第16話 『目玉商品、ミクリ・トウヤ』
『魔物競売』の会場に、どよめきと困惑の声が渦巻いた。
その中心に堂々と立っている赤の青年は、本物の獣であるトウヤ以上に猛獣らしい目つきをして、舞台の上──檻の中のカビオルを覗き込んだ。
「お前、名前は?」
ヴォルテが値踏みするようにカビオルを見やり、名前を訊く。
極度の緊張に顔を強ばらせるカビオルが、声を震わせながら名乗った。
「お、おらは……。おらはカビオルと、申します……だべ……!」
それを聞き届けたヴォルテは、「そうか」とだけ応じると──。
「カビオルとやら、お前は今日この瞬間からワイらの
明日から散々こき使ってやるからのう!」
それはもう愉快そうに、天井を仰いで大胆に笑ったのだった。
その笑いは、ヴォルテが入札するまでの間に権力者たちがカビオルに浴びせたような、悪意にまみれたそれではなく、一つの篝火のように闇を照らす、明るく純粋な笑いだった。
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「──ヴォルテ・アクシード……」
会場全体に、その炎の男の笑い声が響き渡る中、トウヤは複雑な心境に陥っていた。
即ち──、ヴォルテが気に食わない。
カビオルにとっては、ヴォルテ・アクシードは命を救ってくれた恩人だ。そしてトウヤも、それに「だけ」は感謝している。
しかし。しかしだ。そもそも最初から『魔物競売』なんてものが無ければ、あるいはカビオルが『魔物競売』に出品されなければ。彼の人生に、このような危機は訪れなかったはずだ。
非合法な遊びを好む権力者たちの悪意で運営されている、魔物を取り扱う闇オークション。
そこに商品として吊るし上げられて、自分を選んでくれた購買者に最大限の感謝を?
──ふざけるな。
その無かったはずの感謝を享受して、自分が救世主であると勘違いするなど罪深い。
極論で語ってしまえば、この腐りきった競売が作り出した偽物のドラマ、自作自演だ。
だからこそ、トウヤはヴォルテの行動は認めても、ヴォルテ・アクシードという人間そのものを受け入れられない。
今カビオルが流している大粒の涙まで自己満足の一つにしているこの男を、トウヤは心の底から認めることができない。
──これは、嫉妬だろうか。
『な、なんとなんとォォ!! 誰も入札しようとする者がいない中、まさかのアクシード卿が、曰く付きと評されたオークを落札ぅぅ!! 何という奇跡、これは最後の競売がますます楽しみになってくるぞォォ!!』
予想外の展開を目の当たりにし、今までで最もテンションが振り切った状態の司会。
その司会というよりはやはり実況らしい台詞を聞いて、トウヤはハッと我に返る。
そう、舞台上に残った檻はたった一つ。
ミクリ・トウヤ──自分を巡る競売が、いよいよ幕を開けるのだ。
成績も運動神経も平均以下。そんな残念男子高校生の魂が宿ったケダモノなど、誰が欲するというのだろうか。
『さあ、皆様お待たせしました。いよいよ最後の『魔物競売』となりますが、きっと皆様には最後まで楽しんで頂けることでしょう! 何故ならば、ラストを飾るに相応しい【目玉】をご用意したからです!!』
無駄におだてて、余計なプレッシャーを与えてくる司会。
一体これは何の嫌がらせなのだろう。
『それでは参りましょう、商品番号10番!
