第十一話 夢を見ていたい、現実は苦しい。

 生徒会室に入ると、やっぱり唄がいた。珍しく寝ていた。

 電話越しに聞こえる寝息と同じ音が口から出ていた。髪を下ろしていて、絹のように細い髪の毛が机上に散らばっていた。起きないように近づいて、初めて寝顔を見た。小さな口、小さな顔。長いまつ毛、整った眉毛。ドキッとした。初めてまじまじ見たけれど、いつまでも見ていられるくらい芸術的に整った顔立ちをしていた。唄はノートの上に寝ていて、やっぱり今日も欠かさず、ノートにメモを取っていたようだ。腕を枕のようにしていて、鼻と腕の間から字が見えた。前にも見たことがあるノート。


 苦


 それだけが見えた。

 揺るぎ切った表情筋にいつも見せる笑顔はなくて、寂しげな顔が僕を引き寄せた。そのまま吸い込まれるように、僕の唇は無意識に唄の唇と数センチのところまでいって止まった。 

 

 何してんだよ――。


 1


「あれ、私寝てた?」

「おはよ」

 夜八時を回っていた。ずっと小説を読んで、唄が起きるのを待っていたらこんな時間だ。

「あ、これもういいの?」

 唄は僕が横に置いておいたあの本とペンダントに気がついた。

「シンデレラやるんだってね」

「そうそう。新くんは何やるの?」

「照明だよ」

 僕の言葉にクスッと笑って、「新くんらしいね」と言った。

「じゃあ唄らしいって何?」

 別にそんな言葉何とも思わなかったけど、単に気になったから聞いた。

 僕は小説を閉じて、唄の目を見てきいた。目を逸らさないように。

「私らしいは⋯⋯」

 唄は言葉を出さなかった。何も言わないと何となくわかっていて、聞いた僕は意地悪なことをした。

 唄は僕から目を背けた。

「ごめん。唄は唄だよね。来週の文化祭頑張って」

「う、うん。ありがと」

 

 2


 新〉今日は電話する?

 唄〉するよ

 新〉わかった


「もしもし」

「うん」

 河川敷から見える星。

「私と喋ってよ」

「歌は?」

「今日はいいかな」

 まだデネブは少し高めの位置に見えた。

「そうか。何話す?」

「新くんの好きな人」

 ペガスス、アンドロメダ、ペルセウス、カシオペヤ。

「いない」

「一番ダメな答えだよ、それ」

 秋の大四辺形。見つけられるけど、不格好すぎる。

「恋バナなんてしたことない」

「私の好きな人、知りたい?」

 うお座、牡羊座。

「それより、好きな人の定義を教えてよ」

「えー、それのほうが難しい」

 おとめ座。

「僕わからないから。好きって何? 好きになったらその人のために何でもするんだろ? そんなの怖いでしょ」

 本気で怖がっていることを悟られないように、少し軽く聞こえるように言った。

「それはよくわからないけど、私は人を好きになるのは怖いよ。それでも、その人と一緒にいたいとか。多分学校とかっていう区分を無くしても、関わりたい異性とかじゃない? よくわかんないけど、好きっていう括りがあれば、相手と無理やり関わろうとしている自分を正当化できるとか? それの延長線上に付き合うとか、結婚とかがある気がする」

 何度も見てきたから、星座なんてもう覚えた。秋が始まっていることも空を見ればわかる。

「意外とちゃんと答えるんだね」

「まあ、そりゃあね」

 天の川は思っていたより、川じゃない。

「もっとロマンチックなこと言うのかと思った」

「現実なんてこんなもんだよ」

 場所が悪いからなのかも。もっと田舎に行けば天の川綺麗に見えるかも。

「そんなもんならいらないかな、好きな人」

「新くんに恋バナはやっぱり合わないね」

 それでもみんな理想を求めて。多分この星も近くで見たら思っているより生々しくて、綺麗じゃないのだろう。だから現実に目を向けたいとは思えなかった。皆が求める恋愛ですらこんなに理想通りにいかないんだ。現実は残酷だ。期待するだけ無駄だ。神様なんてやっぱりいない。ずっと理想を追い続けていたい。心からそう想った。

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