第十話 人がいないと気持ちがよくて、人と関わると心が捩れる。
「じゃあ、キーと折原。私は何もわからないから進行よろしく」
一時間目の学活。文化祭でクラスの出し物をするみたいで、それを実行委員の二人を中心に進める。僕にはほとんど関係のない話で、一応耳には入れているけど、クラスのことなんてどうでもいいから、何をするのかすら知らない。
「えーっとじゃあ、夏休み前にも言った通り、俺たちは四組と合同でシンデレラをやります。王子役は俺のクラスから久留美に頼むことになった」
キーこと榊原と折原が黒板の前に立って進行を始めた。折原が話し始めた。
王子役が呼ばれた瞬間、歓声が上がった。このクラスの中心の人たちが口笛を鳴らしたりして、急にクラスのテンションが上がった。あいつらがいるからクラスが回っていると言っても過言ではないと思う。どこかで「シンデレラは?」という声が聞こえた。外を見ていたから、誰の声かは知らない。
僕は裏方で言われたことをいつも通りするだけだからそれすらも関係ない。
「白砂さんです」
折原が言った。思わず、声が出そうになった。お笑い芸人のオーバーリアクションのそれのような。
それからため息が漏れてしまう。
「キー負けたん?」
「うっさい!」
榊原と白砂の勝負だったようで、榊原はうちのクラスのマドンナだったのか、シンデレラになれなかったみたいだ。
相手が悪いとは正にこのことというやつか。
「えーっと、とりあえず、他の配役は四組と上手く分担されているから、残りも決めていきます」
それから嫌なお姉様やお母様、妖精やらを一時間使って決めていった。僕はどの役にも立候補しなかったから、六人いる照明の一人になった。照明は四つしかないから別に僕がいなくてもいいみたいで、一番望んでいた配役になった。因みに石川は執事役とかいうやつだ。正直な話、シンデレラをよく知らないから、そんなキャラがいたかすら覚えていない。確かいなかったと思う。
1
「例の件言っといたぞ」
昼休みになって石川が来た。
「ありがと、あと今日昼休みはパス。先生のとこ行ってくる」
「えーマジかよ。俺パシリみたいじゃんか」
「今度、飲みもん奢るから、ごめんな」
「大事なことくらい自分で言えるようにしないとダメだぞ?」
「次はそうするよ」
弁当を持ってきた石川には申し訳ないけど、颯爽に職員室へ向かった。
「失礼します。二年二組の齋藤です。米村先生に用事があってきました」
すぐ米村先生はこっちに向かってきて、片手には弁当を持っていた。
「ほら、行くぞ」
「は、はい」
「話の内容は知らないが、とりあえず屋上な」
屋上って立ち入り禁止だったような。
「⋯⋯わかりました」
何かあったら全部先生のせいにしよう、そう思いながら先生の後ろを追った。
「新から話があるなんて珍しいからな、先生は内心何を言ってくるのかわからなくて、怖いぞ」
先生は怖いと言いつつ、なぜかワクワクとした口調だった。
「先生が自分のこと先生って言うのなんか気持ち悪いです」
「何だ? 私が先生向いてないって言うのか?」
「向いてるって思ったことないですよ」
「私もそれは思ってる」
すぐ屋上への入り口がある踊り場についた。ドアの前にはいくつも机が積み重なっていて、やっぱり立ち入り禁止のようだった。
「いいか? バレるとまずいから、内緒な?」
先生は口元に人差し指を当て、僕に微笑んだ。まるでヤンチャな中学生のように机の間を縫っていく。尻を突き出して這って行く姿は間抜けそのもので、シンプルにやりたくない。
先生はドヤ顔で屋上のドアの前に立って、手招きをしてきた。僕も渋々、なるべく格好良く机の下をくぐる。
ドアを開けて、広がっていた視界は学校で最も障害がなかった。
「凄いだろ?」
先生は屋上のど真ん中でグーっと背伸びをした。見渡すと、ポツンと机と椅子が置いてあった。
「先生まさかとは思うんですけど、ここよく来てるんですか?」
先生は僕の顔を見て、首を傾げた。そうだけど? とでも言いたげな顔。
「悪いが、新の分の席ないから床で食べてくれ。今日は私もそうするから」
