第19話 『地下牢にて』

 ぼんやりとした松明の明かりを頼りに、薄暗く埃っぽい通路を歩く。縦幅2m、横幅1.5m程度の狭い道だ。

 そんな場所を、トウヤは先導する剣士の背中だけを眺めながら進むしかない。


 なぜなら、チラと視線を横に向けただけで無数に並ぶと目が合ってしまうからだ。


(どーも穏やかじゃねぇ場所だな……。空気はマズイし、おっかない魔物がうじゃうじゃ居るしで生きた心地がしねぇ)


 ここはティアラメルク邸の地下。恐らくは、ガイオスが保有する魔物を閉じ込めておく為の収容空間であると思われる。

 動物を見せ物のように扱うとは、まさに悪趣味の極みだ。元の世界なら動物愛護団体が黙っちゃいないだろう。

 もっとも、魔物がこの世界において典型的なRPGよろしく「魔王の手下で人類の敵」という扱いならば、そんなものはないだろう。

 第一、あのガイオスなら金と権力のゴリ押しで法律なんて無視しかねない。


 与えられた権力を、自分の欲望の赴くままに使い倒す強欲の邪悪。まさにガイオスはそういった人間の好例だ。

 むしろあの男こそ魔王に相応しいかもしれない。


「……さて、もう良いですかね」


「?」


 ある一つの檻の前で、先導していた剣士が足を止める。

 その発言の意味が分からず、顔に困惑を浮かべる(といっても兜で見えにくいが)トウヤの表情が、次の瞬間に戦慄一色に染まる。



 ──目の前の男が突然、鞘から剣を抜き始めた。


 刃と鞘の擦れる音と共に引き抜かれた剣は、この暗い通路の中でも美しい銀色の光を放っている。

 その得物を握る剣士の風格も相まって、トウヤは戦慄を顔に浮かべながら、場違いにも武者震いを起こしてしまう。が、


「ん゙ん゙ん゙ん゙ん゙──!!!」


 その興奮すら、本能からなる恐怖の前に吹き消され、トウヤは悲鳴にならない悲鳴を上げる。

 この男の恐ろしさは庭園の一件で存分に味わった。戦えばまず死ぬ。この拘束状態では、攻撃を当てることすら奇跡に等しいだろう。

 無論、逃走も現実的な手段じゃない。今の状態では歩くガイオスについて行くのがやっとである。いわゆる詰みというヤツだ。


 そんな八方塞がりでどうしようもないトウヤに残された、生き残るただ一つの方法。

 それは──。


(どうか命だけは!! 命だけはお助け下されえええ!!)


