第十三話 何もない、それが一番気持ちいい。
もう、誰もいない。喧騒としていた学校はもうなくて、生徒会室のような静けさが屋上にもあった。
「え⁉︎」
やっと起きた。もうすっかり夜で、僕と唄の文化祭は迎えることなく終わった。唄は今の今まで気を失っていて、僕は目の前で気を失って倒れた唄をおんぶして、屋上に連れてきた。誰の邪魔も入らないところで、ゆっくりさせてあげたかった。唄をおんぶする時に目に入ったのは隈で、寝る間も惜しんで頑張っていたことがわかった。
「どういうこと?」
唄は急に立ち上がって、目を大きく見開いた。
「シンデレラは榊原にやってもらったよ。USの発表の件は桐谷さんに事情話したんだ(殴られそうだったけど)。琴さんには先生に頼んで、心配ないって言ってもらった」
僕の住んでいるところより都会だからか、星も全然見えなかった。だから唄が起きるまでずっと唄のことを見ていた。何よりも綺麗な気がした。そして今も唄を見て話している。唄は僕の言葉を聞いて安心したのか、大きく息を吐いて、ダーという声を出した。
「やっちゃった」
もうここまで来れば、あとの祭りで、唄は全部吹っ切れたように笑った。その顔を見て僕も少し安心できた。
「これからどうする?」
コンクリートの地面に座る僕の横に、唄も腰を下ろした。
「そうだね。お礼に何か一つ言うこと聞こうか!」
隣でこっちを見る唄が横目に入る。目の前には人類の功績の光が広がっていて、そこからは星を見ている時のような静観さは感じられなかった。
「じゃあ、唄が頑張る理由を教えてよ」
唄の目を見て言った。瞳には僕の顔が写っていた。そこに映る僕は唄から見えている僕で、僕がいつも見ている僕よりなんかいい男に見えた気がした。
「⋯⋯いいよ」
唄は下唇を噛んで、少し間を置いた。唄の中でこれを伝える勇気はかなりのものだったんだと思う。唄のこの返答に僕は不謹慎にも少し心が弾んだ。
1
僕と唄はある小学校の門の前に来ていた。「私の人生の分岐点」それがこの学校だという。古臭くて、どこにでもある市立小学校。
「私は小三の頃に死んだんだよ」
何を言っているのかわからなかった。今、隣にいるのは唄だ。それが何かの比喩表現なだということは流石にわかったけれど、やっぱり意味はわからない。
「一回死んだから、そこで私は自分を殺したの」
震えている手が見えた。声も上擦っていた。僕の手は自然と唄の手に伸びていて、軽く包み込むようにして、握った。
「優しいよ、やっぱり」
いつの日か聞いたその言葉。そんなに遠くない日の話のはずなのに、夢の向こう側で言われたような懐かしさが込み上げてきた。
唄は歩き出して、ちょっと離れた横断歩道で止まった。そこは海がよく見える場所で、水平線の位置もはっきりと確認できた。人工物じゃないとなぜか心の波が鎮まった。僕の手の中で震えるものも、段々と小さくなっていった。
「ここでね、私は死ぬはずでさ。でも死ななかったんだ。でも大事な人が代わりに死んだdだ。だから自分を殺したんだよ。この二回目の人生は私のものじゃないから、その人のように生きて、その人になりきって、その人が色々な意味で救うであろう人を、私は助けるって決めたの。だから私は私じゃないの」
はっきりとは何もわからない。でも何となく言いたいことはわかって、僕とは真逆を選んだのが唄だったんだと思った。
「私、何も言ってないよね。でもこういう言い方しかできないよ」
「それでいいよ。話してくれたことが嬉しいさ」
言ってくれた、いつも隠している部分を僕に明かしてくれて、それだけで本当に嬉しかった。
「でも、僕の前ではその人のための唄はやめてほしい。僕は電話している時の唄と一緒にいたいと思うんだ」
「それ告白だよ?」
わかってる。でも今伝えたかった。好きなんて気持ち、今もわからないけど。この間、唄が言っていた好きという気持ちが正しいなら、僕のこれは好きなんだと思う。
「僕の中で失いたくないものはこういう何気ない会話で、落ち着ける場所で、唄との電話だから」
「でも私が新くんの前から逃げちゃうかも」
「その時は追いかけるよ」
「絶対?」
「うん」
もう、絶対失いたくない。大切なものが今ここではっきりとわかった。唄だけは絶対に手放したくない。もう自分の気持ちに嘘はつけなかった。
「海、見に行こうよ」
唄は繋がったままの手を強引に引っ張って、僕も一緒に砂浜へ降りた。制服だけど何も関係ない。砂浜に膝をついて、山を作った。それでトンネルを掘って、向こうには唄の手があった、ザラザラする手はなんか面白くて、勝手に口角が上がった。
「まだ時間あるね」
「明日振り休だけど、いつ帰る?」
「気が済んだらがいい」
今の唄は本気で楽しんでいるのがわかった。柔らかい表情に僕の心も温かくなった。
「わかった。次、どこ行く?」
「山登りたい」
近くの山で検索したら出てきたそこそこ有名そうな山へ向かった。制服のまま登って、ズボンに泥がつくのを感じて、毎回払っていると、「そんなの気にしないの!」と、唄が言ってきた。二時間で登り終えて、頂上から見る景色は絶景だった。
「あそこら辺、私の家じゃない?」
「じゃあ僕の家あそこ?」
「でも、あれ? おかしいな」
絶対に見えるはずのない自分の家を探す唄。僕もそれに乗っかった。こういう馬鹿をしたのは初めてかもしれない。
「全部捨てたーーい!」
山彦を求めたのか、唄は急に叫んだ。その後、僕を見てくしゃっと笑った。
「あー!」
負けじと僕も叫んだ。この後、本当に好きだ! なんてことを言いたかった。
僕は唄が好きで好きで好きで、たまらないのを初めて知った。唄から目が離せなくて、この唄を独り占めしたくて、僕の前でこうして笑っていてほしい。僕はそれを込めて、唄に優しく笑った。
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