先生は手作りの二段弁当をコンクリートの地面に広げた。弁当の中身は男飯のように大胆で、胃の中に入ってしまえば一緒というような考えなのだろうか。
「新、料理うまいんだな」
僕も対抗するわけではないけれど、弁当を広げた。先生は中を見て、物欲しそうな顔をして、チラチラと僕の様子を窺ってくる。
「自分で作ってるなんて言いましたっけ?」
「さすがに家庭事情くらい把握してるさ」
「意外ですね。⋯⋯これですか?」
ソーセージを指差すと、口角がゆっくり下がった。
「これですか?」
次に卵焼きを指す。次は口を尖らせた。
「これ?」
唐揚げを指差すと、先生の顔は一気に晴れて、パチパチとこちらを見てきた。
「いいですよ。勝手に取ってください」
先生は三つしかない唐揚げを一つ取って、口に放り込んだ。幸せそうな顔をするもんだ。たかが、唐揚げ。でも先生の弁当を見ると、唐揚げすら作れなさそうだから、ちょっと同情してしまう。
「それで話って何だ?」
唐揚げを咀嚼しながら、僕に聞いてきた。行儀が悪いから、せめて飲み込んでからにしてほしい。なんで僕の前ではこんなだらしないんだろう。いつも生徒の要望に応えるいい先生なのに。時に大胆過ぎたり、さぼりがちなところはあるけれど、それも許容できる範囲で、米村先生だから許されて、慕われているんだと思う。でも、この姿を見たら、少なくともクラスメイトの評価は格段に下がるに違いない。
「唄に回してない生徒会の仕事ありますか?」
僕の質問に、先生は沈黙した。歯に挟まった鶏肉を舌で器用に取ったり、鼻の穴の入り口付近をポリポリと掻いたりして、僕を見つめて、何も言わない。
「どっか打ったのか?」
その沈黙の後に出た言葉が教師とは思えなかった。真顔でそう言ってきたから、もうすぐ解雇されるな未来が見えた。
「⋯⋯僕は正常です」
「いいか? みんな始めはそう言うんだよ。私はおかしくないって。そういうのは他人に言われてから気づくことで、自分では気づけないんだ。きっと新も自分が知らないところで頭を打ったのさ」
先生はまるで雄弁なことを言っているかのように話した。
「⋯⋯一回殴りたいんですけど、いいですか?」
「おい、待て。どんな風の吹き回しだ」
僕の顔を見て、真面目に言っていることに気づいたようで、拳に息を吹きかけると、慌てて「冗談、冗談」と言い直してきた。
「別に、何もないですよ」
僕の視線は自然と下にいっていた。癖だからしょうがないのかもしれないけど。
「唄が心配か?」
図星を突かれた。まさかあの先生が当ててくるとは思わなかった。いや、結構バレバレな行動だったかもしれない。ただ、合っていたから何も言えなかった。
「生憎だが、今ある仕事は全部回してるんだよ。悪いな」
先生の口調は申し訳なさそうではなくて、何なら少し得意げに聞こえなくもなかった。
「先生、わざとやってないですよね?」
思ったことがそのまま出てしまった。何を言っているんだろう。そんなわけないのはわかっているけど、先生の調子のせいでそんなことを思ってしまって、口にも出てしまった。でも先生の態度は他に説明がつかなかった。
「なに言ってんだ。そんなわけないだろ」
さすがにそれはないよな。先生にそこまで裏がある様には思えないし、僕の思い過ごしだ。
そう自分に言い聞かせた。
「⋯⋯卵焼きいります?」
「もらう」
2
放課後、陽キャが教室にいなくなるまで、小説を読み続けた。なかなかいなくならなくて、今日手をつけ始めた小説がクライマックスを迎えようとしていた。時間にして三時間彼ら屯ってから出ていった。おかげで小説を読むには、目を凝らさなければいけないほどに暗くなっていた。
深くため息を吐く、時間は有限だからなるべく無駄に過ごしたくない。僕は人一倍時間を無駄にしている気がするけど――。
「おい、何だよ」
顔を上げると、鋭い眼光で威嚇してくる榊原がいた。僕が石川に頼んで、放課後残る様にと言ってもらっていた。頼んでおいて僕がどこかいくわけにも行かず、居心地の悪い教室に留まっていた。
気まずかった。
我ながらすごく頑張ったと思う。
「いや、あの」