 床に這いつくばり、額を地に擦り付けて全力の詫びの姿勢。屈辱を代償に炸裂する最上の命乞い。ジャパニーズDOGEZAだ。


「……随分と滑稽な格好ですね。常人にはできない芸当でしょう。矜恃の関係で」


 そんなトウヤの行動のせいで、戦国時代の武士たちが異世界の住人に盛大に侮辱されることとなる。

 強く太い生き様を歩む武士道は、弱く細く生きてきたトウヤにとって一つの憧れでもあった。

 それを軽んじられては切腹沙汰。トウヤは剣士に撤回を求めようと顔を上げる。


 ──振られた刃の先が、トウヤの頬を強く穿った。

────────────────────


 世界が横一文字に切り裂かれる。


 顔を斬られた。その事実を脳が受け付けていないのか、痛みを感じない。

 自分の顔がどのような惨状になっているか、考えただけで恐ろしい。


 下顎を切り落とされ、滝のように血を吐きながら死ぬかもしれない。

 顔を両断され、脳漿をぶちまけながら朽ちていくかもしれない。



 ──それが杞憂だと分かったのは、いつまでもやって来ない痛みに痺れを切らして瞬きをした瞬間だった。


「…………へ?」


 トウヤの顔を覆う兜が、重厚な音を立てて落下する。

 突然、頭部が羽根のように軽くなったことに驚き、思わず素っ頓狂な声を漏らしてしまう。


「ま……まさか、アンタ……」


 困惑しながらも剣士を見るトウヤ。しかし不可解な顔をしているのは、剣士のほうも同じだった。


「……これは驚きました。まさか本当に、ドルマ以外に喋る魔獣種が存在するとは……」


「……ん、んん?」


「──失礼」


 咳払いと共に驚愕の表情を消し、瞑目したままトウヤに向き直る長髪の剣士。

 漫画とかではたまに見かける、「普段は目を閉じっぱなしだけど、戦闘時と感情が高ぶった際に開眼する」タイプのキャラだと見た。


「そういう瞑目属性のキャラってどこの世界でも切れ者だよな……。コイツも例に漏れず、か」


「何か?」


「なーんにも。それより、さっきのは俺を助けるために……?」


 第一印象が悪かったので勝手に苦手意識を持っていたが、もしかしたら意外に良い人なのかもしれない。

 ガイオスの息がかかってないのを切に願うばかりだ。


「話が早くて助かります。まあ、少々強引な手段を用いたことは詫びましょう」


 「ホントだよ」と毒づきながら、内心で安堵するトウヤ。少なくとも目の前の男が殺意をみなぎらせたバーサーカーで、人目の無いところでいきなり殺しにかかってくるような地雷キャラではないことは理解できた。


「……アンタ、名前は?」


「私の名前に興味がありますか?」


「男を口説き落とす趣味は無いけど、いちおう今後のために」


 彼がガイオスに忠誠を誓っていなければの話だが、この屋敷で過ごすにあたって味方は一人でも多い方がいい。

 だとしたら今のうちに好感度を上げておいた方が得策だとトウヤは考える。

 コミュ障の自分にそれができるかと言われれば怪しいところだが、とりあえず相手の懐に無遠慮に踏み込んでアピールしていけばなんとかなる気がする。


「──レヴィア・ゲルオード。それが私に授けられた名です。以前は王国騎士団に身を置いていましたが、今はこの屋敷の警備を任されていますね」


「はえー、王国騎士……」


 そんなのを警備員として雇うあたり、改めてガイオスの『散財趣味』っぷりを思い知らされる。

 そしてトウヤの兜だけを斬ったあの剣の技量を見れば、レヴィアの実力は本物だと認めざるを得ない。


「じゃあ今度は俺の自己紹介! 俺が賜った名はミクリ・トウヤ! お前がこの屋敷の警備員なら、俺は自宅の警備員! 同じ警備員同士、これからよろしくやっていこうぜ、レヴィ!」


「れびー?」


「俺の故郷じゃ、親しみを込めて渾名をつけると距離がグッと縮まってgoodな感じになるんだよ! レヴィも俺にニックネームつけていいぜ! いちおうドルマは禁止な!」


 前足でサムズアップを作り、レヴィアに向けて爽やかスマイル。対してレヴィアは苦笑を作りながら、


「……いやはや何といいますか、姿はドルマと瓜二つなのに、こうも友好的な態度を取られると何だか肩透かしを食らったような気分になりますね」


「?」


「とりあえず渾名の件は考えておきましょう。そしてトウヤ君にはしばらくの間、この中に入っててもらいます」


 そう言って、レヴィアは近くの牢屋を指し示した。

 牢の中には何もいないが、抜け落ちた毛や爪痕といった、もともと何かしらの生物がここに閉じ込められていた痕跡が存在している。


「全力で断る」


「そんな長時間も入ってもらうつもりはありませんよ。私が領主様を説得しますから」


 ある程度の融通は効かせてやると、レヴィアは主張する。確かにレヴィアはガイオスから命令を受けた立場、トウヤを野放しにしたまま屋敷に戻るわけにはいかないだろう。

 まだ会ったばかりの人間を完全に信じきるのは危うい賭けだが、元・騎士である以上レヴィアにも信念のようなものがあるはずだ。

 それに、現時点でガイオスと正面から敵対するのはマズい。敵対するならもっと味方を増やしてからだ。


「頼むぞ、レヴィ」


「その呼ばれ方は慣れませんが、善処しましょう」


 希望をレヴィアに託し、トウヤはまたもや牢の中。ここ最近はずっと鉄格子に囲まれてばかりなので、早めに解放されることを祈りながらレヴィアの背中を見送る。



 今のトウヤは知る由もないだろう。


 ──自分がこの屋敷で、波瀾な事件に巻き込まれてしまうことに。

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