──全身を覆う漆黒の毛並みを持ち、人の言葉を口から紡ぐその存在は、かの『魔骸』の後継者か!! ネクストドルマ、ミクリィィ──、トウヤァァ──!!』
ますますテンションが上がった司会が、これまでの商品と同様にリングコールっぽい台詞を叫びながら、トウヤにスポットライトを当てる。
その台詞の中に少々気になる単語が混じっていたが、今はいちいちそれを質問する雰囲気でもない。
『さあ、競売を開始します!! 開始価格は、1億ドロピカから!!』
「いちお……!!?」
不意に司会の口から放たれた目玉が飛び出るような価格に、別に入札する側でもないのにトウヤは戦慄の表情を隠せない。
1億ドロピカ……、それが日本円でいくらになるのかは分からないが、少なくともトウヤの価値はあのカランブの約二倍。
そして1000ドロピカが開始価格だったカビオルの、ちょうど10万倍ということになる。
いったい何が、トウヤの価値をそこまで高騰させているというのか。
わからない。分からない。解らない。
トウヤを落札したからといって、何か役に立つわけではない。
家事もできなければ、雇い主を守る用心棒のような戦闘力も無い。トウヤだけが持つ能力なんてありはしないし、そもそもトモコやハチロー達と違ってトウヤだけが魔法を使えない。
無能だ。鑑賞用にするにしても、かの生ける宝石の方がよっぽど目の保養になるに違いない。
そんな無能を、大金を払ってまで得ようとする物好きなんて、誰も──。
「1億1000万!!」
「1億2000万!!」
「1億3000万ドロピカ!!」
「1億3500万!!」
「こっちは1億4000万だ!!」
──馬鹿げている。それしか言う言葉が見つからない。
彼らは何をトウヤに求めているのだろうか。トウヤに何を期待しているというのだろうか。
この世界にとって、ミクリ・トウヤという存在がそこまで大きいものだとでも?
権力者たちが血眼で入札している様子を見て、その視線を一斉に浴びるトウヤは辟易とせざるを得ない。
この場所に居る誰もかれもが、トウヤを自分のモノにしたいという欲望を以て大金を宣言する。
それがトウヤにとっては吐き気を催すような気色悪さに満ちていて、まるで求められているのが自分ではない『何か』であるような気すらしてきて、遂には自分自身が何なのか分からなくなる。
異世界に落ちてきてからトウヤは本当にミクリ・トウヤなのか?この黒獣が俺であるなら俺はトウヤだっけドルマなんだっけそもそも何でこんな姿になってるんだっけ俺はドルマは元々人間でミクリ・トウヤで異世界に来る前は黒い獣でいや違うニンゲンだったのはミクリ・トウヤだったときで俺は──。
「──じゃ、そろそろワイも入札させて貰おうか。……1億6000万ドロピカ」
支離滅裂な思考で完全に頭がオーバーヒートしてしまったトウヤの意識を戻したのは、前回の『魔物競売』でカビオルを救った炎の青年の声。
「え、あ、ぅ……」
「怯えとるようやが安心せい。ウチはどんな新参者でも仲間として受け入れ、家族として扱うことをモットーにしとるんや。いわゆる、『あっとほーむ』な職場ってヤツやな……ん? 家だから職場ではねぇか」
自分の台詞を訂正しつつも、あくまで善意で以てトウヤを迎え入れる姿勢をアピールするヴォルテ。
彼の存在をあまり気に入っていないトウヤはヴォルテの言を信じるかどうか決めかねるが、そうして迷っている内に……、
「──では妾は、1億7000万の値で入札しようかのう」
──さらに上の巨額を積んで、別の入札者が横槍を入れてきた。
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全く別の方向から乱入してきたその者は、ウェーブがかった水色のロングヘアを揺らす妖艶な雰囲気の女性だった。
幻想的な青い蝶をイメージしてあるようなドレスに身を包み、これまた同じような意匠の雅な扇で口元を隠す、気品に溢れた佇まい。
遠い客席の奥に座っていても彼女が輝いてみえるのは、青いドレスに施された鱗粉のようなラメによるものだろうか。
「……何やおったんか。相変わらずド派手な服着てるわりに存在感薄いのう、エレナ・ハシュロウ卿」
「そちらこそ、まさかあのような不細工な豚を落札しようとはな。こんな愚かな息子にアクシードの当主を任せることになるとは、先代のヴィアノ様が気の毒でならんの。
──のう、ヴォルテ・アクシード卿?」
青髪の美女──エレナを鋭い目つきで睨みつけ、軽く挑発するヴォルテ。
それを受けたエレナはヴォルテの行動を皮肉り、毒を吐きながら感情の冷えきった目でかの青年を蔑視する。
沸点が低いのかさらに目をつり上げ、殺意を宿したような眼差しでエレナを貫くヴォルテ。
剣呑な雰囲気の前に流石のトウヤも、「もしかしなくてもコイツら不仲か」と察することができた。
会場全体にギスギスした空気が蔓延し、さっきまでの入札ラッシュに急ブレーキが掛かる。
つまりここからは、この二人の一騎打ちとなる訳だ。
「1億7500万ドロ!! お前に落札は無理や、ここらで手ぇ引くのをオススメするで!!」
エレナの宣言した金額よりもさらに上の値をヴォルテが叫ぶ。しかしエレナはまだまだ余裕そうな表情で、
「ならば妾は1億8000万ドロピカで入札してやろう。たかが500万程度の差で妾を挫けさせようとは、片腹痛いわ」
もう一段上の金額を提示して、エレナがヴォルテを再び追い抜いた。
しかしヴォルテも一切怯むことなく、
「ほんなら1億9000万、これでどうや!!」
さらに1000万ドロピカを上乗せして、エレナを突き放す。
いよいよトウヤの値は開始価格である1億ドロピカの2倍に迫る巨額になろうとしており、凄まじいペースで膨れ上がっていく額を前にして、トウヤの体が小刻みに震える。
果たして、トウヤを落札するのは──?
