第12話 『別れは突然に』

 大ウツボとの戦いから、約1ヶ月の月日が経過した。

 かの銀鱓の死体はトモコの魔法によって森の地面に埋められ、先の戦いが嘘のような平穏を、トウヤ達は取り戻していた。


「48……! 49……! ──50ぅぅ!!」


 そんな本来当たり前の平和の中、最近トウヤは筋トレのメニューを少し強化。

 腕立て腹筋スクワットの回数が20回から50回に、ランニングの距離が1kmから3kmになっただけだが。


 そして筋トレ後は頑張った自分へのご褒美として、森の秘密基地(として使っている小さな横穴)に大量に隠している薄紫色の甘い木の実を食す。それが今のトウヤのささやかな幸せであった。


「ふんふんふ〜ん♪」


 鼻歌で音痴を晒しながら、ウッキウキで秘密基地に入るトウヤ。

 そこには隠しておいた果実を食い荒らしているハチローの姿があって──。


「何でえええええええ!!?」


 ……ショックのあまり、眼球飛び出るかと思った。


「おま、お前えええ!! お前それ、俺のへそくり……お前、俺の……お前えええ!!」


 憤りのあまり語彙力を失い、裏返った声でハチローを非難するトウヤ。

 それをガン無視して果実を頬張るハチローは、最後の一個を咥えてスタコラサッサと逃げ出した。



「──許さねえ。俺を怒らせたな、ハチロー……」


 せっかく集めた沢山の木の実を。

 俺の時間を、俺の努力を。

 己の欲を満たすために、全部食らい尽くしていきやがった。


 この時、ミクリ・トウヤは異世界に来て初めて、マジギレした。


「待てや、クソ当たり屋野郎が!! 今スグテメェの腹かっさばいて木の実を取り戻してやる!!」


 ハチローの胃の中でミックスされた木の実などもう要らないが、それでも一発は殴らないと気が済まない。

 木々の間を抜け、川を飛び越え、憤慨したトウヤはハチローを追って草原に出る。そこでトウヤが目にしたのは──。



「──ワン、ワン!」


「ちっ、この糞犬が、大人しくしやがれ!」


「そのまま押さえつけていて下さい、麻酔矢が外れて貴方に命中しても困りますからね」


 ──ハチローを必死に押さえつける、二人組の男たちだった。


────────────────────



 ──人間。人間だ。遂に人間に会えた。


 ようやく、言葉を通わせられる誰かに、感情や思考を共にできる誰かに、出会うことができた。


 人は10日前後、誰かと話していないと気が狂うらしい。

 トモコたち家族に囲まれて不自由ない生活を送っていたお陰か、トウヤはそうはならなかったが、流石に人間と会話の一つや二つはしたいと常々思っていた。


 ──その相手が、な人間であるならばの話だが。



「──お前ら、何やってんだ!!」


 鬼気迫る声で、二人の男に呼びかける。二人はトウヤの声に驚き、顔を上げた。

 片方は茶髪の、山賊のような風貌の中年男性だ。髭は手入れしていないのかボサボサで、正直生理的な理由で近寄り難い。

 もう片方は深緑の髪色の青年だ。これといって特徴はなく、街の雑踏に紛れられると見つけるのが困難なレベルのモブ顔。映画とかのエキストラ役としては需要がありそうだ。


「あ、あの……。今の声……」


「ああ……、俺も聞こえた。だがこんな所に人が居る訳……」


「おい!! 何キョロキョロしてんだ!!

お前ら、人の兄弟イジめるとかいい度胸してんじゃねぇか、あぁ!?」


 ハチローへの怒りが、二人組への怒りによって上書きされる。声を張って凄むと、彼らはようやくこちらに気づいたようで──。



「──なッ……!!?」


「黒い……『ライガーン』……!?」


 トウヤの姿を見た二人組は、何か信じられないものでも見たような反応を示し、狼狽し始めた。


 彼らが何故このようなリアクションをとるのか理解できないトウヤ。それに対して戦慄する彼らは──。


「そ、それに、さっきの声ってコイツの……ですよね。人語を話す、黒いライガーンって……」


「ド……、ドルマ。──『魔獣』ドルマと、まったく同じじゃねぇか!!」


「は? ドル? 今は金の話はしてねえんだよ!!」


 知らない単語が連続で飛び出し、トウヤは話についていけない。せっかく人間と遭遇したので、せめてこの世界の人間社会についての情報が、何かしら欲しかったのだが……。


「──ワオーン!!」


「どわぁ!」

「がっ!」


 次の瞬間、ハチローが吼えることで砂色の結界が周囲に展開。ハチローの傍にいた二人はぶっ飛ばされ、草原の上に尻餅をついた。


「何しやがる、この糞犬!」


「──それ以上近づくな」


 逆上し、ハチローに近寄ろうとする山賊風の男を、トウヤは一瞥して釘を刺す。

 男は「ひ、」と軽く悲鳴を上げると、


「あ、ありえねえ……。魔獣ドルマが、こんなところに居るわけが……」


「だから魔獣とかドルとか、さっきから何言ってやがるオッサン!! 俺はミクリ・トウヤだ! 人違い晒してんじゃねーぞ!!」



「……ミクリ……、トウヤ……?」


 勘違いしているらしい山賊風の男にトウヤががなりながら名乗ると、モブ顔の男が困惑しながらトウヤの名前を復唱。


「そーだ、ミクリ・トウヤだ! 覚えとけ、この地を根城にしていた大ウツボを討伐した英雄……の息子の名だ! どこの誰かは知らねーが、そのドルマとかいう三下と一緒にされちゃあ困るぜ!」


 顔も名前も知らない奴に罵倒されるドルマさんが不憫でならないが、そんな事は気にも留めずにトウヤはドヤ顔。男たちは唖然とした表情をしており、草原に沈黙が落ちる。


(──ビネスさん、ビネスさん)

(ん、どうしたメルフィス?)


