効力無しの時薬②

 髪飾りは12歳の誕生日にアランが送ったものだった。白い花のついた銀の髪飾り、嬉しそうに笑いながら装着する姿はそれこそ花のような可愛らしさだったことを彼は覚えていた。


 今、その花のような笑顔は無い。白く透き通った肌は濁り、目は生気を失っていた。その髪飾りだけが変わらず彩りを与えていた。


「ルーシー?母さんはどこ?今は夕方だから近所の露店かな、それなら今日は兄ちゃんがご飯を作ってあげよう。ルーシーが好きだったポトフを作ろうかな」


 アランはキッチンへ立ち、手際よく人参を切っていった。静かな部屋に包丁と、まな板の小刻みな音が広がる。だがすぐにその手は震え、切るリズムは不規則なものへと変化した。鍋が沸き、野菜が煮込まれるのを見ていると体中に力が入らなくなった。


 アランは呆然と座り込む。嗚咽が込み上げてきて涙とともに床に落ちた。


「間に合わなかった、ルーシー…母さん」


 ひとしきり泣いたあとアランはカバンに荷物を持って詰め始めた。振り返り、妹にしばしの別れを告げる。


「ルーシー、必ず直して見せるから。すぐに帰ってくるよ。今って女の子は何が好きなんだろ?お土産、聞いてみるね」


 扉越しに語り掛け、その前にポトフの入った器を置く。家を出るその足取りは重い。玄関でなぜか小さく感じた家の中を一通り見まわすとテーブルに白いものが見えた。それはアランにあてた手紙であった。中にはきれいな花柄の便せんににじんだ字でアランへと書いてあった。それを開けて読むことはその時はできず、大事にカバンの中に入れて家に別れを告げた。


「僕が…待っててね」


 ****


 王都に戻り、アランは手がかりをつかむことに傾倒した。犯人はおろか、出所さえつかめず金と時間だけが失われていった。そんなある日、市場に買い物をしようと出かけたときのことだった。金もなく、焦りと失った時間だけが積み重なって、アランの心は荒みきっていた。熟れた果実や銀のアクセサリーを見て空虚な時を過ごすというただの時間つぶしであった。


 ある日市場の端にある魔道具を見ていた時、アランの横を見覚えのある人影が通った。これを逃してはいけないという焦燥感と直感がアランの足を加速させた。


「....先輩?ですよね。なんですかそのだっせえかっこ」

 裏路地に歩くみすぼらしい男を呼び止める。アランもやつれてはいたがこの男の変わりように比べたらかわいいものだった。男は、浮浪者のような身なりの汚れた人へと変化していた。服はところどころ破け、髪の毛は手入れされておらずぼさぼさと四方八方に伸びていた。


「....ア、アランか。すまない、金がなかったんだ。薬局勤務なんかじゃ到底払えねー金額になっちまってた。薬師のやることじゃねえよな…でもあいつには逆らえねえ。お願いだ、そっとしといてくれ」



「…一つだけ答えてくださいよ。僕の妹に薬を売ったのはあんたか?サンダム」


「妹?ああ、カンギュナの、薬は売っていた、が俺にはあれは作れない…ほ、ほんっとだっ」


 サンダムは突如手と何本か無くなっていた歯をガタガタと震わせていた。その震える手でポケットから白い錠剤をいくつか取り出すとそれを呑み、息を切らしながらゆっくりと呼吸をする。


「知らないんだ本当に、いつの間にかこんなふうになって、金稼がなくちゃいけなくなって、体が剥がれていってるような気がして。あのおん、がらた、はっぁ」


 せき込み、身震いをするサンダムは働いていたころの気力や熱意などはなく、人間味すら失いかけていた。


「もういいよ先輩、あんたじゃないってわかっただけで僕は道で小銭を拾ったみたいな高揚感なんだ。邪魔をしないでくださいよ、さっさと犯人探さないと」


 踵を返して立ち去ろうとするアランにサンダムは話しかけた。


「アラン…なんていうか、変わったな。」

「変わってなんかいないですよ。人間ってのは簡単に変われないし変わらない。変わるのはいつも外側だけなんですよ。…ほら、俺らみたいに」


 二人の顔と服を差し、うっすらと笑う。笑いあう姿は勤務中の二人そのもので二人は懐かしさともう戻ってこれないところまで足踏みいれてしまったという悲しみをかみしめていた。


「…どっかで道を間違えた。の本性を垣間見たときには俺という男の人生は腐っていた」


 突如人が変わったように真剣な目をしたサンダムはアランに言った。


「勇者のエリクサーは存在する。実際、王族の奴らが騒いでたからな。だからこそのこの惨状だ。俺にはもう無理だ、身体が言うこと効かねぇ。アラン、気をつけろ。本物は見たことがない」


 夕暮れの大通りに急かされるように裏路地は闇を作り始めた。サンダムは震える手を動かし、虫を払う仕草でアランに帰るよう促した。


「じゃあな、アラン。ヤク作って生きてくのも悪くないかもな。…冗談だよ 」


「悪くないかもしんないね先輩。あんたこそそれ以上薬に飲まれんなよ。ハイにはなっても灰にはならんようにね…!」


 アランは腹を抱えながら大通りに向かって歩き出す。空を鳥たちが騒ぎながら横断する。夕日は少しずつアランの顔を橙色に照らし、引き戻すように包み込む。笑い顔の眼差しは変わり、口は固く結ばれる。


 夕日で全てが照らされる一歩手前、アランは立ち止まり呟いた。


「またね、先輩」


 大通りの談笑はより大きくなりそれが後ろに聞こえたかは定かではない。




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