いざ陽キャを目の前に話そうとすると、うまく口が回らない。思った以上に免疫が弱かった。何なら元々抗体がなかったのかもしれない。陽キャと話したのは思いつく限りない。まるで喉を潰されているような緊張感が走った。
「あのさ、そういうモジモジしたのイライラするから、要件早く言ってくんない?」
榊原は足裏でリズムをとって、僕を急かしてきた。榊原の視線が強くなるのを感じた。
ただ、僕が言わなければいけないことなんて一つなのに、やっぱり口が動かない。プレッシャーを感じれば感じるほど、こういう強気な人を相手にすると、押しつぶされそうになる。
「何だよ、男だろ? こ、こ、こ、告白とか⋯⋯されることあんま、ないから、早くしろよ⋯⋯」
え。
僕に言っているんだろうけど、何を言っているんだ。石川に、僕から話があるって言えとは言ったけど、どんな伝え方をしたらそう伝わるんだろうか。いや、内容を話さなければ確かに勘違いしかねないかな。余計に頭がこんがらがって、逆に僕の口の歯車が噛み合わさって、急に回り始めた。
「えーっと、そういうんじゃなくて、何というか。鍵を作って欲しくて」
僕は顔を上げて榊原を見た。榊原、通商キーは、頬を真っ赤に染めて僕を引っ叩いた。
振られたような複雑な気持ちになりながら、椅子から転げ落ちた。僕は床に頭を強く打った。
榊原はごめんと言いかけて、やめた。何で言ってくれないんだ。
僕は悪くない。不思議でしょうがない。
「そ、そういうことなら。私、電車通だけど、ついてくる?」
「う、うん」
*
榊原がキーと呼ばれるのは一年の時の自己紹介が原因だった。
「榊原春音って言います」
自己紹介をする時、それだけ? という沈黙が起こった。それに気まずくなったのか、榊原は焦って続けた。
「私の家は! 鍵屋で、珍しいから! 鍵関係で何かあったら言え!」
謎の命令口調を最後に顔を真っ赤に染めながら座った。それから折原が、「じゃあキーだな!」と言った。すごい安直だ。それから今に至るまでずっとキーだ。本人もそこまで嫌がっている様子はなかったし、教室でも楽しそうだからいいと思う。
僕の時は自己紹介で名前だけ言って、同じくその沈黙が起こった。だけど、反発するようにその空気を無視して座った。
*
僕がいつも降りる駅より一つ手前の駅で降りてから、しばらく歩いた。駅までは自転車で来ているみたいで、榊原は自転車を隣で押しながら歩いた。
「僕が持とうか?」
何となく、気まずいしこういう時は声をかけなきゃいけないみたいな風習を知らなくもなかった。だから形式的にそう言ったら、僕の言葉に「優しいじゃん」と榊原が反応して、自転車を渡してきた。
それからというものこれといった会話はなく、そこそこ歩いて榊原の家についた。木造の大きな家で、いかにも職人が住んでそうな気配がした。
「ただいまー」
ガラガラと開く扉の向こうには、二つの顔があった。榊原を二で割ったような顔。足したら榊原のようとも言える、だから見た瞬間に両親だとわかった。僕は首だけで会釈すると、母親が不適な笑みを浮かべてこっちに近づいてきた。
「あんた、いい男連れてくるじゃん」
この人も榊原同様、そういう感じの人なんだ。
「そんなんじゃないって。ただ、なんか鍵作って欲しいっていうから連れてきただけだよ」
母親は、なーんだとまるで裏切られたかのような表情をした。奥にいた父親らしき人は榊原の言葉を聞くと、近づいてきて、不作法に「見せてみろ」と言ってきた。いかにも気難しそうな人で、僕は引き攣って笑うしかなかった。
刺激すると面倒な気がして、ポケットに入っていたペンダントを出して見せた。
「あれ? これって唄ちゃんのじゃない?」
榊原の母親が僕の手に乗ったそれを見て言ってきた。
「確かに⋯⋯どういうこと?」
それに続けて、榊原も横から口を挟んできた。
なんて答えればいいのかわからなかった。正直に言っても信じてもらえる気がしない。そもそもどういうこと? っていう質問が何を聞いているのかわからない。
「何であんたがそれ持ってるか知らないけど――」
