第六話 何気ない約束、その日を噛み締めて。③

 後日、雫の葬式が行われた。僕が知っている人は病院の院長だった石川の祖父と石川、石川と一緒に住む祖母だけだった。祖父母は僕を見ると、優しい言葉をかけてくれた。「いつも雫と仲良くしてくれてありがとう」「最後、雫にちゃんと別れを言ってやってほしい」と。僕は二人の顔を見れなかった。どんな顔をして、僕を見ているのだろうか。この優しい言葉に裏なんてないのは分かっていた。でも怖くて僕は顔を上げられなかった。

 最近撮ったのだろうか、遺影の雫はとても元気そうに笑っていた。死因は心不全だったそうだ。

 葬儀中、僕の前には石川が座っていた。


「何で言わなかったんだよ!」


 僕は葬式場の外で、石川の胸ぐらを掴んで怒鳴った。腸が煮えくり返るほど怒りの気持ちが抑えられなかった。今にも血管がはち切れそうなくらい血が昇っているのを感じた。

「言えなかったんだよ」

 石川は僕の目を見ずに言った。現実から目を背ける僕みたいに。

 それが余計にムカついて石川を突き飛ばした。

「それでも言うべきだろ!」

 今にも殴ってしまいそうで、ぎりぎりのところで拳が出るのを押さえ込んだ。

「唄が言うなって言ったんだよ! 心臓弱くて、いつ危なくなるかもわかんなかったんだ」

 石川は地面を見ながら言った。今度の石川の口調は強くて、僕の口が一瞬篭った。

「お前と会う時は笑顔でいたいっていっつも言ってたんだよ! だからそれを言ったら新兄が笑顔じゃなくなるからって!」

 石川は畳み掛けるように言ってきた。

「じゃあ、なんだ? もうすぐ死ぬけど、いつも通り接しろって言ったらできたんかよ!」

「そ、それは⋯⋯」

 僕は唄を見殺しにしたような気持ちになった。

 もし、入院していればまだ数日ひきのばせたんじゃないかって。視点が合わず、吐きそうだった。また僕の知らないところで大事な人が死んでいった。雫の顔が浮かぶたびにどうしたらいいかわからなくなる。新一が死んでから、僕は人に固執しないと決めていたのに、やっぱり知り合いが死ぬというのは本当に辛くて苦しかった。新一が死んだ時にも感じた立ち眩みのような気持ち悪さが永遠と続いて、辛くて、苦しくて、気持ち悪くて、泣きたくて、腹が立って。

「雫は新が好きだったんだよ。好きな人の前では綺麗な自分を見せたいって、笑顔で痛いって! 当たり前だろ!」


 ……何、言ってんだ。


 何で雫が僕のことを好きになるんだ。僕は雫に何もしていない。ただ中学の時、小説と同じように、現実から目を背けるためだけに会いに行っていた。自分でも認めてる。僕は雫から死にたいという気持ちを消してもらっていた。それだけだ。何もあげてない。そんな僕を好きだなんて。高校に入ってからなんて、会ったのは二回だけ。

 ……おかしいだろ。

 なんでそんなに僕を追い込むんだ。

 身勝手な思考に辛くなり、息が切れる。気持ち悪い。こんな感情的になる自分を久しぶりに感じて、倦怠感に身体中を支配されたような感覚に陥った。

 新一の時の恐怖と雫の笑顔が交互に僕を襲ってきた。

「僕が、どれだけ――」

「わかってるよ!」

「いいや、何もわかってない!」

 この僕の言葉に石川の何かが切れたみたいだった。僕の胸ぐらを掴んできた。さっき僕がしたように強く、足が浮くぐらいに力が入っていた。

 僕は殴られた。痛かった。拳で人に殴られたのなんて、生まれて初めてだった。僕の頬からは血が出ていたのか、ものすごく熱くて、でもそれ以上に色々と苦しかった。石川はそのあと馬乗りになってきた。石川の顔はぐちゃぐちゃで涙に濡れていて、酷いなんてものじゃ無かった。でも、やっぱり石川は僕とは違うんだと、顔を見て気付かされた。石川の眼は僕をまっすぐ見ていて、僕にはできない眼をしていた。

「ずっと新一さんが引っかかってんだろ! わかってるさ! どこかに逃げて、気持ちを誤魔化したかったんだろ! 雫だって知ってたかもしれない! でも! それでも良かったんだよ! だから……」

 石川の涙が、僕の顔に何滴も垂れてきた。唾もかかって、もう何が何だかわからなかった。

「それ以上、言わないでくれよ」

 石川は懇願するように僕に言った。

「……ごめん」

 ただ、僕はそれを言うことしかできなかった。

 石川は立ち上がって外方を向いた。誰にも見られたくないようだった。石川は流した涙を一生懸命なかったことにするようにして、何度も鼻を啜りながら拭っていた。

「悪い、今日は帰ってくれ」

 少し落ち着いてから、石川は僕に向けて言った。

 僕は黙って葬式場から家へ向かった。電車に揺られながら、何度も戻ろうかと思った。戻って、もう一度雫の顔を見ようと思った。僕のことを好きでいてくれた過去にも未来にもいないかも知れない、一人の女の子の顔をもう一度だけ見たかった。葬式場で見た一度きりの顔とは違く見える気がした。思い返すと、僕は笑った雫しか見たことがなかった。多分、何度も泣いて、辛いことも沢山あったんだと思う。

 思えば思うほど、僕は雫という少女の泣いた顔を見てみたくなった。僕は変なのかも知れない。だけど、本当の雫がそこにいる気がして、そうすればもっと違った、支えたいなんて思えたかもしれない。


 雫のためにもっと色々してあげたかった。

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