第18話 『お嬢様と剣士』

 トウヤが横倒れになっていることで、同時にトウヤが見ている世界も90度傾いている。

 その世界に映るのは、赤いコートを羽織った背の高い老年の男。

 首から足元にかけて絢爛な身なりのガイオスが、倒れたトウヤを見下ろしている。


「──何をしている、出ろ」


(──何を見てんだ、助けろ)


 滑稽なものでも見ているかのようなガイオスの目に、トウヤは視線で救助を要請する。

 トウヤの意思が伝わったのかは分からないが、ガイオスはため息をついてトウヤの脚を掴み、無理やり屋形から引っ張り出した。


「んんんんん!! んんん!!(痛だだだ!! もっと優しくううう!!)」


 少々乱暴なレスキューではあったが、トウヤはどうにか馬車から出て新天地の土を踏むことに成功。

 両手足──正確には前脚と後脚だが、そこに取り付けられた拘束具と、物理的に重苦しい兜に煩わしさを感じながら、ガイオスに状況の説明を求める。


 現状、トウヤが持ち合わせる情報はかなり少ない。『魔物競売』についてのこと、目の前の成金についてのこと、これからの自分のこと。──何より、この世界のこと。

 転生してから4ヶ月、誰とも話すことはなくそのまま時が過ぎていった。

 そんなわけでカビオルとの会話がこの世界でのファーストトークとなってしまったが、そこで得た情報も断片的なものだ。

 もっとまとまった情報が欲しい。この世界での『常識』が元の世界と同一、または準じたものであるかはまだ不明。

 下手をすると戦争の最中さなかみたいな時代に放り出されている可能性もある上、そもそもトウヤのようなゆとりはかなり慎重に生きていかないと、異世界という環境において長生きできそうにない。


(つーか、大ウツボ戦の時点で死にかけてたし……。よく生きてたな俺)


 改めて自分の運の良さに感嘆。久方ぶりに神様に感謝したかもしれない。

 ひと月後にアニマルハンターみたいな連中に捕獲されて、『魔物競売』に出品されているという事実を思い出して即座に撤回したが。


「──ついてこい、ドルマ」


 手を後ろで組み、先導し始めるガイオス。トウヤはその場で数秒突っ立っていたが、やがて「あ、俺のことか」と気づいて後に続く。

 ここで一目散に逃げ出そうかとも考えたが、この拘束具で動きにくい状態ではガイオスからも逃げ切れる自信がない。

 とりあえず、拘束具と兜を外してもらうまでは彼に従っておいた方が良いとトウヤは判断した。


(きっといつか……、逃げ出すチャンスは訪れる! それまでは従順な芝居で、お前を欺き続けてやる……! 今に見てやがれ、ガイオス・ティ……、ティア……えーと)


 ガイオスの苗字を記憶から掘り起こそうと苦心しながら、トウヤは決意を固める。


 ──絶対に、自由を勝ち取ってやる。


 それまではどんな屈辱にも、どんな苦痛にも屈しないつもりだ。トウヤは前を歩く貴族の背中を、覚悟を宿した眼差しで睨みつけた。


────────────────────


 歩き続けて5分ほど時間が経ったと思う。

 二人は森を抜け、地面は土から石レンガに舗装されたものへと変化し、それを踏むガイオスの豪奢な靴の裏が小気味良い音を立て始める。

 馬車は森の中に放置してあるままだが、それについては言及したくても、口を封じる兜のせいで出来ないのが現状。

 一体、なぜ途中から馬車を利用せずに移動を始めたのか。トウヤがそこに違和感を抱いていると──、



『──お帰りなさいませ、領主様』


 男性と女性の声が入り乱れた主の帰還を迎える声が、屋敷の正門に辿り着いた二人を歓迎した。

 トウヤの前にそびえ立つのは、3階建ての巨大な屋敷。その前には学校のグラウンドほどの広さがある庭園が広がっており、そこで9人もの人間が並んで領主の帰りを待っていた。

 メイド服の女性が5人と、コック服を着た優男。いかにも執事っぽいお爺さんに、青紫色の長髪が目を引く軍服の剣士。

 ──そして、その中心には……。




「お帰りなさい。お父様──」



 ……白と黒の、ゴスロリチックなワンピースに身を包んだ少女が、スカートの端を摘まんで礼儀正しくお辞儀をする。


 整った顔立ちの、まるで二次元から飛び出してきたかのような美少女だ。

 処女雪のように白い肌と、ウェーブがかったプラチナブロンドの髪が美しく、彼女からほのかに香る匂いが、犬並みに敏感なトウヤの嗅覚を激しくくすぐる。年齢は15、6歳ぐらいだろうか。