榊原が話してる途中で、父親は奥に戻ってしまった。榊原は父親を見て、ため息を漏らした。
「私の父親、それ見ると直さないの一点張りなんだよね」
「え、何で?」
母子ともに顔を見合わせて、首を傾げた。両者とも何も知らないみたいで、いよいよ僕のこの行動は無駄足になったようだった。
「夏休み中に唄も来たんだけど、私の父親さ、意地でも直さなかったんだよね。まあ、古い仲だからこのまま帰すわけにもいかないって、磨いたり、色々してはあげたんだけどね」
「え? 唄と榊原って仲良いの?」
思わず口が滑った。榊原も僕の『唄』呼びに、顔を歪めた。
「何それ、キモ。まあ、幼馴染だから」
「どう思ってもらってもいいけど、昔の唄について教えてくれないか?」
探していたピースが目の前に落ちているような感覚があって、止まれなかった。
流石にキモすぎたか、僕は慌てて付け足した。
「一応生徒会副会長なんだよ」
「⋯⋯少しなら」
榊原は僕の体を足先から頭の天辺まで何度も見回してから、後ろ重心の状態で言った。多分、何かあっても勝てるとか、唄のストーカーでもこいつならどうにかなる、とか思われてそうな気がした。
3
「汚くて悪いけど、そこら辺座って」
榊原は不本意ながらという感じで、僕を部屋に入れてくれた。ここまで何とかこれたのは、母親の誘導があってのことだった。渋る榊原の背中を強引に押していたから、榊原母は僕のことを気に入っているみたいだった。
部屋の中は意外と整っていて、いい匂いもした。ベッド、机、テレビ、花柄のカーテン、壁にはジャニーズの壁紙。
落ち着かなかった。
突っ立ってる僕を何してんの? って顔で凝視してくる。だからとりあえず正座で床に座った。
「これが、幼稚園の卒園アルバムで、こっちが小学校。こっちが中学校」
榊原は僕の前に座って、三冊のアルバムを出した。榊原が幼稚園のアルバムを開いて、指差した先には今よりはるかに丸くて、幼顔の唄がいた。
「この時は、あんまり記臆がないけど、とにかくうるさくて、はしゃいでて、今もだけどめっちゃ可愛かった」
「優等生って感じじゃないんだね」
幼稚園の時の唄の笑顔は僕までほっこりするくらい、屈託のないものに見えた。
「そりゃあな。てか、流石に変わるって」
榊原は次に小学校のアルバムを上に重ねた。
「ここには唄いないけどね」
アルバムを開かずに言った。
「唄、六年の頃不登校だったんだよ。別にいじめとかあったわけじゃないけど、唄の中でも色々行き詰まってたのかなって」
「意味がわからない」
僕の一言に、榊原はだるそうに口を開いた。
「いつからかわかんないけど、急に性格変わったんだよね。三年からクラス違くて、五年生で同じになった頃にはもう、なんか唄の顔をした違う人、みたいな?」
「何それ」
「私もよくわからない。でもふと二人きりになると、普通の唄だから。言っちゃえば、私から見ると、五年生の時にはもう今の唄が完成してたかな」
「何があったのかは知らないんだよね?」
「知らないってば。ただあんたが何考えてんのか知らないけど、唄に何言っても変わらないからね」
「わかってるさ」
そんなこと身にしみて感じてるし、今さら言われたところで何とも思わない。多分これもあれも僕の勝手な自己満だろうけど、僕がしたいからしているだけ。正直無駄足でもいい。
「これくらいだよ。他は何も知らない。わかったらもう帰って」
目の前に出していたアルバムを全部重ねて、榊原はガンを飛ばしてきた。
「⋯⋯わかったよ。最後にいいか?」
「何だよ」
「シンデレラ練習しといて欲しい」
「煽ってんのか?」
「真面目だよ」
立ち上がって、部屋を出た。
結局、何があったのかは知らないけど、何となく唄の本当の意味の限界が近づいている気がした。幼馴染の榊原から見ても、普段の唄は無理をしているように見えている。それ明けでも収穫があったと言える。
電車で電話が鳴った。唄からだったけど、出なかった。数時間してからLINEで寝てた、と打って電話もしなかった。
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