第二十二話 現実なんて見なくていい。君といるときは夢を見ていたい。

 ホテルに着いてからクラス男子全員で人狼をやるとのことで、僕もその集合に来ていた。

 中は二人部屋の普通の部屋で、その中に二十人近くが入っていたから、かなりの密度になっていた。いつになっても人狼が始まらなかった。みんな個々で話していて、収拾が付かない。こうなることが予想できなかったのかと思いつつも、時間が過ぎるのを待った。

「あらたー、米村がお呼びだぞ」

 石川の声がどこからか聞こえて、僕は部屋を出た。

 部屋を出たすぐのところに先生がいた。ソワソワして、落ち着きがなかった。

「どうしたんですか?」

「これを見てくれ」

 先生はスマホの画面を僕に見せた。画面にはネットニュースの記事が映っていた。


【USの顔が明らかに⁉︎ 関係者が明かしたその美貌を大公開‼︎】

 

 目を疑った。大々的に書かれた文字の下に大きな唄の写真。目は黒くして、隠されていたけれど、明らかに唄だった。

「いや、こんなのおかしいでしょ」

 いくら見ても、目を凝らしても唄だった。誰がこんな事⋯⋯。誰が――。

「桐谷さん」

「⋯⋯私もそう思う。おそらく、文化祭の腹いせだろうな」


「先生!」

 他クラスの女子が近づいてきた。いつも唄と一緒にいる女子たちだ。

「どうした」

「唄がいません」

 先生は下唇噛んで、表情をさらに険しくさせた。

「わかった。私が探しに行くから、部屋に戻ってて」

 三人はその言葉を聞いて、安心したのか部屋に戻っていった。

「唄が行った場所わかるか?」

 生徒会室――いや、

「小学校」

 その言葉に一瞬だけ先生の顔が悲しくなったように見えた。

「⋯⋯駐車場で待ってろ」


 駐車場に着いて、少しすると先生が来た。

「そこの車乗って。高速使って、小学校向かうから」

「いや、え? 何でそこまで」

「早く乗って」

「は、はい」


 1


「はい、これ」

 先生は赤信号で、僕に何かの鍵を渡してきた。

「それ、唄のアクセサリーの鍵だよ」

「何で先生が持ってんの」

「私が、新一の彼女だったからだよ。覚えてないか?」

「別人でしょ」

「失礼だな、あれは私だ。その鍵は私と新一とでペアになってるんだよ。なのに新一死んだ時、それなかったんだぞ? 必死に探したのにないから、意味わかんなかった」

「何でそれを唄が持ってるんですか」

「新一が渡したんだろうな。理由なんて知らないさ」

 すぐに高速道路に乗った。

「どれくらいかかりますか?」

「結構かかると思うから、寝ててもいいよ」

「そんなこと言って逃げないでくださいよ。もういいでしょ? 話してください」

 後部座席に座っているから、バックミラーを通して、先生の目元しか見えなかった。目だけだと先生が今どんなことを思っているのかも、何もわからなかった。

 苦しい沈黙が続いた。今は亡き兄の恋人といるこの状況は気持ち悪い緊張感があった。今までただの教師だった米村先生が――と考えるだけで、やっぱり今まで通りというのは厳しい。

「新一が死んでから辛くて、何もできなくなって、ずっと引きこもるようになったんだ。仕事もやめて、親の仕送りと生活保護で生活してたんだ。笑えるだろ?」

 全然笑えないし、驚くほどに気持ちが理解できた。寿命とは違う形の大切な人の死は想像を絶するほどに辛い。だからそうなる気持ちが凄くわかった。

「でも、そんな時にUSの生配信を初めて見たんだ。USは新一のペンダントをかけていたんだ。特注のあのペンダントは世界に一つしかないから、見間違えなはずがなかった。そこからは早かったよ。あのペンダントを作ってもらった鍵屋で持ち主のこと聞いたら、娘がその子と一緒の高校に通っていることが分かって、すぐに雇ってもらえるように面接を受けた。それでキーからUSが誰かも教えてもらったんだ」

