第20話 『獣生チェックメイト』

 ──冷や汗が止まらない。


 人間は、人智を超越した怪物と対峙した時、そしてそれに敵意を向けられた時、こうも汗が止まらなくなるものなのか。


「……あ、俺もう人間じゃなかった」


 現実逃避の軽口で、今さらすぎる事実を再認識。

 仕切り直して深呼吸するも、今にも爆ぜそうな心臓の鼓動は収まる気配がない。


 噴き出た汗が体毛に染み込んで気持ち悪い。


 耳元で際限なく響き続ける耳鳴りがうるさい。


 脚が生まれたての小鹿のように震えて動かない。

 コンディションは極めて最悪だ。


「──悪りぃ、おれ死んだ」


 観念して、トウヤは絶対的な死を悟る。

 転生してから今まで何度も命の危機に晒されて、その度に状況に流されてこんな所まで来てしまったが、今回ばかりはどうしようもない。


 地下の闘技場で相対する、の魔物。

 一方の黒いライガーンは何もできずに沈黙し、そしてもう一方の赤い蜥蜴トカゲは──。


「グルゥゥゥオオオオオッッ!!!」


(来た……ッ!)


 闘技場の地面を抉りながら、真紅の重戦車がトウヤに向かって進撃する。


ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ 何故このようなことになっているのか、それは1時間前まで遡る──。


───────────────────────


「……レヴィの奴、遅いな」


 土臭い地下牢の中で、トウヤは退屈な時間を過ごしていた。

 レヴィアと別れてから二時間が経過している。時計が無いので詳細な時間は分からないが、体感そのぐらいだ。


「交渉に手間取ってんのか?」


 確かにあの領主の頑固(そう)な性格を思えば、さすがのレヴィアであっても説得は難しいだろう。


「クソ、まさかあいつ俺のこと忘れて……」


 二時間前の会話で彼とはある程度打ち解けたと思っていたが、単なる思い込みか。

 なんか『友達だと思ってたけど実はそう思っているのは自分だけでした』みたいな、痛くて恥ずかしいことになってたらヤダな、とか思っていると──。



「……足音?」


 じゃり、じゃり、じゃりと、砂の道を靴裏が踏む音をトウヤは聞き逃さなかった。そしてその足音の主は、確実にこちらに向かってきている。


「やっと戻ってきたかレヴィ! で、どうだ? あのクソ頑固親父は説得できたのか?」


 まだ姿も見えていないのに、向かってくる者を勝手にレヴィアだと断定したトウヤは、調子に乗ってそんなことを口走る。

 その不注意が、悲劇を招く。


「……誰がクソ頑固親父だと?」


「」


 鉄格子の隙間から姿を現したガイオスを見て、トウヤは絶句してしまった。

 どうにかして言い訳を捻り出すため、脳ミソをフル回転。


「ら、ライガーンの業界では……『クソ頑固親父』は最上級の褒め言葉で……」


 どんだけ無理のある言い訳してんだ俺。

 最悪の展開だ。よりによって何でコイツが出てきてしまったのか。

 先の失言でトウヤ開放の話が取り消されてしまえば、折角のレヴィアの努力が水の泡に──。


「出ろ、駄犬」


「え、は、え?」


 もはや地下牢から出るのは絶望的だと思っていたトウヤの予想に反し、ガイオスはあっさりと檻の鍵を外す。

 錆びついた扉が耳障りな音を立てて開き、囚われのトウヤは再び自由となった。


「ついてこい」


 ガイオスが背を向け、歩き出す。トウヤは混乱したまま目の前の男について行くが、胸中では疑心暗鬼を隠せずにいる。


 この男は何を考えている?


 ガイオスの思考が読めずに焦るトウヤ。このまま奴について行っていいのか、とも考えた。


(後ろから不意打ちすれば倒せるか……? 奴を押し倒して、前足で身体を押さえつけながら頸を噛み千切って──)


 ガイオスを倒す方法を脳内シミュレーションするも、『頸を噛み千切って』のところでトウヤの喉が凍りつく。


 ──それは、俺が殺られた殺し方じゃねえか。


 忘れもしない、ショウゴを庇ってライオンに頸を噛み砕かれた忌々しい記憶。

 そんな風に死んだのに、今度は同じ方法で他人の命を奪うのか。


(……そんなのは、ゴメンだ)


 今のトウヤは、獣の肉体を持ちながら人間の心を宿す中途半端な存在。


 だが、それでいいではないか。

 人間だったものが、身だけでなく心も獣になってしまうのは虚しいことだと思う。

 こんな姿になっても、ミクリ・トウヤは人間だ。それは揺るぎない事実だ。


(それにコイツを殺したら、あの子が悲しむ──)


