第六話 何気ない約束、その日を噛み締めて。②
あれから一週間。僕は誰とも会話をしていなかった。発した言葉は兄への自分語りだけ。唄からの電話も無かった。あんな終わり方をしたんだからお互い話しづらいに決まっている。USの生配信が目についた。<なんか今日、声の調子悪い?>、<USってこんなだったっけ?>、<高校生だからこんなもんか>。そんな批判するコメントを目で追っていた。彼女のことを何も知らないくせにって思った。そんなことを思っている僕もこいつらと同類でただの知ったかぶりだ。でも毎日ライブに目を通していた。僕は何してんだろ。コメントはしなかったけど、擁護したい気持ちもあった。
こうしてネットで誹謗中傷する大半の人はどうせ八つ当たりか、自分のどこかにあるコンプレックスを拗らせた捻くれものだ。何かうまくいかなくて、それを批判という形で自分を正当化して、煽って。そんなもので取り繕っても何も意味はない。そんなことに必死になって、現実を見つめられていない。そうやって批判ばかりするなら顔を出して言えばいい。心からそう思っているなら、アドバイスになるからできるだろ。それ以前に僕がそんなこと言っても、お前誰だよってなるとは思うけど。肩書きなんて何もない薄っぺらいやつが唄にどうこう言うな。そんなことを思っている僕も薄っぺらい。本当にダサい⋯⋯。こうしてずっと唄の配信見てるなんて言ったら、引かれるだろうな。
毎日見てた。それを唄に言う。頭に浮かんだ唄の姿は喜んでいる。ただの妄想だけど、内心どう思っているかなんて知らないけど、多分嫌悪感があっても顔に出すことなんてないだろう。
スマホが鳴った。すぐに反応してスマホを見た。
石川〉おーい
LINEが来ていた。ここ数日ずっとこの調子で、何日も未読無視をしている。気がつくと石川からだけで五十件も溜まっていた。
新〉何だよ
LINEの通知は溜まる一方で、そろそろだるくなってきた。LINEの通知数が溜まるのが好きじゃなかった。だから通知を減らすだけの理由で返信をした。
石川〉やっと返ってきた。今日暇だろ?
新〉暇だけど、出かけたくない
石川〉おっけい。駅前のサイゼな。なるはやで
新〉おい
反応すると、一方的に今日の予定を決められた。行くとは一言も言っていない。僕のメッセージを最後に既読はつかなかった。気づけば一三時で、昼もまだだったから、ちょうど良いと思った。適当に服を着替えて、サイゼに向かった。
1
中に入ると、ファミレスにしては閑散としていて、客も多くはなかった。
「あ、きたきた。こっちこっち」
一番角の四人席に石川を見つけた。見慣れない女子の後ろ姿もあった。帰ろうか迷ったけど、僕は黙って石川の隣に座った。俯きながら、石川の肘を小突いた。「何だよ」石川は僕の耳元で囁いた。「聞いてない」僕も石川にしか聞こえない声で返した。「⋯⋯前みろよ」謎に落胆されたような視線を感じ、前を見た。
――そこには雫がいた。
綺麗な純白のワンピースに身を包んで、軽く化粧もしていた。気がつくはずもない。いつも白いパジャマのようなものを着ていたし、病院にいる時と違って、長い髪も細かく編み込んでいたから、全然気がつかなかった。
「新兄」
唄はいつも病院で見ていた笑顔をここでもしてくれた。
「お、おい。退院したのか?」
あり得なかった。それが率直な僕の感想だった。隣で石川は僕の問いに静かに頷いた。
「新兄の服装、なんかさ……」
雫は急に笑顔から引き攣った顔になって、下から上へとスキャンするように僕を眺めた。お互いいつもと違う服装で、これもなんだか新鮮味があった。
「何も聞いてなかったから」
僕は石川を睨んだ。こんなことなら早く言って欲しかった。雫がいたならもう少し服装も考えてきた。それに雫が退院なんて朗報ならすぐに向かったのに。あの異常なLINEの数にも納得がいった。
「そう睨むなって、サプライズの方が嬉しさ増すだろ?」
「そうそう!」
プレゼントも用意したかった。引退祝いなんてもっと盛大にやってもよかったのに。僕の頭には色々と不満が過ぎるけれど、顔には出さなかった。それと変わって、二人の息の合った言葉に自然と笑みが溢れた。
「まあ、今回はいいよ、今日は僕が奢るよ」
プレゼントの代わりにと思って言った。味気ない気はしたけど、しょうがない。
「え! あのケチな新が奢るってよ!」
「えー! ありがと!」