 その尊さすら感じる美貌が、トウヤのハートを掴んで離さない。早い話が、


(──やべぇ、超タイプ)


 もはやガイオスから逃げることなどどうでもいい。一回でいいから彼女に触れてみたいという、獣というよりかはケダモノみたいな欲望がトウヤの胸中で募る。


「出迎え、ご苦労」


 ときめくトウヤとは対照的に、ガイオスは少女と他8人に対し、冷淡に応じる。

 少女の意識がガイオスに向いているのを良いことにトウヤが彼女の顔を凝視していると、不意に少女の方もトウヤを見てきて二人の視線が合う。


「────!!!」


 緊張のあまり心臓が喉から飛び出そうになるのを堪え、咄嗟に視線を逸らす。

 あの瞳と数秒でも向かい合っていれば、トウヤの精神は黒焦げになってしまうだろう。

 言うまでもないが、トウヤが持つ女の子への耐性は限りなくゼロに近い。

 バレンタインチョコを貰って浮かれている友人に、他の非モテ男子と共に「ヒューヒュー」という冷やかしをお届けしながら内心で血の涙を流す男、そんな典型的な僻み系男子なのだ。


(実際に義理でも貰った時はテンションブチ上がってたよな。そんときだけ部活やっててよかったと心の底から思ったよ)


 ちょくちょく軽音部をサボっていた頃が懐かしい。

 カラオケでそこそこいい点数叩き出したというだけで入部したが、歌が上手い奴は他に居たので、あっさりとボーカルの座を奪われてしまった。

 元々ボーカル希望で入ったのでギターもドラムもからっきし。

 いちおう週一回ぐらいのペースで顔を出してはいたが、特に情熱を注ぐこともないまま現在失踪中。最長で1ヶ月半サボった記録も、この転生してからの4ヶ月という偉業の前に塗り替えられることになるだろう。


 消息不明なので、多分そろそろトウヤの名前が学級名簿から消える。


「その……、お父様。隣の……ライガーン?

は、いったいどちらで……」


 ガイオスに、トウヤと出会った成り行きを問う美少女。この成金男のことを「お父様」と呼んでいるあたり、彼女はガイオスの娘にあたるのだろう。

 確かに髪や瞳の色こそ似ているが、内面については全く似ていない。

 母親が優秀か、父親があまりに救いようの無いクズなので、それを反面教師にして真っ当に成長したかのどちらかだ。


「ああコイツか? 大したことはない、買ったんだ」


「『買った』──とは、どこで買ったんですの……?」


「どこでも良いだろう。お前はもう部屋に戻れ、勉強でもしていろ」


 話を早々に切り上げようとするガイオスに、トウヤは少しばかり不信感を抱く。

 それは少女も同じようであり、目を細めて真剣な表情で──、


「──お父様」


 先程よりわずかに低い声で、少女がガイオスを呼ぶ。

 ガイオスは少女を見据え、「何だ」と問い返した。



「──最近、お父様に関する悪いウワサを耳にするんですの」


 少女の声は緊張と恐怖に震えて、それでも言葉は紡がれる。


「何でも、お父様が非合法な市場を訪れて、珍しい魔物を買い占めていると……」


 少女がガイオスの『噂』を口にした途端、周囲の表情が強ばる。

 メイド達に至っては、不安げな様子で涙目になっている者すらいる。

 非合法な市場、とは恐らく『魔物競売』のことだろう。実際に、ガイオスがトウヤを入手するきっかけになったのはその場所なのだ。


「噂は噂に過ぎん。そんなくだらん情報を頭に入れる余裕があるなら、もっと有意義なことを覚えろ。父親を敬うこともできんとは、呆れた娘だ」


 しかしガイオスは『魔物競売』に参加していたことを否定する。もちろんトウヤはそれが虚言であるということを知っており、喋れるならば今すぐにでもそのことを告発してやろうと思っている。喋れるならば、だが。


