第二十話 本当に強い人間なんていないのかもしれない。
朝五時に学校に着いて、それからバスに乗った。バスで東京駅に向かって、新幹線。
「新は新幹線酔いするか?」
「そんなユニークな酔いは知らない」
「じゃあ俺が窓側な」
石川は先に奥の椅子に座った。僕も隣に座る。そして当然のように米村先生が隣に座ってきた。
「先生、ここなんですか?」
「嬉しいか?」
「そう見えますか?」
僕は最大限の嫌悪を顔にだした。
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「どっちかなあ」
先生は僕の手札に残った二枚のトランプに探りを入れてくる。
「こっちだ」
見事にジョーカーを引き当て、次は僕が引く番になった。
「だー! よし、新待てよ」
先生は引いた手札を後ろに隠し、シャッフルを始めた。得意げに前にトランプを出してきた。僕も先生同様に右のカードを触って、次に左のカードを触って、を三回繰り返した。先生の顔は右を触ると、顎が少ししゃくれて歪んだ。左を触ると、口角が上がった。明らかに左がジョーカーだろう。
僕は躊躇なく右のカードを引いた。
「上がりです」
「⋯⋯顔に出てたか?」
「先生は嘘を吐くとき顎がしゃくれるんだよ!」
隣の石川が嬉しそうに言った。
「昔っから嘘付くのが苦手でな。我慢するとどうしてもな」
「それは生きづらそうですね」
そんな人間がいたことに驚いた。確かに先生は思ったことをズバッと言ってしまうところはあると思う。
「昔なんて嘘言えなかったから、これでもマシになった方なんだぞ」
先生は石川にトランプを返した。
「なんかゲームないのか? テレビゲームとかさ」
「あるわけないでしょ。てかそれアウトだから」
石川がトランプを纏めながら言った。
それからも現地に着くまで知っているトランプの遊び全部とUNOと三人で人狼をやった。当然、人狼は一日目で終わるクソゲーになっていたけど――。
最初に着いたのは奈良公園だった。
「本当にこんなにいるんだな」
僕と石川はみんなが鹿と戯れているのを側から見ていた。
「石川は鹿せんべい買わないの?」
「金の無駄遣いだ」
石川はガムを吐き捨てるように言った。
「僕も同感だ」
僕たちがあげなくても、ここの鹿が飢えることなんてないだろう。だから僕はやっぱり有象無象の一部でしかない。そんなマイナスな気持ちが込み上げてきて、首を横に激しく振った。
「おい、何も持ってないぞ」
いつきたのか、一匹の鹿が寄ってきていた。鹿は石川を見て首をクイクイと動かした。僕たちはどうすることもできなくて、無言で鹿を見つめていると、やがて外方を向いて、仲間たちの元へ歩いて行った。
「たとえばさ」
石川があの鹿を見ながら喋り出した。
「あの鹿は俺たちが何もせずにぼーっとしてたから、遊んであげようかなとか思っていたとしたら?」
「いや、ただの鹿だ」
「いるじゃんか。周りに気を使いすぎて、ぼっち察知能力跳ね上がってる人。そんな感じ」
「僕たちは鹿に気を使わせたのか?」
「ちょっと見てろよ」
石川は腰掛けていた柵を手で跳ね除けて、首の骨を鳴らした。腕をグルグルと回して、僕に微笑む。「よっ」という声と同時に石川は倒立をした。
「え、何してんの?」
意外にも長い間続けて、それを見て色々な人が近づいてきた。接近してくる人を避けるように僕は辺りを見回すと、たくさんの鹿も人と一緒でこちらに注目していた。もちろん全鹿ではないけど、人のようにこっちを見ていた。
ドタ
地面に鈍い音が響いた。
「これで、鹿も俺たちが大丈夫ってわかっただろ?」
石川は尻を地面についたまま、親指を立てた。
「バカだな」
そして石川の周りに人が集まった。みんな意味がわからなくて、色々な声が渦巻いていた。笑う人も、怪訝を示す人も、シンプルにドン引きする人もいた。それでも周りに人が集まった。
二人部屋のホテルに着いた。部屋には風呂があった。入浴は大浴場でも部屋のものでもいいと言っていたから、部屋で済ませた。夕食も食べて、大体二時間くらい二三時消灯まで時間ができた。
「ワードウルフやろうぜ」
「二人でやるもんじゃない」
石川は倒れていたベッドから起き上がって、スマホを取り出した。
「なあ、石川」