僕も今日くらいはいいだろうと、狭い懐を大きく開いた。
「いつかの約束覚えてる?」
唄はドリアを頬張りながら、僕に言ってきた。
「何が?」
「ディズニーだよ! ディズニーランド!」
「そんなことあったっけ?」
「えー新兄ひどっ!」
忘れるはずもない。
中三のちょうどこれくらいの時期。初めて一人で雫に会いに行ったことがあった。その時に約束したことだ。
*
「もし、私の病気良くなったらディズニー行こうよ」
痩せ細っていて、今にも尽きそうな命の灯火が見える気がした。人間の体はこんなにも脆い。少し調子が悪いだけで口内炎ができたり、ニキビができたりする。肉体と精神は比例していない。休みたくても元気だから休めない。雫はこんな体でも目の奥からはどこか希望に満ち満ちていて、精神は僕よりよっぽど元気があるようだった。
この時の僕は全てがつまらなかった。いつも新一の反対を目指していた。いつ死のうかな、なんて思っていた。要するに、病んでいたんだ。高校に入ってからその考えは変わったけれど、当時は自殺であれば、新一とは違うからセーフだとか考えていた。でも、雫を見ると、まだ僕は恵まれているような気がした。最低だと思う。雫の眼を見ていたらもう少し生きようかななんて思って、それが何回も続いて、その日も同じ理由で来ていた。
「いいよ。じゃあ石川にも――」
その言葉を止めるように、僕の服の袖が軽く摘まれた。
「二人で、ね?」
雫は上目遣いで、僕に言ってきた。少し見惚れていた。その眼差しに一瞬だけ恋を感じた。初めての感覚で、この時生きていることを実感した。
「……わかった」
些細な会話。僕にとっては掛け替えの無いものだった。新しい感情を植え付けてくれた。それだけで虚無感という果てしない苦痛から救われた気がした。別に好きになったとかではなかったと思う。でも、それから僕の中で死にたいとい気持ちが芽生えることが徐々に少なくなっていったのは確かだった。
*
その時のことを雫はまだ覚えていた。あの時の雫がいなかったら、僕は多分自殺していたと思う。結局、中学を卒業できたわけだけど、それもこれも雫のおかげだと思っていた。だからある意味、僕の生きる希望だったのかもしれない。死にたい気持ちを忘れられるからなんて、失礼すぎるし、不純なんてレベルのものじゃ表しきれないほどに濁っている。それでも雫に感謝をしている。
「わかったよ。じゃあ夏休み中に行こうか」
僕は雫のためならと思って言った。雫の顔はぱあっと明るくなった。
「俺は?」
石川が寂しそうに言うと、「また今度ね!」と言って、優しく突き放した。
「兄離れかぁ」
石川のトーンはさらに下がった。オレンジジュースをストローで吸って、小さく縮まる石川はなんか可愛くも見えた。僕の勝手な恩返しに石川はいらないよ、と心の中で呟いた。
「新兄、生徒会はどうなの?」
「まあ、ぼちぼちかな」
「美人の会長さんとは何もないの?」
何もないといえば何もない。あるとするなら絶賛不仲中と言うべきだろうか。
結局、なんて言えばいいのかわからなくて言葉が出なかった。
「その顔は失恋かな?」
僕が黙り込むと、石川が間に口を挟んできた。
「えー新兄が失恋! その会長さんもわかってないなー」
雫の気遣いは逆に心が抉られた。
何もない。ないのだが、もし失恋だとしても、唄が僕を振るのは当たり前だ。告白すらしていなければ、恋愛的な意味では好きですらない。もしどちらかがあったとしても、あまりに釣り合わない。
「そんなんじゃないよ。本当に何もないから。最近は話さないし」
「えー、ほんとかな?」
「僕は好きな人なんかいないし、いたら雫とディズニーは行かないよ。たとえ、石川の妹でもね」
少し臭い台詞だっただろうか。
でも、本心からだったから、別に恥ずかしくもなかった。
「新くんカッケェな」
石川は関心するように、僕に言った。多分、素で言ったんだろう。少しも癇に障らなかった。
それからも教室での様子や、期末考査の結果、球技大会の話なんかをした。
時間が過ぎるのはあっという間だった。すっかり暗くなって、まだ中学生の唄を遅くまで外に置いていくわけにはいかない。だから少し早めにサイゼを出た。
「新兄、バイバイ!」
「うん」
二人は僕に背を向けて、駅へ向かった。
――三日後、雫は死んだ。――
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