 震える声と微動する吐息が今でもこれを打ち明けることが、怖かったんだと思わせた。早く行ってしまおうと、段々早口にもなっていた。

「それでいざ学校に行くと、こっちを一切見ようとしない新がいたんだよ。新に会えた喜びもあったけど、酷く暗い新に哀しくなったんだよ。だから頑張って話しかけ続けたのにそっけないし、突き放そうとしてくるし。そのまま一ヶ月と少しが経った頃に、唄が生徒会長に立候補したいって言ってきてな。唄とは入学以来キーの紹介でちょこちょこ関わる機会があったんだ。唄は周りに気を使い過ぎてて、新は周りと関わらな過ぎててさ。でも、親がいないのも合わせて、似てんなって思ってさ。二人を合わせれば、何か起こるんじゃないかって」

「僕は化学物質じゃないです」

「そんな返し、前までできなかったぞ。いい反応が起きてる証拠だと思うけどな」

「先生は僕に何がして欲しかったんですか?」

「違うよ。やっと分かってきた。新は新一じゃない。ずっと新が新一みたいになってくれることを願っていたし、それを目指してたんだけどな。根本的に違うよ。新は新で、新一は新一何だよな」

 やっぱり質問に答えてくれなかった。

「唄に会ったらその鍵で開けてあげな。中に何が入ってるかは知らないけど、私にも見せてくれよ?」

「わかりました」


石川〉今どこにいる?

 石川のLINEを見て、高速道路の看板を見た。

新〉大阪

石川〉何してんの?

