたかったことが! 」
「私もよアルト…私はまだ言ってない!こんな時まで秘めたままで…。まだあなたに、あぁ…アルト! 」
勇者は剣を振るう。アルトの生命の糸を切るように軽く首の裏をなぞった。
「私、まだ言ってないの!貴方に愛して… 」
アルトの目の色が消える。ルティの叫び声はアルトが地面に倒れるとピタリと止んだ。ルティはぼーっと色の消えた目で目の前の死体を見つめると濡れた顔を指で拭い不思議そうに見つめるだけだった。
「これで最後だね。これでやっとこの村の人々は穏やかに暮らせるんだ 」
「 流石はファレル様です…このリリア感服致しました。魔物を倒す雄姿…かっこよかったですわ」
暗くなる視界の中で勇者たちの会話が聞こえた。ただそれだけ。
暗闇の中で無数の視線を感じる。動けないままでいるその体から唯一の伝達手段を用いて訴えかけるようなそんな視線。自分が殺してしまった人間が目の前で人を殺した。いや、正確に言えば過去に殺した、だ。それはどのようなめぐり合わせであろうか。俺が――あの世界の勇者――を殺さなければこの世界の彼らは殺されなかったのだろうか。もっと早く死んでいれば違う結果に、あの二人の男女は幸せに暮らしていたのだろうか。わからない、わからないけど。
(...彼らの意志は)
アカリの目が開く。ボドラスはアカリの目を見て何かを察知しすぐさま広場の中央へ向かって投げた。三度ほど弾み、転がる。血の流れる腕を抑えることもせず、擦り破れた服を気にすることもなくただアカリは視線をボドラスから離さないままにした。ボドラスは何か妙に感じ金属片を装填する。
「こ、小僧。やっと殺される覚悟ができたか?望む通りに殺してやるヨ、撲殺か出血多量か」
血の乾いた口元がボドラスのゆがんだ笑みを赤く装飾していた。
「どっちでもいいよ、違いわかんないし」
アカリは何かを確信していた。何かがアカリの中をからこの場全体を覆うような変化。それが瞳孔にも現れていたのをボドラスも感じとり、動揺していた。
ボドラスが三発の金属片を打ち込んだ。焦りからくる標準のズレで二つは横に逸れるが最後の一発はアカリの左半身、肋骨の当たりを捉えた。
「当たったァ!!!そのままだ、心臓にィ!!」
ボドラスが下衆な笑い顔を浮かべ高らかに笑う。その食い込む金属片を、肋骨を少しずつ削り心臓に到達する様を想像してにやつき目を見開いて凝視する。
金属片が皮膚に到達し鮮やかな赤が金属片の先から溢れ出す。だがその赤い血液はボドラスの所期とは裏腹に金属片を包み込み、体内へと引き摺りこんだ。ボドラスは
「....俺は死んだ人たちの意志も絶望も血の一滴に至るまで背負っていくよ。俺が始めちゃったようなもんだから」
「だからどうした小僧ォ!お前が死ねば俺はいつまでも人をコロせる、痛ぶレル!シね、お、お前は!俺がコロす! 」
ボドラスは装填した金属片を高速で回転させ始め、魔力を込めて射出した。高速で回転する金属片は少しずつ欠け粉々になるもそのまま地面の石を巻き込みアカリに向かう。
「
アカリに呼応するように周囲の石畳の隙間やひび割れが赤く光り始める。それは毛細血管の様に広く細く広がりボドラスの足元にすら到達し、更に広がり続ける。回転する魔力塊に赤く伸び、纏つくと巻きつき回転を止めた。ボドラスの流した血液にもそれらは伸び、暴れる猛獣をロープで括り付けるように無数の血液が動きを止めていた。
「なんだ、なんなんだよこれはァ!!!外せ、邪魔だ。…殺せないジャないカ!あァ! 」
ボドラスは暴れ、剥き出しの殺意をアカリに向ける。目はギラギラと血走り、暴れ、拘束を解こうと必死にもがく。
アカリは今までにない程の直接的な憎悪と殺意を向けられ少し臆した。それは血液の拘束をほんの少しだけ緩める事になった。ボドラスはその瞬間を見逃さず拘束を振り切りアカリへと手を伸ばし掴みかかる。
「ころス…殺ス、殺すコロスコロスッ!」
だがボドラスの足は動かない。血液の拘束はすでに動けるほどに解けていた、だが動かなかった。アカリは目を瞑り顔を手で覆っていたため、何が起きているかはわからなかったが
「…危なかった。はぁはぁ、
「ごめんッ!アカリくーん、寝てたッ!」
遠くから叫んでいる声がする。ナルが必死にアカリの方へ呼びかけている。
アカリの血液は他人の魔力へと向かっていた。ボドラスの金属片にも、倒れていたナルの魔力にも反応し向かっていったのだ。そしてそれは魔力の伝達役として機能した。ナルの氷を生成する力はアカリの血液を通り、ボドラスを拘束していた残り少ない血液を経由して足元を凍らせた。
ボドラスは声とは言い難い音の羅列を叫び、足元から凍っていった。それは巨大な氷塊となり、辺りは残響とアカリの息の切れる音だけが残っていた。
景色が逆転し、空を目の前に瞼が落ちる。異世界の黄昏時も何故だかアカリには懐かしく感じて仕方がなかった。
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