第15話

 レイという自分のクローンと対面した翌日。その日の朝は、久しぶりにアラームが鳴った。しかし、一切の反応を返すことができなかった昨日までとは違って、今日は起き上がることができた。ユウキの起床に反応して、今日の予定が告げられる。

『おはようございます。泉さん。本日は午前十時から診察。その後能力開発訓練です』

 了解の意を、小さな声で示した。少しだけ気分は良くなっている。あんなに恐ろしい事実を知った後なのにと、自嘲を含んだ笑みが溢れた。なぜかはよくわからない。もしかしたら、嫌なことが起きていると言う事実をようやく目の当たりにしたからかもしれない。

 この施設がおかしいことなど最初から分かっていた。それについてきたのはユウキの判断だ。

 やはり、という気持ちが渦巻く。

 きのう新田が言ったことを反芻する。あれは君じゃないと。それ以前に、ユウキ自身は自分がどうなってもいいと思っている。

 ならば、別に、己の複製だって同じではないのかと。

 頭を大きく振って、大袈裟に息を吐いた。

 食事を持ってきたスタッフがユウキを呼び出す。それに応えて鍵を開ければ、軽めの朝食を渡された。デスクにおいて少し食事を眺める。

 中庭ではじめて見たクローンを思い出した。あれは、本当にユウキと同じくらいの年の人間だった。レイ以外にもクローンがいるのだろうか。

 またねと、あの小さな子は言ったのだ。きっとまた会うのだろう。

 野菜が多く入っている雑炊をスプーンですくう。すべてから逃げてしまいたい気持ちと、逃げるほどのことでもないという諦めと酷似した気持ちが、ユウキの中で激しくぶつかり合っている。

 雑炊を口に運んだ。やさしい味だった。

 小ぶりな器だったが、久しぶりに食事を完食した。

 シャワーを浴びて、問診に向かう。自分から第一研究室に行ったのはいつぶりだろうか。ドアを開けた時、池内が少し驚いた顔をしていたのがその長い問診拒否の証拠だろう。

 彼は柔らかい顔を作って、ユウキを診た。

「体力が落ちているでしょう。無理しないでくださいね」

「はい」

「……お疲れさまでした。診察は以上です。特に異常はありません。今朝は運んだものは食べられたとのことでしたが、他に食べられそうなものがあれば、何でもいいので行ってくださいね。それと今日の訓練なんですが」

 少し言いにくそうに池内が切り出す。訓練はいつものレクリエーションルームだと思っていたから意外に思う。

「はい。別の場所ですか」

「そうなんです。……実は、第三レクリエーションルームの方が広いのでそちらで、と」

 今までの訓練で、特に広さに対して不満を抱いたことはなかった。昨日の新田の口ぶりを思い出す。あれは継続してレイと付き合っていけというようなものだった。もしかして、合同で訓練をするのかと思い至る。

「……だれかと一緒にですか」

「……はい。その、昨日会ったレイと、あともう一人泉さんと合同で訓練したいと」

 一人会わせれば同じことと、高をくくっているのだろう。あのジジイと、思わず悪態をつきたくなるが仕方ない。仕方ないと思うほかない。これは、ユウキが決めてしまったことなのだ。もう、起こっていることなのだから、目を閉じてしまおうが同じことだ。

「わかりました。そのレクリエーションルームはどこでしょうか」

 思った以上にユウキが素直に承諾したので驚いたのだろう。池内は目を瞬いてユウキの顔を見た。しかし有能な彼はすぐに把握して説明し始める。

「あ、ああ。ありがとうございます。まだ案内したことのないフロアなのでこれから一緒にいきましょう。その、私はクローン研究の方の管轄ではないので今は説明できないのですが、向こうについたら説明があると思います」

「はい」

 ユウキが頷くと池内が立ち上がった。大人しくそれについていく。第一研究室を出て、まっすぐいつもは使わない通路を使って進んだ。エレベーターに乗り別の階へ行く。しばらく行くと、レクリエーションルームについた。

