第五話 報われない努力は、苦しいだけ。

「どう?」

「ドッヂボールでいいって言ってなかったっけ?」

「まあ、そうなんだけど、やっぱり一捻りしたいというか、同じことやるより挑戦した方がいい思い出になるかなって」

 僕は唄の考えた球技大会の案が書かれたプリントを眺めていた。一年生がバレーボール、二年生がバスケットボール、三年生がサッカー。僕にはこの案が、今までの球技大会の内容をダメ出しするようなものに見えなくもなかった。

「これ、通るのか?」

「生徒会主体だし、生徒会顧問もあんな感じだから、大丈夫じゃない?」

 確かに米村先生がいちいち口を出すとも思えない。

「運営は体育委員に投げるんでしょ?」

「まあ、そうだね」

「じゃあ月曜日までに体育委員が運営しやすいように、スケジュール表とか役割分担表作っとかないとね」

 プリントを唄に返した。

「そうだね」

「いや、僕やるよ」

 流石に僕も何かがしたかった。唄がやる分には構わないけど、副会長という立ち位置もあって、何もやらないわけにはいかない。

 でも彼女は首を横に振った。

「うんうん、いいよ。私やるよ」

 なんでそこまで頑張るのだろうか。元々こういう学級委員だったり、文化祭実行委員だったりの面倒くさい仕事への理解があまりない僕は余計にそれを感じた。

 僕より遥かに忙しいはずだった。学校の宿題などは皆あるとしても、USとしての仕事や、周りに人が多いと付き合いとかもあって、それのせいで時間が割かれるだろうし。それでも唄は仕事を自ら受け持つ。やっぱり意味がわからないけど、そんなにやりたいならやらせておいていいかな。

 僕もやりたく無いからWin-Winだし。


 土日を挟んで月曜日になった。体育委員を集めて、唄を中心に今年の異例な球技大会の会議が進められた。唄が今年はドッヂボールじゃないという話をした時、体育委員たちはヒソヒソと小言を言っていたが、唄はそれを無視して話を続けた。唄はいつも自分のやることに自信があるように見えるし、それを黙らせるだけの計画性が、今回の球技大会にはあった。僕はホワイトボードに重要事項をまとめたり、活動報告書に決まったことを書き記していくというだけの単純作業をしていた。やはり白砂唄は完璧だった。終始トラブルなく、決めなければいけない内容を時間内に全て決定させた。全てが彼女の力量だった。

 僕は今日、改めて白砂唄という女子を再認識した。


 1


「明日の球技大会うまくいくといいね」

「うん」

 そこで電話を切った。白砂唄に出会ってからすでに一ヶ月以上が経っていた。僕らは変わらず、飽きないで電話をしていた。特に関係が深くなったというわけでもない。ただ淡々とちょうどいい距離感を保ち続けていた。唄にバレないように、関係が深くなりすぎないように時にそっけなくしたりして、上手く制御していた。唄には悪いけど、僕はこれ以上唄と仲良くなりたくない。唄だけじゃない、誰とも仲良くなりたくない。

 

 2


「なあ、新一。誰のために命を投げ出したんだよ。よく命は平等って言うけど、そんなこと微塵もないと思う。平等なら、人のために行動した新一が死ぬのおかしいだろ? 俺さ、唄っていう子と事情があって毎日、電話してるんだよ。多分、僕の中で石川と同じくらいの仲にまでなった気がしてる。新一の次に仲良くしてる。でも僕は二人の代わりに命を捨てろと言われたら⋯⋯多分、無理だよ。

 その失った命で、その子本当に助けられたのかよ。もしかしたら苦しんでるかもしんないぞ? 

 ……ごめん。言いすぎた。おやすみ」

 僕は聴こえているはずもない新一に話しかけていた。別に見えるわけでもなかった。見えている気もしなかった。

 嫌味のように言った言葉を自分で反芻して、前言撤回した。僕はどこかおかしいのかも知れない。

 いや、なんならずっと前からおかしい。


 3


 球技大会当日、学校の体育館は熱気で埋め尽くされていた。そんな中、僕と石川はその雰囲気についていけず、端っこにいた。静かに皆が激しく動く光景を眺めていた。

「ほら見ろよ。白砂さんって運動もできるんだな」

 三つあるコートの真ん中に唄がいた。当然、僕も唄のことを見ていた。他に見る人はいなかったし、勝手に目が唄のことを追っていた。

 唄は得点王並みに点数を決めていて、エース級の活躍をしていた。

「本当に何でもできるんだな」

 石川の中で唄の評価はまた上がったみたいだ。

「他校の生徒会長もあんな感じなのかな?」

 僕は石川にそんなことを呟いた。

「俺がそんなもん知ってるわけないだろ。ただ、あのレベルが全校にいるとしたら将来の日本は安泰だな」


 結局、僕の球技大会はスポーツ観戦で終わった。石川は最後一試合だけ出て、バンバン、シュートを決めていた。それを見て、やっぱり僕は出なくて良かったと思った。


 4


「お疲れ様」

 僕が生徒会室で小説を読んでいると、耳元で唄が囁いた。見なくても分かる声だった。運動終わりだからか、熱を含むその声はいつもとは少し違った。言ってしまえば聞いた男たちは皆、欲情するような色気のある声。