新〉帰らないかも

石川〉りょーかい。戻ってきたら何があったか教えろよな


 詮索しないあたりがやっぱりいいやつだと思った。


「本読むか?」

 先生は窓を見る僕に言ってきた。まだ到着までは数時間あった。先生は片手に小説を掲げていた。

「先生って本読むんですか?」

「読まない。これは新一からの最初の誕生日プレゼントなんだ。センスの欠片もないだろ? 嬉しかったけどな」

 確かにセンスはどうかしてる。僕でももうちょっといいものを選べると思う。でも、先生は嬉しそうだった。

「――いや、大丈夫です」

 本を見ても読みたいとは思えなかった。断った理由にそれ以外なんてない。


 2


 ずっと整理がつかない。

 先生とも全然話さなかったし、唄になんて言えばいいのかもわからなかった。どんどん時間は経って、あっという間に見慣れた景色になった。

「もう着きますね」

「ここら辺で降ろすから、一人で歩いていきな」

 道路の脇にハザードを焚いて、先生は車を停めた。

 ドアを開けた。唄にどんな顔を見せればいいのかもわからないし、不安しかない。

「困ったら笑え」

 外に出た僕に先生は窓を開けて、微笑んだ。

 安心したし、落ち着いた。

「ありがとうございます」


 遠目からではあったけど、あの歩道には唄がいた。何をしているんだろう。唄はずっと海を見ていた。

 ゆっくり歩いて近づいた。段々鮮明になっていく唄の姿。遥か先の水平線を眺めて、泣いているわけでもなかった。何かを口遊んでいる。漣の音で何も聴こえない。


「唄」


「やっぱり新くんは来てくれるよね」

 海の方を向いている唄の声は潮風に乗って、僕に届いた。顔を見てくれない。ずっと海を見続けていた。

「ねえ、死んでもいいかな?」

 唄は真顔だった。本気なのか冗談なのか。

「ここで終わらせるのか?」

「私は成れない。いくらやっても真似事だよ。これ以上はもう無理だよ」

 唄は砂浜に向かって歩き出した。僕もそれについていく。

 唄が砂浜に座ったから、僕も隣に座った。

「一緒に死のうよ」

 唄はまだ一回も僕の顔を見てくれていなかった。視界に唄の手が入った。ギュッと砂を掴んで、すぐに指の間からその砂が漏れ出した。

「僕は死ねない。これが僕の信念だから」

「でも、怖くて一人で死ねないよ?」

「死なないでよ」

「じゃあどうすればいいの? もう無理だよ。顔もバレて、音楽も好きにできなくなったんだよ?」

 下顎を震わせて、口を噤んで、必死に泣くのを堪えていた。

「もう、自分がわからないよ。ぐちゃぐちゃなんだよ?」

 喉がヒクヒクと動いていた。

「もう、いいよ。全部やめよ。USの唄も学校での唄も琴さんの前の唄も。全部やめなよ」

「何も残らないじゃん」

「僕は唄がいてくれればいいよ。僕の前で歌ってくれればいいじゃん。学校も僕だけじゃなくて、石川も一緒にどんな唄も受け入れてくれるよ。優等生じゃなくていいよ。笑顔じゃなくてもいいよ。怒ってもいいよ」

 

「僕はそのままの唄が好きだよ」


 整理のつかない気持ちをそのまま口から出した。何も考えず、内容が伝わっているかなんてどうでもよくて、言いたいことを言った。身勝手で自分勝手で我儘な唄に思ったことをぶつけた。

 それで、手を握った。

「キスしようよ」

「なんで?」

「なんとなく。こういう時するものでしょ? すると何かあるそうじゃない?」

 まだ気持ちを無理に立て直そうとしている唄を感じた。

「あのペンダントある?」

 唄はポケットから「はい」と言って、渡してきた。いつ見ても不恰好なペンダントで、やっぱりセンスを感じられなかった。鍵を差して、中を見る。それだけをすればいい。僕も中が気になっていた。でも――


 立ち上がって、大声と一緒に海に投げた。

「⋯⋯何してんの」

 今日初めて唄と目が合った。

「殺したよ」


 僕は唄に強引にキスをした。


 3


 僕と唄は修学旅行明けに二週間の停学処分になって、先生は三ヶ月の減給処分という対処が取られた。

 その間に唄はUSを引退することをYouTubeで発表した。唄の事務所と唄の素顔を晒した週刊誌はバッシングの嵐で、週刊誌は異例の記者会見を開いて、謝罪した。唄にも謝りに来たそうだが、唄自身ももうそこまで怒ってなかった。


 停学の謹慎中に唄が家にやってきた。

「今は自宅謹慎だぞ?」

「だって暇なんだもん」

 確かに僕もそれには同感だ。最近は本を読む機会も極端に減って、暇を持て余すようになっていた。

「じゃあ、手伝って欲しいことあるんだけど」


 唄を家にあげると、真っ先に新一の写真に駆け寄った。

「なんかこの人、知ってる気がするんだよね」

「僕の兄だよ。他人の空似ってやつじゃない? それより、この部屋の片付け手伝って欲しいんだ」

 僕は新一の部屋を開けた。

「汚いね、ここ」

 唄の中に入った一声がこれだった。ずっと放置していたんだからしょうがない。唄に大きなゴミ袋を渡した。

「僕はこっちやるから唄そっちやって。使わなそうなの全部捨てちゃっていいよ」

 唄は僕と反対側を向いた。「分かった」と言って、どんどん袋に入れ始めた。

 僕も自分のものではないが、躊躇なく手当たり次第に袋の中に詰めていった。僕より遥かに大きかったはずの新一の洋服も、今ではちょうど着れるような大きさになっていた。カビ臭いし、虫食いされてるものもあって、どうにか着れそうなものもゴミ袋に詰めた。彼女からのプレゼントか、手紙も見つかったけど、中身を見ずに捨てた。小さい頃の思い出の物のような、戦隊モノのおもちゃも袋に詰めた。どんどん入れていくと、ゴミ袋が5袋目に突入した。大体部屋の七割近くが片付いたところで、自然と涙が溢れた。唄に気づかれないように目を拭いた。