 池内がユウキにドアの前を譲る。自分で開けて入れということなのだろう。反論することなく前に立った。開閉ボタンに手かざすが、すぐには触れることができなかった。一拍おいて深呼吸する。ようやく手をパネル部分に触れさせると、ドアは滑らかに横へ滑った。

 その部屋は、確かにいつも使う部屋より広かった。他学科の学生とも講義を受ける合同棟の一番大きな講堂ほどの広さはある。ここならば、たとえスポーツに使っても、卓球くらいなら楽にできるだろうと思う。

 中にいたのは三人。一人は白衣を着たスタッフであり、二人は薄水色の患者衣を身に着けている。しゃがみこんで何かをしている子どもと、そのそばに立っている青年。

 小さい方はもちろんレイだった。何か、パズルのようなもので遊んでいるのだろう。

 そしてその様子を特に興味もなさそうに見ているもう一人は、ユウキと全く同じ背格好だった。もしかしたら、中庭で会った彼かもなとも思う。

 ユウキが部屋に入って来たのに気付いたレイは、まるで親の迎えをまっていた子供の様にユウキに走り寄った。

「オリジナルだ! わあ、ほんとにまた会えたねえ」

 昨日の今日で、レイはユウキにタックルするがごとく抱き着いてきた。うっかり受け止めるが事態が呑み込めない。別人だと自分に言い聞かせているとはいえ、正直こんなに人懐っこい子供の頃の自分を見るのはひどく苦痛だった。

 実際、ユウキは正真正銘の暗い子どもだった。こんな風に感情を体全部で表現しながら誰かにすがったことなんて、一度もなかったのだ。

 ユウキがわかりやすく拒否しないのをいいことに、レイはさらにあのねあのねと話しかけてくる。流石に答えに窮していると、今まで観察していたスタッフが声を上げた。

「泉さん、わざわざこちらに来ていただいてありがとうございます。僕は長谷川といいます。よろしくお願いしますね。池内さんから聞いていると思いますが、今日はこの三名合同で能力開発訓練を行うことになっています。三名ともそれぞれ能力が違うので、いい刺激になることを期待しています。……それでは泉さんから始めましょうか。気負わずいつも通り行って下さい。池内さん、記録と補助をお願いします」

 いやいつも通りは無理があるだろという素直な心の声は、辛うじて飲み込んだ。仕方なく頷いて、池内が軽く投げて渡してきたボールを籠の中へと転送する。別のボールを、別の籠へ。大きさと距離。全てが異なるものを慎重に動かしていく。

 早く終わらせて帰りたい一心だった。

 塞ぎ込んでいて訓練をしていない時間が長かったが、なんとなくコツをつかんだようだ。ゴムボールやブロックといった形の安定している物体なら、かなり正確に到達点をコントロールすることができるようになっていた。

 ユウキ本人すら意外だった成長に、見ていたレイが歓声を上げた。すごいすごいと興奮して跳ねている。

 能力向上の範囲を記録した池内も、興奮した様子でユウキに声をかける。

「泉さん、素晴らしいです。前回よりどの数値も大幅に向上しています。申し分ない成果です」

 それに会釈で返した時、平坦な声が上がる。ユウキとそっくりな、彼だ。

「あの、僕はここにいてもいいんでしょうか。レイは確かに能力を獲得、確立していますが、僕はまだ使えるほどのものではありません。オリジナルやレイの合同訓練に参加するには、いささか場違いな気がします」

 あまり自覚していなかったが、ユウキも訓練の成果が出たおかげで少し興奮していたらしい。それが彼の発言で一気に現実に引き戻された。“オリジナル”と、発せられた単語の意味を理解することを、脳が一瞬拒否していた。しかしわかった途端に心が冷え切る。

 彼もまた、ユウキを彼らの原本だと認識しているのだ。

 ユウキに対して質問されたものではないが、何も言うことはできなかった。彼の質問には、頷いた長谷川が答える。

「たしかに、リクの能力は発現したばかりで小さいものかもしれない。でも、訓練することで能力が向上するのは本当だよ。泉さんやレイと訓練時間を共に過ごすのは、君にとってもいい刺激になると思うな」