「今日は生徒会の集まりないと思うけど?」

 僕はすぐ近くにいるであろう、唄を一切見ずに言った。唄はたまに普通の男子であれば狼狽するような、意味深な行動をしてくることがあった。だけど僕はそんな唄への対応に慣れている。

「それ言うなら、新くんもだと思うけど?」

 唄は僕の前のソファに座って、嫌味のように言ってきた。一度、唄の顔を確認してから、小説に視線を戻した。

「私が来るの待ってたの?」

 再び急に声が近くなって、顔を上げると目の前には大きな水晶が光り輝いていた。もちろん水晶は眼で、目の前の顔は唄だった。小悪魔の振りをする天使のような表情に、心臓の鼓動が速くなるのを感じた。

 生唾を呑んだ。

「どうしたの? 黙り込んじゃって」

 やっぱり僕は普通の男子高校生だった。この状況に狼狽えていた。そしてそんな僕を救うように音楽が鳴った。Adoの『レディメイド』という曲だった。それは唄のポケットから流れていて、すぐに着信音だとわかった。

「いいところだったのに……」

 唄はそう言って電話に出た。

 唄は電話相手に対して、かなり低姿勢だった。親でもなさそうで、友達というわけでもなさそうだった。「はい」、「わかりました」、「すみません」。こき使われるサラリーマンを彷彿とさせる唄の対応を見ていると、何となくやめてほしいと感じた。


 数分して唄は電話を切った。時間にしては長くなかったけど、唄の顔は一気に雲がかかったように暗くなっていた。僕はそんな唄を一瞥して小説を捲った。

「聞かないの?」

 今まで聞いたことないほど、低いトーンだった。

 気にならないわけではないけど、多分僕にはどうしようもないことなんだろうと思った。話しただけで楽になるんなら、僕は新一のことをベラベラと話していたと思う。でもそれは一時の憂さ晴らしに過ぎなくて、現実から目を背けているような気がしたし、空しくもなった。前に石川に新一のことを話した時、そう感じた。言うか言わないかは彼女の勝手だから、どっちとも取れる一番難しい顔を唄に見せた。困らせたかったのかもしれない。何でもできる彼女の不安気な顔が見たかったのかもしれない。でも、彼女の弱った顔は僕のそういう汚い部分を洗い流そうとしてきて、

「……聞くよ」

 やっぱり彼女に負けた。石川唄という存在の弱った顔は見ていて、一ミリも気持ち

良くはなかった。人の不幸は蜜の味、多分それは相手によるんだろう。どんな人の不幸は甘いのだろうか。ただ、唄のような完璧な善人の不幸はとても蜜とは言い難かった。電話をしている時の唄の顔を僕は一度も見たことがなかった。けれど、その時の彼女の顔が今と比較するように脳裏に浮かんできて、僕はその時の唄の顔が一番好きなんだと思った。見たことないのに、自分でも意味がわからない。


「サードシングルを早く出そうって電話だった」

「何が嫌だったの?」

「私、歌詞考えるの得意じゃないんだよね」

「誰かに作詞してもらうとかできないの?」

「考えたけど、私の曲だから私が考えないと、なんか上手く歌えない気がして……」

 プロは皆、変なプライドがあると聞いたことがある。多分、唄のそれは作詞をすることなのだろう。

「そうなんだ」

「来週には完成品を聞かせてほしいって」

「どんくらいできてるの?」

「半分くらい」

「⋯⋯厳しいね」

 四分以上あると考えても、残り二分以上の歌詞を一週間で書けるのだろうか? わからないけど、絶望的な気がしなくもない。

「私、急いでやりたくないんだよね。一曲一曲を最高のものにしたいんだ」

 唄は苦笑するように口角を上げた。

「うん」

「まあ、こうなるのはわかってたけどね」

 彼女は窓のそばに行って、沈みつつある夕日を眺めて言った。

「嫌なこともあるだろうって。だからしょうがないよね。頑張る!」

 それじゃあ、話した意味がないだろ。

 何も解決していないし、彼女は愚痴を言うことにすら罪悪感を覚えたのか、丸く収めようとしてきた。

 何だか、僕は泣きそうになった。その時の唄の作り笑顔は見ていられなかった。

「そうだね」

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