「新くん、これは捨てていいの?」

 危ないタイミングで聞いてきた。唄はサッカーボールを持っていた。一回だけ使った。僕と新一の公園で遊んだ記憶が蘇った。

「捨てていいよ」

 手を止めると、今やっていることを後悔するような気がした。ゴミ袋に新一のものを入れる度に兄との記憶が蘇っていくのがわかった。ぽっかり空いた記憶が新一のものを捨てるのと同時に埋まっていく。兄との思い出もたくさん忘れていたことに気がついた。さらに涙がポツポツと垂れてくるから、その度に拭いた。前に遊園地にいったことがあった。兄の大学にいったこともあった。授業参観に来てくれたこともあった。いつも帰ってくると僕の頭を撫でてくれていた。そして、泣いていた。何で泣いていたのか。苦しかったんだと思う。無理をさせていた。僕は新一を殺していた。それでも、この部屋はもう片付けなくちゃいけないと思っていた。一人ではキツくて、唄が来てくれて本当によかった。


 最後に残ったのは新一の本棚だった。僕と似ていた。恋愛小説ばっかで、初めて血縁を感じた。でも、本を読みたいとは思わなかった。

「お兄さんも本が好きだったんだね」

 唄も片付け終わっていた。

「そうみたいだね」

 唄が一番右上の本を取った。そこから写真が落ちた。

 若い米村先生と新一の写真。楽しそうで、やっぱりカップルだったんだ。そう改めて思った。

「これ、米村先生じゃない?」

 唄はその写真を拾って、すぐに気づいた。

 よく、そのギャルが米村先生ってわかったな。と突っ込みたくなった。

「先生と付き合ってたんだって」

 唄はその写真を見て、微笑んだ。

「お似合いだね」

 僕もその写真を覗き込んで、「うん」と、言った。


 4


 今度は僕が唄の家に行った。次の日に仕返しのような気持ちで、インターホンを押すと、唄が出てきた。パジャマ姿で少し顔を熱らせた。

「停学中の生徒会長さんだらしないね」

「なんで急に来るの」

 声を低くした唄の後ろから、琴さんが出てきた。

「あら、新くん。こんにちは」

 いつもと変わらない琴さんに僕も軽く頭を下げた。

「お婆ちゃんはリビングいて!」

 唄はお婆ちゃんを回れ右させて、出てきたドアからまた入れた。

「ごめんね」

 戻ってきた唄は笑顔だった。


 5


 停学明け、最初の登校。一人で教室のドアを開けた。クラスメイトの視線を感じつつも、平然を装って椅子に座った。

「久しぶり」

 目の前には僕を待っていたかのように、石川が座っていた。

「大変だったな」

「そんなことないよ。石川もありがと」

「俺は何もしてねえよ」

 石川は外を向いて、照れ隠しをした。何もしてないとは言っても、誰一人何も聞いてこないのは石川が何かを言ってくれたんだと思った。


 6


 昼休みに屋上に行った。先生は一人空を眺めて、弁当を食べていた。僕のドアを開ける音に気づいて振り向いた。

「おー新。どうした?」

「なんか色々とありがとうございました。とか言いにこようかなって」

「そんなんいいよ。あーそうだ。ペンダントの中身なんだった?」

 完全に忘れていた。

「⋯⋯海に投げちゃいました」

 沈黙が通過してから先生は吹き出した。

「なんだそれ! どうしたらそんな流れになるんだよ」

「なんかすみません」

「あー馬鹿だな。でも、新はそれでよかったんだろ?」

「はい」


 7


 カラオケ。小さな箱の中にいる人にしか聴こえない閉鎖的かつ、庶民的な空間。上手いとか下手とか。そんなのはこの中では関係ない。別にクラスで一番上手い人とクラスで一番下手な人が一緒に行こうが何も問題はない。


「僕は歌が下手だよ」

「じゃあ私が先に歌うね」


 そして唄は僕だけに。僕に向けて、『ありがとう』を唄ってくれた。


 綺麗? 可憐? 秀麗? 違う。


 ただ、楽しそうに、くしゃっとした笑顔が可愛い普通の女の子が目の前にいた。


 唄は笑っていた。

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僕は夢を見る。そして、君は現実を唄う 夜空 青月 @itsuk

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