「……っ。もしもこの噂が事実でしたら、そのことが外部に漏れたときどうなるか分かっているんですの!? そうなったらもう、ティアラメルクの名は地に落ちますわ!!」


「黙れ!!」



 ──乾いた音が、庭園に響く。


 あまりに突然すぎて、何が起こったかを理解できなかった。

 悲鳴を上げるメイド。動揺しているコック。目を背ける執事。何を考えているか分からない、依然として佇み続ける剣士。

 息を荒くしながら手刀を掲げるガイオスと、庭の上に倒れた少女。



 ──殴られた。


 可憐な少女が、実の父親に。


 それをようやく理解して、次の瞬間にトウヤの腸が沸騰する。

 あまりにも身勝手でいい加減な父親が許せない。もはや芝居であっても、この男にへりくだるのだけは絶対にお断りだ。


「────ッ!!」


 唸り声を上げ、ガイオスに向かって突進を仕掛ける。手足に取り付けられた拘束具が疾走を阻害するが、それでもトウヤの速度は自転車並のスピードを誇っている。

 常人ならばケガを免れられない黒獣の進撃が、ガイオスの背中を穿──。


「──レヴィア!!」


 突如、ガイオスが何かを叫んだ。

 しかしその言葉について考察している暇はトウヤには無い。跳躍してガイオスへ飛びかかり、自分本位な最低の暴力を振るったことを後悔させてやると、そう憤怒の念に駆られていた。






 ────衝撃が、脳天から頭蓋にまで響き渡る。

 跳躍した身体が真上からの一撃で撃墜され、顎を地面に強打した。

 その際に舌を噛み、痛みと鉄の味によって耐えきれない不快感が生じる。


 ──何で俺は地面で寝そべっている? あのクソ野郎に突進を仕掛けたはずだ。

 空中を錐揉みながら地面に横たわるのはアイツの筈だろ。何で俺が叩きつけられている?


「────う」


 苦しげに声を上げるトウヤ。眼前で蔑むように見下してくるガイオスを睨み返し、身体を起こそうと──することができないのに気づく。


「──!?」


 顎が地面と接したまま、動かない。

 この感覚、何かとてつもない力で押さえつけられているような──。



「──おや、痛かったですか? これは失礼、軽く押さえつけたつもりだったんですがね」


 頭上からの声と共に、ほんの少しだけ頭をねじ伏せる力が緩む。トウヤがどうにか顔をあげて上を見ると、そこに居たのは軍服を纏う長髪の剣士。ガイオスを出迎えた9人の内の1人だ。

 敵意が無いのをアピールしているような、薄っぺらい微笑みを顔に貼り付けた剣士の態度に苛立ち、トウヤは頭を押さえつける彼の手をどけようと右前脚を振り上げる。


 が、剣士はトウヤを押さえる腕とは反対の手でその脚を掴み、凄まじい握力でギリギリと悲鳴を上げさせる。


「────ッ」


 痛みに悶え苦しみ、その拘束から抜け出すためトウヤは暴れようとするが、本能的に感じた恐怖によってその行為は遮られた。


 トウヤを見る剣士の蒼眼に、肌が粟立つほどの寒気を帯びた光が宿っていた。

 冷たい視線に射抜かれるのは慣れっこだが、この鋭すぎる視線を浴びていると流石のトウヤも生きた心地がしない。

 美少女とのコンタクトでバクバクだった心臓が一気に縮み上がる感覚を覚え、そしてトウヤは悟る。



 ──この男は、その気になったら今この瞬間にでも俺を殺せる、と。


「……あまり、手荒な真似はしたくないんですよ」


 これ以上ヘタに抵抗すると、本気で殺られる可能性があるので、コクコクコクと激しく頷いて降伏ムーブ。

 それを見てもうトウヤが暴れることは無いと判断したのか、剣士はトウヤの前脚と頭から手を離して、元の位置に並び直す。


「レヴィア、そのライガーンは地下に連れて行け。確か14番が空いていた筈だ、そこに放り込め」


「承知しました」


 ガイオスの指示を受け、再びロン毛の剣士がトウヤの前に立つ。

 ガイオスから受け取った鎖をトウヤの脚の拘束具に取り付けた剣士が、犬の散歩のリードのようにぐいぐいと引っ張って誘導してくる。

 そのことに屈辱を感じながらも、抵抗の術が無いトウヤは剣士について行くしかない。



 ……その時に、倒れ伏す少女がすすり泣いていたのを、トウヤは見ているだけだった。






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