 気まずい沈黙の中、突然耳打ちで作戦会議を始める男二人。トウヤは空気を読んで二人の話が終わるのを待つが、さっきまで彼らに襲われていたハチローはそんな余裕などなく、山賊風の男──ビネスに突進を仕掛ける。


「──ガハハ! なるほどな、そういう事なら……」


 『当たり屋』の二つ名をトウヤに知らしめた(というよりトウヤが勝手にそう呼んだだけだが)ハチローの突進を、メルフィスの作戦を聞いてしたり顔のビネスは、傷跡の刻まれた太い腕で真っ向から受け止め、そのままハチローの体を持ち上げると──。


「おいドル……、トウヤのあんちゃんよ、お仲間が傷つけられたくはないだろう? でもお前が大人しくあそこに入れば、こいつだけは見逃すと約束してやるぜえ?」


 ゲスい顔で笑うビネスは、向こうに佇む馬車を指さしてトウヤの方を見る。

 馬車の屋形は鋼鉄製のオリとなっており、サーカスのライオンを閉じ込めるのに使いそうな代物だ。あそこに入れ、という事だろうか。


「名乗りはしたが、お前みたいなクズが気安く呼ぶんじゃねぇよ。それに俺が入ったからといって、お前らが約束を守る保証が──」


 「保証」と口にした辺りで、左の腹にチクリ、という刺激が走った。

 突然の痛みに驚きこそしたが、トウヤがそこで言葉を切ったのは別の理由で──。


「ア、アレ……?」


 不意に、睡魔がトウヤを襲う。

 身体がバランスを保てなくなり、崩れるように右に倒れてしまう。

 これは……、一体何が……。


(吹き矢……?)


 視界の端に、筒を咥えたメルフィスの姿が映る。朦朧とした感覚で、しかし意識がスリープする前に、トウヤは結論に辿り着く。


 最初に、ハチローを捕らえようとして苦戦していた二人──、メルフィスの方の台詞。「麻酔矢が外れて貴方に命中しても困る」──。


 麻酔矢。麻酔だ。俺がビネスに反論している間に、メルフィスが回りこんで俺に麻酔薬を塗った吹き矢を打ち込んだんだ。


「ク……、ソ……」


 タネが分かったからといって、もうトウヤには何もできない。瞼を閉じて、ゆっくりと意識が遠のいていくのを待つだけだ。




「──よし、白い方もやっと眠りやがったようだぜ」


 ハチローを掴んでいるのとは別の手で麻酔矢を握るビネス。ハチローもトウヤと同じく、一切の抵抗ができない状態にされてしまったらしい。


「で、どっち先に運びます?」


「偽ドルマの方からで良いだろ。偽物とはいえ、こんな特徴持ってるライガーンは高くぜえ?」


「承知しました、ビネスさん」


 二人は眠るトウヤを運び出し、馬車のオリの中に放り込んだ。


「さて、後は白い方だけだな」


 得意げに舌なめずりするビネスがハチローに接近し脚を掴んだ、その瞬間。


「ビ、ビネスさん!! ──あれ!!」


 慌てふためくメルフィスが、草原の向こうを指さす。

 直後、未だに何が起こっているのか分かっていないビネスの前に、純白の巨体を翻してそれは現れた。


 見上げる程に巨大な図体を持ち、美しい白の体毛を風に靡かせた、気高き巨獣。


 白き魔獣──トモコが、愛すべき子供たちを守るために不届き者を排除しに現れた。


「ワオオオォォォォ────ン!!!」


「くっ……! このタイミングで親のライガーンが……!」


「ビネスさん!!」


「分かってる! 偽ドルマの方だけで十分だ、退くぞ!!」


 ビネスはメルフィスにオリを閉ざすよう指示し、急いで御者台に乗り込んだ。

 遅れてメルフィスが隣の御者台に乗り、鞭を打って馬を走らせる。


「アオオオオオオオオオオオ」


 次の瞬間トモコが咆哮し、逃走する馬車の道を塞ぐように地面から岩が出現する。

 しかしメルフィスの巧みなハンドル捌きによって、馬車はスピードを落とすことなくトモコから距離を離していく。


 やがてトモコの魔法の範囲からも抜け出し、馬車は街道を走ってゆく。

 その屋形のオリで、一匹の黒獣が半ば意識を失ったまま、呟いた。


「とも、こ……。みん、な……」




 ──トウヤは今、『シブリカ草原』を離れて『ヴァステル王国』へと向かっていた。

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