「……わかりました」

 リク、と呼ばれたクローンを諭している長谷川は、研究施設の研究員というよりも学校の先生のようだった。

 リクはユウキの方を向いて、つらつらとしゃべりだした。

「あなたの複製であるのに、僕の能力はまだただ弾ける程度なのです。レイも弱いとはいえ視認できるほどの能力なのに。ふがいない、とは、こういうことでしょうか」

 自分だって大したことはない。昨日、レイに言ったことと同じようなことが言いたかった。しかし、そんな言葉すらのどの奥に貼りついて出てこなかった。

 いま彼は、己を複製と呼称した。ユウキを原本とした、コピーだという認識の表れだろう。あまりにも露骨。寒々しい言葉に凍り付いた。何を感じて、何を思ってそんな言葉を口にしているのか。

 ユウキは自分はどうなってもいいと思っている。自分にまつわるものなど、何の価値もないのだから。

 それでは、この、クローンたちはどうだろうか。本来生ずるはずのなかった無辜の命。これを、無価値、無意味、無関係と、ユウキは断じてもいいのだろうか。

 恐怖に似た感情が湧きあがる。しかし、これが恐怖だとして、何に対するものかわからない。

 何も言わないユウキを不審に思ったのだろう。リクが首をかしげながらユウキを見る。

 何か、言わなければ。

 しかし言葉は何も出てこない。

 無理やりにでもと口を開いた途端、バンと大きな音がした。驚いて音の方を見ると、倒れた板の傍でしょんぼりした顔のレイが立っていた。板には派手な亀裂が入っている。

「ごめんなさい……」

 レイと大声で池内が呼んだ。彼にしては珍しく、少し怒った表情で池内がレイに指導する。

「泉さんの能力を見て自分もがんばりたいと思った気持ちは評価します。しかし、急にこんなに重たいものを準備もせずに浮かせるなんて危険でしょう。怪我はないですか」

「はい……」

 池内は、ユウキが落ち込んでいた時にどんなに無視したり雑な返答をしても、困った顔でただユウキの体調を心配していただけだった。その彼が初めて怒っている。

 話の途中だったにも関わらずユウキは池内の方を向いてしまっていたが、それはリクも同様だった。彼はすでに割れた板の撤去を始めている。それに気づいて池内は慌てて手を貸そうとした。

「リク、今は訓練中です。別に君がしなくても......」

「問題ありません。ドクターは指導。オリジナルとレイは能力開発。ですが僕は見学なので。手が空いている僕が片づけるのは当然です」

 ずっと気になっていたことだが、リクは機械のような、かしこまったしゃべり方をする。そしてレイとは違って彼はほとんど表情が変わらない。ユウキもあまり顔に感情が出る方ではないが、ここまで無ではないだろう。

 同じクローンなのに、何が違うとこんな風に差がでるのかなと少し気になる。

 そして、リクの能力についても気になった。ユウキは物体転送。レイは物体浮遊。それならば彼の発現したものは何なのだろうか。おそらく、例に倣って彼もユウキとは違う超能力を獲得しているに違いない。

 池内と長谷川がレイの記録を始めたのでユウキも暇になる。レイは一生懸命に先ほどユウキも使用したブロックを浮かせて移動させていた。初めに池内が手にしていたブロックは、彼の手を離れて空中に浮き、ふらふらと震えながらゆっくりとレイに近づいていく。だんだんと引き寄せられて行くが、あと少しで手が届くと言うところでぽとんと落ちてしまった。

