第四話 ただ日々を過ごすだけじゃ、成長なんてしない。
「大丈夫か?」
石川が僕の顔を見て言った。心配する言葉のはずなのに、石川の顔は晴れ晴れしていた。
「別に何もないよ」
「いや、いつもより明るく見えたからさ」
「それ酷くないか?」
明るくなったのはいいことなのに、石川の最初の言葉は患者にかけるような言葉だったろ。
「今日、一緒に帰ろうぜ」
「病院?」
「そういうこと。お前も来る? 雫も待ってるぜ」
「……行くよ」
普段は石川の家と僕の家は違う方向だけど、石川が妹の病院に行く時だけ、電車で一緒に帰っていた。石川の母親は石川が小学三年の時に病気で死んでしまったらしい。それに病んだ父親は数年間、石川の妹の雫に当たり散らかして、恐怖心を植え付けた挙句、首を吊って自殺したと聞いた。本当に酷い話だ。だったら僕の親みたいに黙っていなくなってくれた方がマシだったんじゃないかとも思う。雫とは中学三年の時に何回も会っていた。痩せ細っていて、見るに耐えない状態だった。それでも帰る時に決まって、小枝のように細い腕をこちらに振ってきた。「ありがとう。また来てね」その時の笑顔を見ると、僕は胸が痛かった。それから逃げるように高校に入ってからは雫とは会っていなかった。
石川は友達と離れるのが嫌だという理由で、父親を亡くしてからも、転校はせず、電車で小、中を通っていた。だから家の方向が違くて、昔馴染みだけど、帰りは一緒に帰ることはなかった。
僕の家の駅より一つ奥の駅で降りた。山を登ったところにある一階建ての木造の病院。とても静かなところで、一駅を挟むだけで、ここまで世界は変わるものなのかと、最初見た時は呆気にとられたのを覚えている。木々に囲まれた病院はセラピューティック・ガーデンというのを意識しているらしい。自然に囲まれると、ストレスを減らせるんだと看護師さんが言っていた。
病院の中は二年前と何も変わっていなかった。廊下でここの院長である石川の祖父に会った。社交的で、愛想がよく、いつも笑顔で僕を迎え入れてくれる。看護師さんも見慣れた顔が多くて、久しぶりね! などと声をかけてくれた。あの院長の元で働いているからなのか。周りの人の影響でやっぱりそういうのは変わるものなのだろうか。
少し歩くと、雫の部屋についた。突き当たりを左に曲がった最奥の部屋。広々としていて、やっぱり院長の子供だから優遇されているのだろうか。これが親バカならぬじじ馬鹿というものなのだろうか。多分、雫のことを思ってのことなのだろう。本当に良い祖父だ。
「おう、雫!」
「お兄ちゃん!」
大きなベッドに雫を引き立たせるように置かれたぬいぐるみの数々。大きな窓が付いていて、そこからは緑の澄み切った風が吹いていた。
「新兄も来てくれたんだ。久しぶり!」
雫は前に見た時よりもだいぶ顔色が良くなっていた。身長も顔立ちもより大人に近づいていて、何なら別人にすら見えた。
「久しぶり」
雫の笑顔に引き寄せられるように、僕と石川は彼女のいるベッドの横の椅子に腰掛けた。
「爺ちゃんの言う事を聞いて、いい子にしてたか?」
「もう、私そんなこと言われる年齢じゃないし!」
「幾つになったんだっけ?」
僕は一言目何を言おうか迷って、兄妹の話の流れに割り入るように聞いた。
「中二だよ」
「まだまだ子供だな」
石川の言葉に口を膨らませ、雫がムッとした。
「元気そうで良かった」
僕のぽろっと零した言葉に、雫は無邪気な笑顔で返した。そんな雫にまだまだ子供なんだなと感じた。
「そうだ。新は今年の生徒会副会長になったんだぞ」
石川は思い出したように雫に言った。
「え! 新兄そういうことするんだ!」
「僕もすると思ってなかったよ。半ば強制だったけどね」
「そんなことあるの!」
当然の反応に僕は被害者だったことを思い出した。
「まあ美人の会長と二人きりだし、不純だと俺は思うけどな」
「えー、楽しそー」
この二人を見ていると、兄妹は似ているべきなんだと思う。同じように笑って、同じことで嫌そうな顔をして、同じところで共感して。血が繋がっていて、同じ両親から遺伝子を受け持っているんだから、似ていて当たり前なのかもしれない。
けれど新一と僕は全然似ていなかった。こんな感じで僕も新一と似ていれば、もっと上手くクラスに馴染めて、人が寄ってきたのかな、なんて思った。でも、僕は上手くやれないだろう。二人を見ると、新一が頭にチラつく。僕がもし新一のようにしていたとしても、結局、人と関わるのがいつか嫌になって、今みたいに現実から目を背けることに全力を注ぐことになっていたと思う。だから僕は新一とは根本的に違う。一緒になれない。石川と雫を見ていると羨ましいだったり、憧れだったりという感情を抱かなくもなかった。
2
「じゃあな」
石川がそう言って、バッグを持った。だから僕も石川を追うように立ち上がった。
「ありがとう。また来てね」
個室を出る時、雫は前と変わらない言葉で僕に別れを告げた。僕は後ろを振り返って雫の顔を見返した。
「うん」
振り返った僕に、雫は優しく、柔らかい笑みでゆっくり手を振っていた。
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