転狼記 〜尊大な羞恥心は魔獣だった〜

シクロ

第一章 『転狼の魔骸者』

プロローグ 『終焉』



 ──退屈だ。


 ペンと紙が触れ合う、カリカリという無機質な音だけが飛び交う教室の中、窓の外をぼけーっと眺めながらそう思った。


 退屈とはいっても、やることは山ほどある。

 例えば目の前に置かれた試験用紙。

 何の変哲もないマークシート形式の解答用紙だが、黒く塗りつぶされるべき点は用紙の半分ほどしか埋められていない。


 いま一番に取り組むべきものが目と鼻の先にあるというのに、ペンを持つ気力すら湧いてこない。


 だから諦めた。やることがなくなった。

 ──即ち、退屈だ。



 そんな中、眺めていた窓の外に変化が生じる。

 1羽のカラスが、なにかキラキラしたものを咥えながら、窓のそばに降り立った。


 今の自分に比べてカラスはなんと自由な生物なのだろう、と思う。

 広い空を飛び回り、綺麗なものを収集する趣味のようなものがあり、腹が減ったらそこら辺の虫でも食えば生き長らえれて、人間のように将来のことを考えたり、移り変わっていく環境に適応していく必要も義務もない。


 ……やっぱり、虫を食してまで生きていくというのはさすがに頂けないが。


「──あ、終わった」


 黄昏ながらあれこれと思案している内にチャイムが鳴り、試験の終了を告げる。

 未完成の解答用紙を試験官に渡して、机上に放置されっぱなしだったペンと消しゴム、予備のシャー芯を筆箱の中に放り込む。


 長かった模試も終わって、家に帰ればずっと我慢していた新作のゲームが待っている。

 それにも関わらず、だ。



「……なんかもう、どうでもいいな」


 俺は──美久莉ミクリ冬弥トウヤは、退屈のままだった。


────────────────────


「──二つの意味で終わったあああ!! 死ぬうううう!!」


 長い試験の末に疲弊している冬弥は辟易としていた。

 ……その、隣で喚きながら頭を抱えている少年に。


「ヒトはテスト如きで死なねーよ」


「だってよ冬弥ぁ! あのテスト、マジで難易度頭おかしかっただろ!? 俺たちみたいな低偏差値高校の奴は太刀打ちできねーって!」


「やめろ、悲しくなる」


 自分の学歴を嘆きながら喚いているその少年は、冬弥のたった一人の親友。

 ──桐口キリグチ翔吾ショウゴ。中学校のときに関西から転校してきて、ある出来事をきっかけに冬弥と知り合って以来、よくツルんでいる。

 今日はコイツといっしょに模試を受けに来たのだ。


「で、お前はどうだった? テスト」


「……まあ、ボチボチかな」


 テスト用紙の半分を埋めてないのをありのままに伝えれば、翔吾は破顔待ったなしだ。

 結果を適当にごまかす冬弥に、翔吾は不服そうな顔を浮かべると、


「ふうん。つーか長丁場で腹減ったよな、モクド行こうぜ」


 ──と提案してきた。


 余談だが、翔吾が転校してから4年以上の時間が経過しているので、最初はコテコテの関西弁を使い倒していた彼も次第に標準語になっていき、今では彼の関西弁をなかなか聞けなくなってきている。

 しかし有名ハンバーガーチェーン店『モクドラルド』のことを「モック」ではなく「モクド」と略しているあたり、彼の関西人としての血がまだわずかに生き残っていることが伺い知れる。


