第六話 何気ない約束、その日を噛み締めて。④
あれから二日経って、ご飯すら食べていなかった。何も考えないようにしていた。暗い暗い心に光を見つけることができなくて、全てが手元から離れていったような感覚だった。ずっと、このまま布団の中に篭っていたい。もう人と関わるのが嫌だ。誰とも関わりたくない。怖い。僕と関わる人、全てが死んでしまう。そんな気がした。考えすぎとわかっていても自分のせいだと責め続けた。
スマホが鳴った。
「新か?」
石川だった。元気なのか、それともこの世界に絶望を感じているのか。その声からは何も読み取れなかった。
「うん」
あの一件から僕たちはLINEすらしていなかった。だからどう切り出せばいいのかわからない。いつもなら石川が馬鹿なことを言って、僕が冷静に切り返すみたいな、そういう普通の会話ができなかった。
沈黙がどんどん壁を分厚くしていく。
「あのさ、ディズニー行こうぜ」
壁を壊したのは石川だった。予想もしてなかったといえば嘘になる。何となく言われるかもな、とは思っていた。
「なんで僕が石川と?」
聞くのは野暮かも知れない。理由なんて雫が行きたがっていたからに決まっている。雫のことを思って、代わりに石川と僕が行くんだ。でも石川の言葉で答えが聞きたかった。
「それ、聞くんだな」
石川には僕がそれをわざと聞いていることはわかっているようだった。
「今日、会えるか?」
石川は唐突にそう言ってきた。
「駅前のサイゼ?」
いつも決まってそこだった。そこでドリンクバーを頼んで、石川はオレンジジュースを飲む。雑談なんかをして、爆笑が起こった試しなんてないけど、逆にそれが気楽で心地よくて。
「いや、合わせるよ」
石川は珍しく僕に委ねてきた。
少し考えて、
「じゃあ――」
*
空はすっかり暗くなっていた。僕は河川敷に来ていた。夏のここは暑いけど、風が吹くから生温くても、気持ちいい。その風が体に纏わりついた重苦しい空気を取り払ってくれて、やっぱり現実逃避ができた。
草の上で寝転がっている僕の視線は満天の星に釘付けになっていた。
「おう」
その視界を遮ったのは石川だった。
「石川も一緒にこれしよ」
軽く草本を叩いて、石川に添い寝を促した。
石川は流されるように腰を下ろした。
「綺麗だな……」
石川は徐に口を開いた。
「たまにこうして星を眺めるんだ」
いつでも変わらない星を数えながら言った。
「新って意外とロマンチストなんだな」
「知ってるか? ロマンチストは正確にはロマンチシスト何だってさ。どっちでもいいみたいだけど」
「何だよそれ。小説で知った知識か?」
「まあね」
⋯⋯違う。これは新一が言っていた言葉だ。
それから本当に動いているのかすらわからない星々を僕らはずっと眺めていた。
「⋯⋯雫のためだよ」
石川は急に口を開いて、そう言った。
「何が?」
「質問の答えだよ」
「……そうか」
石川は答えてくれた。答えてくれなくてもよかった。聞くまでもなかった。
「それに俺と新がこのまま疎遠なんて、雫悲しむだろ?」
石川は続けて言った。
「それはないよ」
「確かに」
自転車の一つも通らない、絶景の穴場スポット。望遠鏡なんて持ってない。でも、いや、だからこそ、見えない星は魔法のように思えるんじゃないかなって、夢のように現実とは違う世界に誘ってくれるって。一人で語って一人で丸く収めた。
「石川、ごめん」
勝手に口が動いていた。
「何が?」
石川は僕を少し気持ち悪がった。
「ディズニー行こうか」
今度は僕が提案した。
「ああ、ありがとう」
僕と石川はなんか気恥ずかしくて、顔を合わせられなかった。
「石川、友達になろうよ」
「お前と俺はずっと友達だったろ?」
石川にとってはそうでも多分、僕にとっては違かったと思う。どこか他人で一応、唯一の話せる他人で友達のようにしていただけだった。
「じゃあ、改めて一から友達になろ」
僕は誰とも心を開いていなかった。確かに深く関わるのが怖かった。どこか壁を作っていた。その壁は僕が思っていたよりずっと分厚いものだったのかもしれない。でも深く関わりたい自分がどこかにいたんだと思う。それはずっと一緒にいたはずの石川も、あんな笑顔をする雫も、唄にも。
だからここで友達に、何ならこれから親友になってほしいという気持ちすら湧いていた。こんなの初めてだった。
「そうだな。じゃあ俺と新は今日から友達だな」
「何、これ」
自分で言ったはずなのに、変なことを言っていることをすぐに気がついた。石川は僕に手を差し伸べてきた。握手を交わして欲しいんだろう。でもそれに気恥ずかしくて、「嫌だよ」と言った。それでも強引に手を押し付けてきた。僕はそれを押し退けた。
「初めてだな」
「何が?」
「新がちゃんと自分の意思を示したこと」
「そんなことないよ」
石川もどこか、僕がいつも余所余所しいことに気がついていたんだろう。
「じゃあ、友達記念も含めてディズニーいつ行く?」
「クリスマスに行こうよ」
「何でだよ、夏休み中でいいじゃんか」
「だめ。そうじゃなきゃ行かない」
今はまだ早い。石川は整理がついたような顔をしているが、まだ雫のことを引きずっている。ただの勘だけど。でもその勘が当たっていたら、それだと、まだ雫が安心できない気がした。だからせめて、夏休みが終わってからがよかった。
「わかったよ」
石川は渋々という感じだけど、僕に合わせてくれた。
「人間は死んだら星になるって聞いたことあるか?」
石川は空を見ながら、口から言葉を落とした。
「うん」
「だとしたら、太陽は人だったってことだよな」
「何言ってんだよ」
「雫も空から俺たちのこと見てるんかなって」
「僕たちは光らないから星と違って、見つけらんないよ。星だったら雫から僕たちは見えないよ」
「今度は現実味出すのかよ。合わせたのに」
「違うよ。星になるとかじゃなくて、普通に見てくれていて、僕たちが平気になったら転生するんじゃないかなって」
ふーん、と石川は僕の考えに意味深な頷きをした。
「じゃあ、新一さんは?」
「多分、まだかな」
もう生まれ変わってるなんて言えなかった。新一が僕のことをもう大丈夫と思う日はいつになっても来ない気がした。こんな僕からどうしたら目を離しても安心だなんて思うんだろう。昔に一度、新一のものを全部捨てようと思ったことがあった。新一が死んでから一度も入ったことのない新一の部屋。でも、捨てるのは違う気がしてやめた。そうすれば新一のことも忘れられるとか思ったんだっけ。捨てれば、新一と僕の繋がりも無くなって、僕の元から離れていく気がしたんだろうか。じゃあ捨てれば、新一は僕から離れられるのかな。
「いつか新一さんも生まれ変われるといいな」
「……そうだね」
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