「──2億ドロピカ。まだやるかの?」
その値を宣言したのは、妖艶な雰囲気を漂わせる青の女性。
彼女はその美しい顔に微笑を浮かべると、
「これ以上は不毛な時間だと思うがどうじゃ? 妾は気高き黒の魔骸、おぬしは低俗な野豚。お互い魔物を一匹ずつ落札して今日のところは手を引くというのは……」
「割に合ってないんじゃボケ。ワイは欲しいもんは全部手に入れる。オークもドルマもどきも、お前に譲る魔物は一匹たりとも……」
「──さっきから黙って聞いてりゃお前らァァ!! この期に及んでまだカビオルを侮辱する気か!? いい加減にしやがれ!!」
再び一触即発の空気を漂わせる二人に対して、カビオルへの粗雑な扱いに耐えきれなくなったトウヤが怒号を飛ばす。
突然の怒声に二人はきょとんとした反応を見せ、お互いに顔を見合わせる。そして次の刹那に、
「黙っとれ! これはワイの矜恃に関わる問題や! 喋れるからって、犬っころが調子に乗るんやない!!」
「不本意じゃが、アクシード卿と同意見じゃ。妾とこやつの勝負に、お前のような犬畜生ごときが口出しできるとでも思っておるのか?」
──と、憤慨するトウヤに対しても辛辣な意見を述べる。
悔しさで胸がはち切れそうだが、参加者である彼らと商品であるトウヤでは、彼らの方が圧倒的に立場が上だ。
既にヴォルテとエレナ以外の参加者が入札しようとする気配は無い。
つまりトウヤの買い手はこの二人のどちらかだということが確定したため、下手に触発すると今後の主との関係にも影響が出てくる。
故にトウヤがここで取るべき賢い行動は、騒ぎ立てずに、黙って『魔物競売』の行方を見守ることなのだ。
「ぐぎぎ……、」
しかしトウヤは冷静ではなかった。
罪の無い人間……正しくは魔物だが、その心を弄び侮辱する権力者たちに激しい嫌悪感を抱き、義憤のようなものに駆られる。
元々、ミクリ・トウヤはそこまで正義感の強い人間ではない。
学校内でのイジメに気づいても、先生に報告する以上の行動を起こそうとはしないし、ポイ捨てや信号無視といったちょっとした罪に対してもいちいち追求したりはしない。
常人程度の倫理、常人程度の道徳心。それらしか持たないトウヤが、いつの間に偽善者ぶった性格になっていたのか。
「それで、どうする? アクシード卿。早々に諦めてくれると、そのぶん時間を無駄にせずに済むのじゃが」
そんなトウヤの義憤を無視して、エレナはヴォルテに降参を促す。
ヴォルテの「売られた喧嘩は買うのが決まり」的な性格を考えるなら、下手な挑発は逆効果だということがトウヤにも容易く予想できるのだが、果たしてエレナはヴォルテの思考をちゃんと読んでいるのだろうか。
あるいは、相手の心理を読むことすら避けるほどに仲が悪いのだろうか。
おそらく後者だ、とトウヤは二人の面倒な関係について想像し、呆れながらそう決めつけた──その時だった。
「──クハハハハハハハハハハッッ!!!
どうやらここには、しょうもない守銭奴共しかいないようだな!!」
突然、どこからか響いた野蛮な声が、トウヤの耳を強く打ちつけた。
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