第16話
一度合わせて仕舞えば後は同じこと。研究所側は本当にそう考えたようで、その後は三人で過ごす時間が増えた。言うまでもなく、リクとレイ、ユウキの三人でである。
初めて合同で訓練した翌日、なんと第一研究室までレイはユウキを迎えに来たのだ。あまりのことに苦笑いを浮かべるが、嬉しそうな子供はユウキのそれに気づかない。そのまま以前訪れたレイの部屋に強制的に連れていかれた。
予想外だったのか、ユウキを診察していた池内も呆然としながら見送っていた。
部屋につくと、すでにそこにはリクがいた。リクもまさかレイがユウキを連れて来るとは思わなかったのだろう。何をするでもなくぼんやりとしていた彼は、レイとともに部屋に入って来たユウキを見て少し目を見開いていた。
ここまで無邪気に自由だと、ユウキの抵抗は薄れてくる。仕方がないからと心の中で唱えつつ、レイが言うわがままともとれる提案に反対することなく乗っていた。
レイの訓練の補助をしたり話し相手になったりしていると、一人で部屋で過ごすのとは段違いに早く時間が過ぎた。こうやって話すと、レイは本当に普通の子供のようだった。
例えば、高く積むことのできた積木やブロックに喜んだ。
どこから見つけて来たのか、絵本を読んでくれとせがまれた。読んでやれば、陳腐な物語に大げさなほど興味を示した。
訓練で今までよりも重いものを持ち上げることに成功すると、ほめてくれと言わんばかりに駆け寄って来る。
レイの部屋にはおもちゃのピアノがあったので、少し弾いてやった。すると面白いくらいに驚いて、もっと弾いてくれとせがんだ。何度か弾いていると曲を覚えたのか、自分もタンバリンを叩きながら参加してきたりもした。
そんなレイとユウキを、あくまでも静かに見つめ訓練に参加していたリクも、数日すればユウキに慣れてきたようだった。
彼の能力は電気系のもので、今は小さすぎて分類できないのだと説明された。
ぱちりと、ユウキとリクの合わせた手の間で静電気のようなものが弾ける。小さな痛みに、少しだけ顔をしかめれば、リクは一切表情を変えずに謝った。
「すみません。これが僕の能力です。小さすぎて当事者間でしか認識できないので、能力を示すにはこうするしかなくて」
一方でユウキの能力は、すでに初めに観測した数値から大幅に上昇していた。レイも同様である。訓練室にいたスタッフをふざけて持ち上げて、しこたま怒られていたのは記憶に新しい。
そもそもユウキには、どうして自分たちが同じ能力じゃないのかも分からなかったから、自分の能力について淡々と話すリクにかける言葉は見つからなかった。
なんとか声を掛けようとしていると、リクがスタッフに呼ばれる。ではと言い残してスタッフに近づいていく彼は、特に何も気にしていないように見えた。
どのようにすればよかったのだろうかと考えていると、ユウキもスタッフに呼ばれ訓練終了を告げられた。部屋を出ようと入口へと向かえば、くまのぬいぐるみを抱いたレイが声を上げる。近くには、同じようなうさぎのぬいぐるみを手で持っているスタッフがいた。軽く会釈をされたので、ユウキも小さく頭を下げた。
「また明日ね!」
「ああ。また明日」
その返答をすることに、いつの間にか抵抗がなくなっている自分に驚く。
それでも、悪い気はしない。
部屋に戻れば、特に変わらない自室のベッドに寝転がる。ここの生活にも大分慣れた。
レイは、本当にただの子どもだった。はきはきと研究スタッフやリク、そしてユウキに話しかけている。レイを見ると、初めはなんだか見てはいけないもののような気がして、薄ら寒い心地がしていた。
あのくらい、十歳くらいの歳のころ。ユウキはまだ父と暮らしていた。
いや、父が変わり始めたくらいの時期だったかもしれない。
普通の家族だったのだ。家族に対する記憶はほとんどないが、おそらくは。
レイに読んでやった絵本のいくつかを、ユウキは知っていた。レイに読んでる最中に、ふと自分の声に合わせて知らない女性の声が重なったのだ。あれは多分母の声だ。レイに読んでやっているうちに、物語の結末も思い出した。
大きく柔らかいボールでキャッチボールをしたとき、向かい合った父の顔を思い出した。ユウキに向けてボールを投げる父は、よく覚えているあの拳をふるう獣じみた顔などではない。人間らしい穏やかな顔だった。
こんなふうにきっと、普通の家族だったのだ。変わったきっかけは覚えているし、なぜ変わってしまったのかも理解している。
ユウキが小学校に上がったくらいに母親が病気になり、闘病の末に亡くなった。幼かったためにあまり母との思い出はない。白いベッドの上で、いつも悲しそうに笑っていたような気がする。なんとなく覚えているのは、ベッドの上の母と、病院の売店と、病室から見る夕日だった。
ユウキは母が好きだったし、多分父もそうだったのだろう。母が亡くなってしばらくしてから、ユウキに手を上げるようになった。
初めて殴られたのはなんだったか。理由は思い出せない。泣いていたのがうるさかったとか、きっと気が立っていたとか、そんな些細なことだろう。変わった父が恐ろしかったし、訳が分からなかった。元に戻ってほしかった。それでも迫る拳は止まらない。泣きながら家から出て、機嫌が直っていると思う時間になれば恐る恐る帰った。
当然、そんなユウキからは同級生も離れていった。いまなら、そうわかる。理解できるし納得できる。今ならば。事情があるとはいえ、いつだって怪我だらけの子どもになんて近づきたくないし、親なら子どもを近づけたくないだろう。
そんなときに朝飛が助けてくれたのだ。
あのときユウキは父のことをひどいとは思っていなかった。神谷家の人たちを恨むようなことこそなかったが、怖い人たちだと最初は思っていたのを覚えている。しかし、離されて生活が落ち着いてから、やっぱりあの状況はおかしかったのだと理解した。
いまなら、そう思える。
ユウキの真似をしながらおもちゃのピアノを弾くレイを思い出す。ユウキにピアノを教えてくれたのは陽一だ。教養にと習わせていた朝飛は飽きて途中で止めたが、ついでにユウキも手ほどきをうけたのだ。別に習いたいと望んだわけではないし、ピアノもそんなに好きではなかったが、同じように習わせてくれたことにあの時はひどく感激した。
ここではどのスタッフたちもレイを普通の子どもの様に扱っている。少なくともそのように見える。
迫る拳は脳裏に焼き付いて消えない。
まるで獣のように吠える父は今も記憶に絡み付いている。忘れようとしたってどうしようもできなかった。
うつむいて、隅で小さくなっていた自分と比べたら、ここはそんなに悪いところではないのかもしれない。
レイの患者衣の横を留めている紐が解けた時、笑顔で結び直したスタッフがいた。訓練中、レイやリクと接する職員は皆、まるで学校の先生のようでとても柔らかい会話をしているのだ。
立ち上がり、シャワー室へ向かった。水温を調整して、少しぬるいシャワーを浴びる。鏡に映った自分にあどけなさはない。
レイの子どもらしい表情を思い浮かべる。無垢なままの自分がいたたまれなくて、レイに対して少しぎこちない態度を取ることが多かった。
きっと、あの子を見つめ続ければ、あの時の自分も受け入れられるはずなのだ。
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