石川はスマホをいじって、片手間で「ん?」と返してきた。
「石川は何で僕なんかと一緒にいてくれるんだよ」
前なら聞けなかった質問が喉を通って、言葉になった。今日の石川を見て、改めて思った。石川にとっての僕の価値を教えて欲しかった。
石川は手を止めて、僕の顔を見た。特にいつもと変わらないはずの顔をじっと見てきた。
「⋯⋯今は楽だからだよ」
石川はなぜかジャンパーを着て、ズボンも重ね着をした。
「外行こうぜ」
意図が読めなくて、とりあえず小さく頷いた。
外は木々に囲まれていた。空気が澄んでいて、とても気持ちよかった。でももうすっかり暗かった。空気が冷えていて、たまにブルっと体が震える。
石川は森の中、道でもない方向へ歩き出した。僕は石川の隣をついていく。
「俺が新と話したのいつか覚えてるか?」
「⋯⋯中二の初め」
「名前で前後なのに、何一つ話そうとしないし、ボッチで可哀想だと思って、話しかけたんだよ」
石川は懐かしそうに笑って、目を輝かせていた。
僕の脳裏にも、その時のことがゆっくり蘇ってきた。
「めちゃくちゃ気まずそうに、頑張って話しかけてきたよね。『好きな食べ物教えてよ』って」
石川は顔を手で覆い隠して、大きく息を吐いた。
「しょうがないだろ。俺だって緊張してたんだよ」
「僕が『卵焼き』って言ったら、石川は『俺はオレンジジュース!』だよ? 食べ物って聞いたの石川なのに、何で飲み物なんだよ、ってすっごい思った」
「いいだろ。本当に好きだったんだから」
「あの時、学校で初めて笑った気がする」
「ほら、結果オーライじゃんか」
数分歩いても、石川は歩みを止めなかった。所々、道がぬかっているし、暗すぎて前がよく見えない。
「どこまで行くんだよ。ていうか何で外に来たの?」
「見えてきた」
石川の目の先には開けた視界があった。今までとは違い、そこからは光が差していた。石川は軽く小走りでそこに行った。僕も慎重かつ少し急いで、あとを追った。
崖のようで、前には何もなかった。水平線が見えるくらいに何もなくて、遥か下に古風な温かい光が灯っていた。
「上、見ろよ」
何もない、綺麗な星空。まさに満天の星だった。見慣れている星たちはいつもより気合が入っているように見えた。大きくも見えた。たった数百メートル上がっただけで、距離的には全然変わらないはずなのに、何倍も何十倍も綺麗で大きかった。
「これを見せたかったんだよ。京都行くんなら、綺麗に見えるかなって思ってさ」
言葉が出なかった。圧巻の空。これは表せない。類語もない、言い換えもできない。比喩すらもできない。
「新に呼ばれて行った河川敷で星を見ただろ? あれすごい心に残っててさ。実は雫が逝ってから、何度も雫が夢に出てきて、苦しくなって、目が覚めたんだよ。その度にベランダから空を見上げてさ。星を見ると楽になるんだ。忘れられたんだよ」
石川も同じだったんだ。弱い自分と共感できた気がして、悩みが無くなったわけじゃないのに、気持ちが軽くなった。
「逃げていいって思ったよ。苦しかったら、逃げちゃっていいんだよ。生きていてくれることが雫にとっての妹孝行だ。だから、新はただそこにいてくれるだけでいいんじゃないか? てか、新がいなかったら雫だって、最後まであんな笑ってなかったさ。俺だって、新がいなかったら、今こうして笑顔になれたかすらわかんないぞ」
こっちを向いた新は泣きながら笑っていた。スッと頬を涙が流れ星のように伝っていた。
「やっぱり現実は残酷だよ。期待とか希望とか夢とか見させるくせに、最後はほとんど成功しない。でも成功したとしてもその後、理想とは全く違うものが待ってる。それでまた苦しむんだ」
「まるで見てきたみたいに言うんだな。でもその時のための社会であり、集団生活だと思うぞ。一人じゃ生きていけないんだよ。どんな人でも誰かに助けられて、その人がいるんだ。だからそんな現実に対抗するための友達だ」
「なに言ってんだよ」
臭い台詞。現実でこんな格好つけていうやつなんてまともじゃない。でも、言いたいことも、伝えたいこともなんとなくわかった。
「戻ろうぜ」
「うん」
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