 途端にレイはがっかりした顔になる。対して長谷川は苦笑していた。

「あともうちょっとだったのにい」

「レイの課題は最後まで集中力を切らさないことですね」

「がんばったもん……」

 拗ねたように床にしゃがみ込む。そのやりとりを笑って見て、池内はユウキと向かい合った。

「そろそろ時間ですね。泉さん、お疲れさまでした。今日の結果は本当に素晴らしいものでしたよ」

 終了を告げられる。もう部屋に戻っていいということだろう。指示に従って部屋を出ようとする。

「ええ、もう帰っちゃうの?!」

「え」

 速足でドアに向かうユウキに、レイが声を上げる。心底惜しんでいる声だ。

「レイ」

 リクがたしなめるが、小さな彼は止まらない。ユウキも振り向いてレイを見る。

「だって、せっかくオリジナル見れたのに。ぼく、ちゃんと訓練してたでしょ? 今度は遊んでよ。今日みたいに訓練だけじゃなくて 」

 池内は困ったようにユウキを見る。どうやらこれはユウキが決めないといけないことのようだ。選択肢などあって無いに等しいが。

 正直に言ってしまえば、自分のクローンなどとは全くもって関わりたくはない。

 これは本心だ。

 悲しそうな顔でレイが見上げてくる。真っ直ぐにユウキを見ている。強烈に、嫌悪感が込み上げてきた。

 ――その顔を、やめてくれ。

 自分がしてこなかった悲痛な表情を、自分と同じ顔でされるとひどく拒絶したくなる。自分のクローンであるという事実などよりも、その表情に対しての嫌悪感が生まれる。

 しかし、それと同時に、この子をしっかりと抱きしめなくてはという激情に駆られもするのだ。

 うずくまっていたあの子供は手を引かれ立ち上がり、ここまで歩いてきたというのに。どうしても、何年経っても、心の片隅から膝を抱えている自分の残像が消えない。

 ――どうして、だれも、ぼくを。

 頭の中で聞こえた子供の声を乱暴に振り払う。静かな態度でレイに応えた。

「……いいよ遊ぼうか。でも、どこに行けばいいかわからないんだけど」

 ユウキの反応は意外だったのだろう。池内がユウキを見返している。

 ユウキだって、本当は嫌だった。心底嫌だ。しかし無視できないのだから仕方ない。親戚の子どもの相手をしていると思えばいい。こんなところに来てまで子守りかと辟易するが、神谷に帰っても似たようなことをするのだ。あの家も休みになれば多くの子どもたちが訪れる。不本意だが面倒を見る機会は多くあった。

 レイの顔がぱあとわかりやすく輝いた。飛び跳ねるように喜びを表現して、レイはユウキと明日会う場所の約束を取り付けた。

「あのね、ぼくの部屋がいい! リクも一緒だからね。約束だよ。絶対来てね!」

「……わかった。昨日会ったあの部屋だね」

「うん!」

 今度こそ部屋を出ようと踵を返せば、ばいばいと言われた。それにあいまいに手を振って、ようやくドアを開けて部屋を出た。自分の複製があれほど押しが強いとは。少々信じられなかった。

 池内も部屋を出て、ユウキを先導して歩く。ユウキが疲れているのがわかっているのだろう。たまに振り向き、かなり気遣う視線を向けてくる。それに甘えて先に言う。

「今日は疲れました。もう自室に戻ります。食事は後で自分で頼むので結構です」

「……はい。お疲れさまでした」

 部屋への順路は分かりますというユウキを、池内は何も言わず見送った。真っ直ぐに自室へ向かうユウキの足取りはしっかりとしているが重い。予想以上に聞き分けよくクローンたちとの訓練に参加してくれたのは上から方針を指示されていた池内にとっては都合が良かったが、色々想定外なことが多かった。

 池内の予想を大きく上回ってレイは元気な子だった。病み上がりのユウキにはしんどいだろうと心配していたのだが、その通りだったようだ。疲れていると自己申告してくれて助かったと正直安心する。

 ユウキは一度も足を止めることなく歩いた。施設の通路はどこも似たようなところばかりだ。しかし、一度通って仕舞えばユウキは忘れない。迷うことなく自室にたどり着いた。

 ドアを開けて部屋にはいり、デスク前の椅子に座る。そこでようやく大きく息を吐いた。

 たくさんのことが起こりすぎた。今日あったことを順に思い返し、整理する。

 今回は始めから彼らのことを他人だと思って接しているからか、考えていたよりも精神的なダメージは少なかった。

 しかしレイのあの顔はダメだ。何か、思い出してはいけないものを思い出しそうで怖かった。

 デスクに置かれたマグカップに手を添える。そのまま目を閉じれば、カップに触れている感触は消える。ことりという小さな音が後ろのシンクで聞こえた。

 立ち上がり近づいてみる。

 マグカップは割れることも、転がることもなくシンクに鎮座していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る