第15話 『醜態と憎悪』

「──5000万ドロピカ!!」

「こっちは5500万ドロピカだ!」

「6000万でどうかしら!?」


 ざっと100人余りの権力者たちが『宝亀カランブ』を巡り、オークションの熱狂は順調にエスカレートしていく。

 一匹の魔物に大金を掛ける、その狂気とも言える光景をトウヤは指を咥えて見ているだけ──と思っていたのだが、早くもツッコミたいところが生まれてきてしまった。

 もちろんそれは、新たな異世界用語の登場に他ならない。


「なあカビオル。『どろぴか』って何だ?」


「一体、どんな辺境で暮らしてたら『ドロピカ』を知らずに生きてこれるだべ……?」


 トウヤの無知蒙昧ぶりに呆れの表情を隠せないカビオル。

 彼の反応を見る限り、どうやらこの『ドロピカ』とは異世界に於いての必修事項らしい。

 まあ、客が入札時に『〜ドロピカ』と宣言しているのを見ていれば、その正体が何となく予想できてしまうが。


「それでも一応訊いておこう、『ドロピカ』とはこれいかに」


「ドロピカはこの大陸中の国々で使われている一般貨幣のことに決まってるべ。……それにしても、6000万ドロピカのような大金が飛び交うのを見てると、農業で金を稼いで生計を立てていた自分が場違いな気がしてくるだべ……」


 目の前で起こっている巨額のやり取りにため息を零しながら、ドロピカについて語るカビオル。

 やはりトウヤの予想通り、ドロピカは異世界で使われる貨幣のことだった。

 ゆいいつ予想が外れたことといえば、在り来りな『ゴールド』みたいな名前が使われていると思っていたが、実際は全く違う名称だったことぐらいだ。


『6000万、6000万ドロピカ以上の額で入札する方は居ませんか?』


 司会者が別の入札者の確認を取るが、手を挙げてさらに多く金を積む競売参加者はもう居ない。

 間もなくカン、カン──という木槌の音が会場に響き、宝亀の引き取り手が確定する。


『それでは、6000万ドロピカでの落札となります!』


「やったぞ……! まさかあのカランブを手にする日が訪れようとは……!」


 客席の奥に座っていた、落札に成功したらしい立派なヒゲのおじいさんが興奮気味に立ち上がる。

 やはり『生ける宝石』と呼ばれているだけあって、それだけ価値のある魔物だったのだろう。


『最初の商品、カランブを落札したのは宝石マニアのアリゴ・オイビース卿! 生ける宝石を掴み取った彼に、盛大な拍手を!!』


 司会者が、カランブを落札した老人──アリゴを祝福すると、それに続いてスタンディングオベーションかという程の大拍手が彼に向けて送られる。約15秒間続いた喝采が落ち着くと、司会者は切り替えて次の商品にスポットライトを当てた。


『さあ、カランブを逃してもまだまだ大物は残っています、張り切って参りましょう! 次の商品はコチラ──!』


────────────────────


 その後も、『魔物競売』は熱狂が冷めることなく続いた。

 出品物の中には、火竜のタマゴやコカトリスの幼体、カビオルのような亜人種も存在していた。

 それらが自分の意思を考慮されずに高額で売りさばかれ、故郷へ二度と帰れない喪失感を抱えたまま新しい環境での生活を強制される。

 その残酷な光景に胸糞が悪くなり、同時に己の未来に不安が募る。


 とうとう8つ目の商品が落札され、残ったのはトウヤとカビオルのみ。


『さあ、残る出品物はあと2つとなりました! 名残惜しいですが、9つ目の商品へと参りましょう!!』


 司会者の声と同時に、天井からのスポットライトがトウヤの右の檻を照らす。

 その光を浴びるのは、茶色の体毛の上に貧相な服を纏った豚顔の亜人。


『商品番号9番──、屈強な肉体とスタミナを持つ大猪!! オークだ──!!』


 司会者がこれまでと同じように、檻の中を指さして高らかに魔物の名称を叫ぶ。

 それに続くように客席が興奮の熱に包まれ、魔物競売が開始する──はずだった。


(な、何だ? この嫌な空気は……)


 気まずい空気を読み取る力が人一倍強いトウヤは、会場が不穏な雰囲気に包まれたことをすぐに感じ取った。

 参加者たちは困惑したようにざわつき、カビオルを指さしながら顔を見合わせ、何かを話し込んでいる。


 発達した聴覚を持つトウヤの獣耳は、彼らの小さな話し声を正確に聞き取ることができた。そしてその内容は……。




「──オークですって。入札してみては?」

「ご冗談を……。あんな小汚いブタ、誰が買いたいと思いますか?」


「労働力にはなると思うが……、それ以上に食費がな……」

「オークの食欲は半端じゃないからな。いくら安く売られても、結果的に損失の部分が大きい……」



 それは、カビオルに入札することに対する否定的な意見だった。

 この場に居る誰もが、彼を落札しようとは欠片も思っていない。


 カビオルへのあんまりな評価に、トウヤの腸が沸々と煮えたぎる。

 が、逆に考えてしまえばカビオルは誰にも買われないまま、元の生活に戻ることが出来るということだ。

 飢えた状態でなお、汗水を垂らして働き続ける、そんな奴隷のような一生を彼が送ることはない。それが自分のことのように嬉しくて、トウヤは心の底から安堵を──。




「誰も入札する人は居ないか……。じゃ、このオークは【殺処分】ってコトで」


「────は?」




 ……この男は何を言っている?