 それは置いといて、冬弥は翔吾の提案に「賛成」と頷くとスマホのマップアプリで近場の店を探した。

 ここからだと、西に向かって徒歩3分程度の距離に店があるらしい。


「よし、行くぞ」


「……おい冬弥、コレ見ろよ」


 冬弥が店に向かって歩きだそうとすると、とつぜん翔吾が不安そうな顔でスマホをかざしてきた。


「あ? 何だ?」


 画面を覗き込むと、そこにはSNSのつぶやきが羅列されており、その一つに『○○動物園から一匹のライオンが脱走』とのつぶやきがあった。


「この動物園、ここの近くにあるよな」


「……そうだな」


「つまりこの近くに脱走したライオンが居るってことだよな」


「……そう、だな」


「──俺たち死ぬかもな」


「飛躍しすぎだろ」


 軽口で茶を濁しながらも、割と本気でライオンとの遭遇を危惧している様子の翔吾。

 しかし、この広い町で脱走したライオンと都合よく出くわす確率は極めて低いだろう。

 ……フラグが立つので、口に出して言うことはできないが。


「ま、この広い町で脱走したライオンと都合よく出くわすワケねーよなあ!」


「お前、言ったそばからフラグ立てんなよ!?」


 もはや意図的にフラグ建築にいったとしか思えない翔吾の凶行に、冬弥は思わずツッコミを入れてしまう。

 すると翔吾は愉快そうに笑って、


「いやその、冬弥が珍しくローテンションだから元気づけようと思って」


「長丁場だったから疲れてるだけ。逆に未だそのテンションを維持できるお前に驚きだわ」


 翔吾の気遣いが込められた冗談をバッサリと否定して、スマホを頼りに西に向かって歩きだす。


「あ、待てよ!」


 翔吾は慌てて冬弥を追いかけると、妙に気まずそうな態度で、


「そ、そのー……。じつは冬弥さんに少しお話が」


「どうしたよ、改まって」


「いやえっとあの、大変申し上げにくいんですが……」


「うん?」


 そこで翔吾はいったん深呼吸。そして極めて真剣な顔持ちで、


「──お金貸して」


 ……と、ぬかしやがった。



「…………。──はああああ!!?」


「じつは、明日コレとデートの約束しちゃってさ。給料日も来週だし……」


「知らねえよ!」


 小指を立てながら照れ顔で弁明する翔吾に、冬弥の堪忍袋の緒が切れかける。

 実は以前にもこんなことがあり、その時の借金は未だに返済されていない。


「……利子つけようか?」


「いやマジ勘弁。ひと月前の色違いチューロットの件でチャラにして欲しい」


 そういえば前に、トウヤが好きなモンスターのレアな個体を交換してくれたことがあった。

 その時に売りつけた恩情すら交渉材料として切ってくるとは、桐口 翔吾という男の狡猾さが垣間見える。


「それは良いとして、お前これから行くモックの金はどうすんだ?」


「だいじょぶ。冬弥が頼んだポテトつまみ食いするだけだから」


「帰れハイエナ野郎」


 もう本当に救えない。

 こんな年齢から借金と乞食に依存しているようでは、彼の将来が危ぶまれる。


「お前、将来は街金に手を染めそうだな」


「おいおい。いくら俺でもそれはねえって。この世でイチバン醜いのは酒とタバコと街金に溺れる中年だ。ソースは親父」


「お前の父親、街金やってんの?」


「実の親を侮辱されて、俺は悲しいよ」


「お前の誤解招く発言のせいだろうが!!」


 とことんふざける翔吾にそうやって突っ込みまくっているうちに、いつの間にか店の前まで辿り着いてしまっていた。


「で、お前ホントになんも頼まねーの?」


「いやチーズバーガー食う。モクド来てハンバーガー食べなかったらドラルドにランr」


「ハイハイ、いいからさっさと──」



 翔吾の戯れ言を雑にあしらおうとした冬弥は、次の瞬間に血相を変えて駆け出していた。


 ──翔吾が立っている場所に向かって、まっすぐに。


 ──間に合わない。間に合わないなんてあってはいけない。間に合わせる。

 ──自分にできることは、この程度が限界なのだから。


「ショウゴォォォォ──ッ!!!」


 右手を薙ぎ払うように振るい、翔吾を強く突き飛ばす。

 とつぜん突き飛ばされた翔吾は、目を見開きながら驚愕すると冬弥を睨んで、


「いきなり何すんだ、危ねーだろ……」


 目の前の光景を見るなり、その文句は途切れてしまう。


 ──百獣の王に押し倒され、今にも首を噛み潰されそうな冬弥の姿を。


────────────────────



 ──痛い。──重い。──苦しい。


 そして何より、味わったことのない喪失感だ。


 血液が体外へ漏れだし、五感がろくに機能しない。


 何もかもがバカバカしくなり、「これが死か」などという狂気じみた感嘆すら湧いてくる。




「────あああ……!!やめ──ッ!!」



 誰かの叫び声が耳を打つ。

 金色が俺の上から飛び退いて、ほんの少しだけラクになったような気がする。



 ──しかし既に遅かった。


 息をしていない。他人に確認されなくとも自分で分かる。この出血量なら当然だろう。



 それなのに、未だに意識が残っている。

 まだ生きているのか、既に死んでいるのかすら判別できない。



 ──死んだら、どうなる?

 天国や地獄に逝くのか? それとも暗闇の中で永遠の孤独を過ごすのか? はたまた今の記憶を消されて別の生を受けるのか?



 ……いずれにしろ、この苦しみから解放されるならなんでもいい。



 死ね。早く死ね。


 頼むから今スグに、速やかに、迅速に──







 ──死んでくれ、ミクリ・トウヤ。

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