第4話

 八月一日。

 ユウキは指定された駅までやって来ていた。じりじりと、本格化した夏の日差しが皮膚の表面を焦がしていく。まだ八時にもなっていないのにこの暑さだ。茹るような熱気に嫌になる。

 電話がかかってきた際、特に何も持ってこなくてもよいと言われたので軽装だ。通学にも使っているリュックに、適当にルーズリーフとペンケース、財布、そしてスマホとモバイルバッテリーを放り込んできた。

 てっきり目的地まで自力で行くか、もしくは大学か自宅まで迎えに来てくれるものだと考えていたために、最寄り駅で待てと指定されたときは少し驚いた。

 慣れない駅に少しそわそわしながらあたりを見渡す。ユウキは自転車通学だ。そのために、この駅を使うのは大きな本屋に行きたいなどと用事がある時くらい。実際ここに前回来たのは、先々月の課題で参考資料を探すために大型書店に向かった時だと記憶している。

 自分と同じくらいの年の男女が目の前を通り過ぎた。弾んだ会話をしながら、手をつないでいる。

 なんとなく、昨日鏡花に返した短い返信が気にかかった。朝飛は次に帰るときは駅のどこそこの店の菓子がおいしいらしいから買ってこいだのと、すでに自分勝手なリクエストしてきている。

 しかし鏡花は何も言ってこない。先月、11日の誕生日におめでとうときただけだった。帰った時にお祝いしようねという言葉が、控えめすぎるものだということくらいはユウキにもわかる。

 ――どうして鏡花は朝飛みたいに何も言ってこないんだろう。

 暑さで少し頭が回らない。鏡花が何か言ってきたところで自分がどんな反応をするのかも想像できなかった。鬱陶しいなどとは思わないだろう。思わないだろうが、しかし。

 ーー別に、何も。

 制服姿の鏡花が嬉しそうにしているのを思い出す。あれは、いつだったか。

 ――そういえば、どうして俺たち、付き合ったんだっけ。

 思考の深みへと転がり落ちていきそうになっていた時、ふと目の前に影が落ちた。顔を上げれば、スーツ姿の中年の男性が立っている。背格好は封筒を渡しに来た男とよく似ているが別人だ。こっちの男の方が腹が突き出ている。

 同じように柔らかい笑顔でユウキに話しかけて来た。

「泉悠己さんですね」

「……はい」

 また同じ台詞。確認すると、男はうんと頷いて、ユウキを促した。

「暑くなるのがもう早いですね。さあ、こちらへどうぞ。研究施設までは車で移動します」

「電車じゃないんですか」

 どうして駅にと、顔に書いてあったのだろう。にこにこと、笑顔は絶やさずに受けこた絵を続ける。

「場所は極秘なんです。すみませんね。実験期間が終わればまたここまでお送りしますので、安心してください」

 害のない表情だが、そう言われると一気に不安になる。男の笑顔もなんだか得体のしれないものに思えて来た。というか実際得体の知れない人間なのだ。

 しかしもう後に引けない。この男の顔は柔和だが、態度はかなり強引で引き返すとは言えなかった。有無を言わせず進行方向を誘導されて、隅に止められていた黒い車の後部座席に乗り込む。彼は助手席に乗った。ユウキたちが乗り込むのを待っていた運転手は、サングラスをかけていたために顔はわからない。

 ユウキがシートベルトをしたのを確認して、車は発進した。特殊なガラスなのか、窓の外はよく見えなかった。

 声をかけてきた方の男は、ユウキの緊張をほぐそうとしてか他愛のない話題をいくつか投げかけて来た。一人暮らしはどうだとか、大学の授業には慣れたかとか、そういう取り留めのないものだ。正月や盆に、神谷に集まって来る親戚たちとの会話に近いなと、なんだかはっきりしない意識の中で思った。

 あれはとても居心地が悪いのだ。お前はいつ出て行くのかと聞かれているようで。

 どのゼミが一番興味あるんですかという質問に、横山教授と答えようとしたところで、ユウキの意識はふつりと途切れた。

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