第1話 『転じて狼』

 ──気づいたら、のどかな草原で寝っ転がってた。


「……やっぱ都会とは空の青さが違げぇな。ウチの近所とかアレだから、何か濁ってるから、空」


 あまりにも突然すぎた状況の変化に、彼は匙を投げて益体もない思考に沈んでいた。


 風に揺れる草の感触を背中で堪能しながら、青い空に浮かぶ太陽っぽい恒星を眺める。

 妙なことに、それは覗き込んでも眩しさを感じることはなかった。

 それでも恒星の光は太陽と同じように暖かく、広い大地をどこまでも照らし出していた。

「不思議なモンだな。ま、俺たちのとことは常識から違う……ってことなんだろうな」


 そう言ってため息をつき、広い草原の真ん中で途方に暮れる。

 何をすればいいのかわからなければ、何から始めればいいのかもわからない。


 だから諦めた。やることがなくなった。

 即ち──、


「退屈ってか。転生モノに招待されたら本気だすってキバ研いでたつもりだったけど、実際に招かれてみれば結局こんなもんかよ」



 草原の気候は温暖で、爽やかな風が気持ちいい。

 何年もここで過ごしていれば平和ボケしそうなほどに、牧歌的で普通の草原だ。


 この謎の状況に置かれて、彼は──、

 ミクリ・トウヤは、この蒼穹を見上げることしか出来なかった。


────────────────────



 ──なぜこんなことになっているのか、記憶を辿ってみる。


 まず、トウヤは友人のショウゴと一緒に、模試を受けるために出かけていた。

 しかしその帰り際、不運にも会場近くの動物園から脱走したライオンと遭遇してしまい、ショウゴを庇ってライオンに頸を噛み付かれた。

 で、目が覚めたらココに居た。


「やっぱ異世界転生だよな、コレ。ワンチャン天国って可能性あるけど、三途の川も渡ってなけりゃ、あの世の裁判も受けてねぇ」


 ひょっとしたらその部分の記憶を消されているだけかもしれないが、天国なら天使や亡者の1人ぐらい居るはずだ。しかし辺りを見回しても、


「──誰も居ない、と。コレでここが本当に天国だったら、誰ひとり客が来ないテーマパークに来ちゃったみたいで寂しいな」


 正直、これからのことを思うと不安でしょうがない。さっきから余裕そうに軽口を叩いているのも、現実から目を背けて自分の精神を保とうとしているからだ。

 それはそれとして──、


「ショウゴの奴……無事かな。俺が殺された後にあいつも喰われてなけりゃいいけど」


 死ぬ直前のことを思い出す。

 足は速いが、判断の遅いショウゴだ。恐怖とパニックで動けず、そのままやられていてもおかしくはない。

 そんな不安をかき消すように、トウヤは首を激しく振ると、


「……アイツのこと考えたって仕方ねぇ。とりあえず、移動するか……」


 このままジッとしていても埒が明かない。とりあえずこの草原を散策しようと立ち上がった瞬間、背後に気配。


「────」


 後ろを見る、白くてデカい毛玉があった。

 そんなワケないだろうと回した首を元に戻す。

 もう一度後ろを見る。


「…………。







────あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!!」



 大絶叫が静かな草原に響き渡る。


 しかしトウヤがこうなるのも無理はない。

 トウヤの後ろに現れた──もしかしたら転生した瞬間からずっと居たのかもしれないが、その毛玉の正体は白き巨獣だ。


 見た目は元の世界に存在する狼に近い。ただ頭部から伸びる毛が長すぎて白髪みたいになっている。

 前足に備わった鉤爪はそのまま短剣として使えそうな程に長く、その眼差しはまさに獲物を狩る獣。率直に言うなら目つきが悪い。隣のクラスのカトウ君にも匹敵するかもしれない。

 そんな感じの狼が4、5メートルくらいのサイズで登場だ。普通の人間は気絶していてもおかしくないだろう。


「ふざけんな、なんでこうなんだよ! ライオンに殺られて異世界転生して、これからレッツ俺TUEEってこの状況で即エサEND!? こんなクソゲー、批判殺到で制作会社大炎上不可避だよ!」


 現実逃避と言わんばかりに架空のゲーム会社を罵倒するトウヤ。

 それに対して、巨獣はトウヤに対して特に大きなアクションをせず、ただ彼を静かに見下ろしている。


「お前もなんなんだよ、喰うなら早く喰えよ……! なにこの微妙な空気……! 気まずいんですけど……!?」


 普段から言わなくていいことをつい言ってしまうトウヤには馴染み深い空気が、一人と一匹の間に流れる。

 しばらくの沈黙を通して、トウヤは一つの結論を出した。



「よーし。こんだけ待っても襲ってこないって事は、お前は俺に対して敵対心は無い訳だな? そうだよな? ならオーケーだ、モーマンタイ。弱肉強食の野生の世界でも、ラブアンドピースは必要だって俺とお前で全ての猛獣たちに布教していこうな?」


 マジで何言ってんだ俺。

 だがここで止まってしまえば凄まじい恐怖に飲み込まれる。

 止まるんじゃねぇぞ、俺の軽口。


「それに、よく見てみれば可愛いなコイツ。特にこの凶悪な顔面と穏やかな気性のギャップが……」


 そんなことを言いながら、トウヤは馴れ馴れしく獣のフカフカな腹を撫でようとして手を伸ばした。

 違和感に気づいたのは、その時だった。








(アレ……? 俺ってこんな剛毛だったっけ……?)


 ──自分の右腕が、謎の黒い体毛に覆われていることに気づいた。


 ……体毛は人間のそれよりも遥かに毛深く、肌が見えない。


「──な、何だよこれ」


 近くに川が流れていた。

 美しい川は澄んでいて、魚も豊富に生息している。


 ……俺は慌てて、それを覗き込んだ。



「…………は?」









 ──水面に映る黒い獣が、同じようにこちらを覗き込んでいた。



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