第7話 『犬猿の仲』

 草原の東に位置する森林は、今日も変わらず平和であった。

 そこに群生する、藤色の果実が生る木に、一羽の鳥が舞い降りた。

 鳥は、嘴で器用に枝から果実を切り離すと、早速その果肉に齧りつこうとした──



──その時、謎の衝撃を受けて木が大きく揺れた。


 突然の振動に危険を感じた鳥は、咥えた果実を落とし、しかし木の下に居る黒い獣に近づいて実を回収することもできず、すごすごとどこかに飛び去っていった。

 そして、か弱い鳥から果実を横取りした卑しい獣は、


「おっしゃああ!! 謎のムラサキ木の実ゲットォ──!!」


 と、清々しいほどに罪悪感とは無縁の感情、すなわち歓喜を顔に貼り付けていた。




────────────────────


 トウヤが獣として異世界に転生して、かれこれ3ヶ月の月日が経過した。

 ここに到達するまで魚ばかりを食してきたが、転生初日の宣言通り、筋トレは毎日欠かさず続けてきた。


「俺は有言実行するタイプだからな」


 腕立て伏せ100回、上体起こし100回、スクワット100回、そしてランニング10km。

 3年も続ければ頭髪を代償に無敵のヒーローになれそうなメニューを、この四足歩行の体で毎日続けてきた。



 ……嘘である。ホントは腕立て腹筋スクワットをそれぞれ20回ずつ、ランニングは1kmに抑え、その上で通算5日はサボった。

 転生したとしても、人間はすぐには変われないものだ。


 しかし努力の甲斐あって、小柄だった身体も見違える程に大きくなり、兄弟の中では最も逞しく育ったと自負している。

 流石に、トモコの巨体には遠く及ばないが。


「そういや、親父の顔をまだ見てねーな……」


 この3ヶ月間、一度もトウヤや兄弟たちの前に姿を表さなかった、白犬一家の大黒柱。

 やはり既に、野生の激しい生存競争の前に故人ならぬ故獣となってしまったのだろうか。しかしそうなると……。


「兄弟もトモコも、気の毒でならねぇよなあ……」


 父親の顔を一度も拝むことができないまま育ってゆく兄弟たちも、トウヤ含めて10匹の子供を女手ひとつで育てなければいけないシングルマザーのトモコも、可哀想で仕方がない。

 だがその理不尽を強いてくるのが野生の世界。

 そしてその中で奮闘するトモコの強さに、改めてトウヤは感嘆する。


「カアチャン……」


 トモコの負担を少しでも減らしたいと思って、なるべく早めに独り立ちすることを決意。

 何年経てばトモコぐらい大きくなれるのかは分からないが、今のトウヤでも普通にワニを上回るサイズにまで育っている。

 3ヶ月という期間、生活を共にした故、彼女らに愛着が湧いてきてしまったトウヤだったが、そろそろ離れても良い頃合いだとも思う。


「ま、その事についてはおいおい考えるとして……、まずは鳥から『貰った』この実を頂くとしますか」


 鳥から『奪った』藤色の実に齧りついた途端、トウヤの表情はぱあっと明るくなり……。


「甘っめえ────っ!! なんかこう……、超みずみずしくてメロンみたいな甘さが超甘い! ついでにこの果汁も超絶悶絶甘い! スイートイズジャスティス!!」


 3ヶ月前は未遂に終わった、内容薄っぺらな食レポ。

 『甘い』という単語を四つも使って太鼓判を押すトウヤだったが、冗談抜きで前世食したどのフルーツよりも美味いと感じた。


 もう異世界の食事全部コレで良いかな、と舌鼓を打ちながら思うトウヤであった。


────────────────────

 3ヶ月ぶりの甘味に舌を満足させたトウヤは、本日の筋トレメニューのランニング1km

に取り組む為、森を走り回っていた。


「ハァ、ハァ……。あと……半分……!」


 流石にピッタリ1kmは計れないので、転生初日に訪れた、大穴のある広場までの距離を勝手に1kmだと決めつけてトウヤは臨んでいる。

 結構遠いので多分もっと距離ある。


「うおおおおお、根性ォォォ!!」


 残りの体力を振り絞り、ようやく広場に辿り着いた。

 記録・2分42秒。

 前世の軟弱トウヤなら決してありえないタイムだが、獲物を追う猛獣の脚とスタミナなら普通だろうと謙虚に考える。


 しかし、その広場には既に先達者が居た。

 それは……。



「げ、『当たり屋』ハチロー」


 兄弟の中で唯一トウヤに顔を覚えられ(てしまっ)た男、当たり屋ハチローだった。

 兄弟は全員もれなくトウヤに冷たいが、特に彼はトウヤに対する当たりが厳しい。

 トウヤも海のように心の広い男ではなく、どちらかといえば短期な方なので、ハチローとトウヤの仲はあまり良くない……どころか、犬猿の仲といえる程までに発展したのであった。どちらも犬だが。



「グルルゥゥゥ……」


「何だソレ、威嚇のつもりか? あの百獣の王と比べれば、凄むお前なんてカワイイもんだな……!」


 嫌悪感を示す当たり屋ハチローを煽り散らす皮肉屋トウヤ。

 言ってる意味は分からなくとも舐めた態度は伝わったのだろう、ハチローは直後にトウヤに襲いかかった。


「うおおおお!! 不意打ちとか卑怯だぞ、テメェコラァ!!」


「ガウルルル!!」


 白と黒の毛玉が取っ組み合って地面をゴロゴロ転がる。

 黒い方が尻尾を白い方に噛みつかれて、情けない悲鳴をあげながら逃亡することで戦いは集結した。


「痛っだあああ!!! お前、容赦ねぇな!?」


 逃げ足だけは早い黒毛玉。

 大穴の外周を回ってハチローから距離をとると、尻尾をさすりながら「あっかんべー」と懲りなく挑発する。そしてまた追いかけられて逃げる。


「はあ疲れた、休憩」


 ハチローの体力が尽きるまで逃げ切り、トウヤも逃げるのをやめる頃には、既に空は暗くなってきていた。


「オイ当たり屋、そろそろ帰るぞ」


 トウヤがハチローの方を見ると、ハチローはすり鉢状に下へと続く道を通って、大穴の中に入ろうとしていた。


「オイオイ、お前正気かよ? 中で迷っても知らねーぞ」


「ワンッ!!」



 トウヤのイヤミな忠告に対し、「構うな、とっとと帰れ」という意味を含めて吠え返したことがトウヤには分かった。

 自分勝手で、孤高の存在ぶる男。ハチローとはそういう奴なのだ。


「わーったよ。夕飯までには帰ってこい、バカ犬」


 最後に罵倒混じりの別れを告げ、トウヤはひと足先に草原に戻っていった。


────────────────────


 月によく似た丸い星が顔を出し始めると、トウヤたちの晩餐は始まる。

 トモコが与えた肉を兄弟たちが美味しく頂く横で、トウヤだけ魚をもそもそと貪っているという、傍から見たら黒い奴だけいじめられてるんじゃないかと勘違いするような光景。


 しかし、既に月が顔を出しきっているというのに、今日の晩餐が始まらない。

 その理由は、単純にその食事会の顔ぶれが一人……いや、一匹足りないことに他ならない。


 それから10分、20分……1時間が経過しても……、





 ──いつまで経っても、ハチローは戻ってこなかった。

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