十九話 辛くても、何もしなかった時間は戻ってこない。
結局、電話はできなかった。何度も寝て忘れようと布団に潜ったけれど、眠ることすらできなかった。電気も全部消して、朝日が出てきたからカーテンを閉めた。今は誰も僕に触れないでほしい。ここまで自分の気持ちに整理がつかないのも初めてだった。全く理解できない。こうなっている全ての可能性を否定した。もしかして、僕たちを捨てた親を見返したかったとか心のどこかで思ってたのか? いやそんなわけない。親の温もりが欲しかったとか? それもないだろ。
プルルルルル。うるさい。放っといてくれ。
プルルルルル。黙れ。関わってくるな。
プルルルルル。⋯⋯⋯⋯⋯⋯。
全てに脱力した。もう生きる気力すら感じられなかった。親が死んだからなんだ。親がいないのが可哀想? じゃあ親の凄さを僕に教えてくれよ。誰もそんなことできない。寂しさ、絶望、嫉妬、羨望、孤独。誰も味わったことないだろ。僕がこんなに一人で頑張ってきたのに。報われない。
ピンポーン。⋯⋯。ピンポーン。⋯⋯⋯⋯。ピンポン、ピンポン、ピンポ、ピン、ピンポーン。
ガチャ。
「入るぞー」
声で米村先生だとわかった。こんな僕を見られたくなくて、布団に潜った。元々包まっていたから、被るだけだった。
床が軋む音がする。どんどん近づいてくるのを感じた。
「あーらーたー」
ガラガラガラ。
「あ、いた。これで無断欠席三日連続だぞ? 何してんだよ」
無理やり布団を剥がされた。見せたくない自分を初めて見られた。
「何ですか? もう、僕に構わないでください」
先生の顔は一切見ずに、胡座をかいた。
「学校来いよ」
「もういいですよ、学校なんて」
「石川が待ってるぞ」
「石川は僕がいなくても生きていけるでしょ」
「そんなことないだろ。教室だって新がいないと釈然としないし」
「それは無理があるでしょ」
先生は言い返せないのか、黙って、
「私だって新がいないと学校がつまらない」
次の手段を使ってきた。
「もういいでしょ! 僕がいなくて困る人いないだろ! ずっと自分の力だけで生きてきたんだ。自業自得だよ! 死んだところで葬式で泣く人すらいない! 何なら誰が金出して葬式なんてするんだ? ⋯⋯だから、僕はいらない。代用効くし、僕じゃなくてもいいん⋯⋯だ」
急に暖かく包まれた。急すぎて何もわからなかった。でも、懐かしい感覚があって、完全とは言えないものの、新一に近い感覚があった。
「ごめんな、新。私が、私が全部、全部悪かったんだ。だから、何があったのか教えてほしい」
先生の声は震えていて、肩が少し濡れた。段々抱き締める力が強くなって、先生が何を言っているのかはわからなかったけれど、気持ちだけは骨の髄までしっかり伝わってきた。
「母が、死にました」
スッと言えてしまった。この不幸を移すように、その言葉は簡単に出てきた。
「辛かったな」
「でも、僕は母と話したこともなければ、顔すら知りません」
「それでも母親は特別なんだよ」
「そういうものですか?」
「そりゃあな。よく今まで一人で頑張ったと思うよ。石川とも唄とも違う、本当の一人を知っているのは新だけだもんな」
「何で、今日来てくれたんですか? 何でそんなに僕に構ってくれるんですか」
「もうちょっと、もうちょっとだけ待ってくれ」
「何でなんですか」
「今じゃないんだ」
「⋯⋯まあ、いいですよ。明日は行きます」
「ありがとう。無理はしなくていいから」
先生は僕の頭をポンポンと、叩いて出ていった。
掛けてある時計は二二時を示していた。久しぶりにカーテンを開けると、星が泣いているように輝いていた。『星泣き』が頭に浮かんだ。それでも唄に電話する気にはなれなかった。明日学校で謝ろう。それで話を聞いて――。
1
「大丈夫だよ! そんなの気にしてない!」
え? 放課後、僕は第一声で謝った。「大変な時に一言も言えなくてごめん」そう言ったら笑顔で返してきた。
「この仕事してて、何もない方が不自然でしょ? 炎上なんてみんなしてるって。だから何とも思ってないよ」
僕が悪かった。僕が家でウジウジしていたから。唄の笑顔は全てを振り切っていて、もう事は全て終わっていたんだとわかった。
2
グローブの感覚は違和感しかなかった。投げるのもキャッチするのも雰囲気でできた。
「何で野球なんだよ」
投げられたボールを投げ返した。
「ただ話すだけだと、しんみりするだけだろ」
石川はそれをまた投げ返してきた。
「もう大丈夫だよ」
石川のボールはぎりぎり届かなくて、芝の地面に転がった。
「明日は修学旅行だぞ? 流石に楽しまなきゃだろ」
拾って、軽く砂を落として、また投げ返した。
「そうだね」
「近くにこんな広い河川敷あったなんてな」
石川はピッチャーのような構えをして、緩いボールを投げてきた。
「前に見た星空はもうちょっと奥だけどね」
「それにしてもこの川汚いよな」
僕も真似して、それっぽくボールを投げてみた。
変に格好つけたボールはあらぬ方向へ飛んでいった。
「どこもこんなもんだよ」
「上流の方は綺麗って言うじゃん?」
石川は川の近くに飛んでいったボールを追いかけて、拾った勢いのまま投げてきた。
「ここ下流でしょ」
「そうじゃなくて、人間がいる場所は汚くなるよなって」
ちょっとサイドスローしてみた。意外とうまくいって、真っ直ぐ飛んだ。
「そうだよ。多分、人間がいなかったらもっと世界が綺麗だったかもね」
「じゃあ世界に希望持つなよ? 希望がなければ絶望もないんだから」
石川はアンダースローで投げてきた。それはソフトボールだ。
「期待の方が適切だよ」
「細かいこと気にすんなって」
高橋礼だっけか。あんな感じをイメージした。そのボールは石川の遥か上空を飛んで、川に落ちた。
「悪い」
「⋯⋯帰るか」
3
「もう電話できなくなるね」
唄と三日ぶりの電話をした。
「修学旅行が終わったらまたできるよ」
唄の少し哀愁を漂わせたトーンに、僕の口調も柔らかくなった。
「久しぶりの電話なのに、またできなくなるんだよ?」
「たった三日だよ。修学旅行中も話せる時あると思うよ」
「どうかなー」
僕もそれは無理な気がした。生徒会室という特別な空間がなければ、僕たちがまともに話せる場所はない。
「大丈夫だよ」
「先生たちもみんな寝た後に抜け出して、会うとか?」
あの夏休みが蘇った。背徳感など忘れて、生徒会室で夜中に会った時のこと。でも、
「だめだよ。今回は四日間もあるんだから、ちゃんと寝ないと」
「⋯⋯確かに」
「まあ、楽しもうよ。それで帰ってきたら、その話いっぱいしよ」
「そうだね」
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