 トウヤが思い浮かべたのは、ガイオスと血が繋がっているとは思えないほど無垢な目をした少女。

 彼女がガイオスに殴られた光景は記憶に新しいが、それでもあの子にガイオスを恨むほどの根気は無いように感じた。

 例え暴力を振るうような最低の父親でも、健気な彼女はその死を悲しむだろう。

 だから今は……我慢だ。


「ほれ、着いたぞ」


 檻が並ぶ道を進んでいくと、今にも壊れてしまいそうな古びた扉があった。ガイオスがそれを開き、

トウヤが中を覗き込むと、そこには階段が続いていた。しかし──、


「……さらに、地下?」


 そこにあったのは地上へと戻る上り階段ではなく、さらに地中奥深くへと続く下り階段だった。


「行くぞ」


「ちょ、ちょっと待てよオイ! お前レヴィから話されただろ!? 俺をここから出すって!」


 今からどこに連れていかれるかが不安で、トウヤはガイオスに叫ぶ。地下牢からは抜け出したが、さらにその地下の隔離施設に幽閉されては元も子もない。

 まさかさっきの『クソ頑固親父』のくだりでガイオスの気が変わってしまったのか。


「ああ。お前をここから出してやるのは約束するが……、その前に儂を楽しませて貰おうと思ってな」


「た……楽しませるだぁ? 俺一発芸とか苦手なんだけど……」


 文化祭で頼まれて一発芸をしたことがあるが、あれはかなりヒドかった。思い出したくもないので割愛する。


「ふん、お前のような出来の悪い犬の芸などに興味はない。そんなつまらないものより、よっぽど愉快なことをやらせてやろう」


「…………?」


 心なしか上機嫌に見えるガイオスの様子に、トウヤは不信感を感じた。

 ……なんだか、ロクなことにならない気がする。


───────────────────────


 階段を下りたその先にあったのは、ローマのコロッセオを彷彿とさせる闘技場だった。さっきの地下牢と比べるとかなり明るく、広さも闘牛をやれるぐらいには申し分ない。


「こんなトコで何すんだ……?」


 闘技場の真ん中でキョロキョロしているトウヤは、今から何が始まるのかと警戒している。

 そういえば、いつの間にかガイオスの姿が見えなくなったが、あの男はどこに行ったのだろうか。


「オイどこだ、説明しろクソ頑固親父──」



 ……次の瞬間、トウヤは自分の心臓が縮むような感覚を覚えた。

 この気配は人間じゃない。まるで草原の大穴の時の、大ウツボに睨まれているような、そんな──。


 

『グゴォォォオォオォオオオォォ!!!』


「────!!?」


 響く咆哮。その得体の知れない迫力に、トウヤの全身の毛が逆立った。


 ……そうだ。これは強大な魔物と接敵したときの、本能的な恐怖だ。


「逃げ、ねぇと……」


 後ずさり、怪物がまだ来ていないことを確認してから、振り返って階段の方へと走りだす。

 階段まで約10メートル。5メートル。1メート……


「…………なッ!?」


 あと少しというところで、階段への通路が塞がれた。上から鋼鉄のシャッターが降りて、トウヤはこの闘技場に囚われる。

 こんなことをしでかすのは、たった一人しか有り得ない。


「ガイオス……てめぇ!!」


 シャッターの奥に佇むガイオスを睨みながら、トウヤは吠える。


「言った筈だ。ここから出たくば、儂を楽しませろ、と」


「楽しませる……って」


 地響きが迫る。後ろを向くと、闘技場の中央に巨大な赤トカゲが居座っていた。


「何なんだよ、アレは……」


「『灼槌竜』プロテウスと呼ばれる、爬虫種の魔物だ。儂が保有する魔物の中でも随一の強さと凶暴性を持つ」


「……まさかアレと戦えと?」


 中世の貴族の見世物じゃあるまいし、それはないだろうとガイオスに確認する。

 ガイオスは笑みを浮かべながら言った。


「理解が早いじゃないか、さあ行け」


「くそったれェェェェ!!!」


 この男、血も涙もない。

 トウヤは悔しさに奥歯を噛みしめながら、闘技場へと戻った。


 近づく程にプロテウスの巨体が実感できる。

 全長は約7、8メートル、全身を覆う皮膚は返り血を浴びたように赤く、背中には岩のような甲羅を装備している。なんか顎がしゃくれてるのはどうでもいい。

 特筆すべきは特徴的な尻尾だろう。アンキロサウルスのようなハンマー状の尻尾には不揃いの棘が生え揃っており、アレで叩き潰されれば致命傷は避けられないと言うまでもなく分かる。

 ……なるほど、灼槌竜とはよく言ったものだ。


「──やってやるよ、この野郎」


『ルルルルルル……』


「テメェぶっ飛ばして、ついでにあの成金親父もブン殴る。そしたら俺は……」


 あの子のところへ行こうと、そう思う。

 ここで終わるなら、俺はその程度の人間だったということだ。

 ただ、もし生き延びることができたなら、もう少しだけこの世界を見てみたい。きっと未知のものが沢山ある。


 そしてその旅の中で……、変わりたい。

 何もできなくて何もしなかった癖に、尊大な羞恥心を以て目を現実から逸らし続けていたかつての自分には戻りたくない。


「俺は変わる。テメェはその記念すべき第一歩の糧になるんだ。光栄に、思いやがれ!」


 トウヤは威勢よく啖呵を切って、灼槌竜へと突進する。

 鱗の無いブヨブヨした前足に噛みつき、牙を立て、肉を抉る。

 口内に充満したプロテウスの血の臭いに不快感を募らせるも、顎の力は緩めない。

 もっと強く噛め。神経を食いちぎれ。相手の前足が機能しなくなる程に──。


 ────。


 ─────────。




 ……プロテウスが前足を振っただけで、トウヤの牙は折れてしまった。

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転狼記 〜尊大な羞恥心は魔獣だった〜 シクロ @cicro

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