 殺処分? 殺す? ──死?



「……お前、今なんて言った?」


「だから、【殺処分】だって。アレ、説明してなかったっけ?」


 聞き間違えを疑ったトウヤの質問。

 聞き間違えであって欲しいという彼の願望は、何の重みも乗せずに放たれた一言によって切り捨てられた。



「この『魔物競売』に於いて売れない奴は必要ない。でもこの競売は非合法だ。例え我々に必要のない魔物でも、その情報を外部に言いふらされたら困る」


「────」


「だから、売れなかった魔物はもれなく殺処分って訳さ。ああ、安心して。君は必ず高値で売れる。だから君をトリに持ってきたんだよ?」


「俺のことはどうだっていい!! それじゃ、カビオルは……!」


「…………」


 その質問に司会者は答えず、客席の方を向いて『魔物競売』を進行する。


『では、『魔物競売』を開始します! 開始価格は1000ドロピカから!!』


「──この魔物競売に、オークのような醜い魔物は必要ない!」

「もはや誰も入札する奴は居ない、こんな無意味な競売は終わらせて、早く最後の商品を出せ!」


 魔物競売の開始を宣言した司会者とカビオルに対し、参加者たちは客席から無情にもヤジを飛ばす。


 トウヤの中で、黒い感情が渦巻いた。

 奴らのそれは、一つの命を踏みにじる行為だ。絶対に許せない。


 とうとう怒りが頂点に達し、決心した。

 もう自分がどうなろうと構わない。それでも、カビオルを見捨てる訳にはいかない。否、見捨ててはならない。

 喉から振り絞るように、そして客席のヤジを吹き飛ばすように、号ぶ。


「だま──」





「──お願いしますだ!! 誰かおらを……、買ってくださいだ……!!」



 ……トウヤの声が出ることはなかった。

 その理由は、他でもないカビオルの行動によるものだった。


 頭を床に擦り付け、競売参加者に入札を懇願するカビオル。その姿が見苦しくて、今すぐに「やめろ」と制止してやりたい。

 しかし、彼にはもうそれしかないのだ。


 そうやって醜く命乞いをするしか、彼が生き残るチャンスを掴む方法は無いのだ。


「最低限の食事だけで良いですだ! それでも一生懸命働きますだ!! たとえ骨が砕けても、筋肉が千切れても、おらに出来ることなら何でもしますだ!! だからどうか……、どうか、おらに入札してくれだ……!!!」


 どれだけ理不尽な環境であろうと、命をかけて貢献することを誓うカビオル。


 どうして彼がそんな誓いを立てなければならない?

 こんな状況でも他人に気を配っていた、少なくとも自分よりはまともな人格者だったのに。

 そんな彼が、どうして──。




「──ぷっ」



「ひひ、ひひひひひひ」


       「うへへへへへへへ」


「ひゃはははははははは」


       「おーほっほっほ……!」


「わはは、わははははは!!」



 客席の一人が吹き出し、そこから悪意に満ちた笑い声が広がってゆく。


「見ろ、あの醜態を……!」

「そんなに死にたくないか、薄汚いオーク風情が!」


 目の前で跪く弱者に心無い言葉を浴びせ、その小さな存在を大勢で嘲笑する。

 カビオルが今、どれだけの屈辱を受けているのかはトウヤには分からない。

 それでも、これだけは言える。




 ──カビオルがお前らに頭を下げる理由は無い。そして、お前らがカビオルを嗤う資格もまた無い。


 この時、ミクリ・トウヤは異世界に来て初めて、心の底から憎悪と殺意をみなぎらせた。



「──笑ってんじゃねえよ、クソ共が……」


 怒りを耐えきれず、声が震える。



 ──ああ。コイツら全員、縦穴の大ウツボに喰われちまえばいいのに。











「──ほい、1001ドロピカ」




『──────!!?』


 嘲笑の中、不意に放たれた一言に全員が驚愕し、沈黙する。

 それは商品にされたカビオルの命を左右する発言、すなわち入札だ。



『い、今の声は……?』


「あー、ワイやワイ。どーせ他に誰も入札する奴はおらんやろうし、もう1ドロピカ単位でええやろ?」


 そう言って立ち上がったのは、赤い着物を身に纏い、髪の色さえも赤い、まるで燃え盛る炎を擬人化させたような青年だった。

 元の世界でいうところの関西弁を巧みに使い、キセルを咥えて懐手で立つその姿は強いカリスマに満ち溢れている。


 どこかの組の若頭、という印象を持たせるその男は、獲物を狙う猛獣のような鋭い目を見開くと──。


「気に入った。そのオーク、このヴォルテ・アクシードが買い取らせて貰うわ」


 そう言って笑い、牙のような歯をギラつかせた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る