第19話

 システム管理室。

 施設内全ての機能を統括・監視している、四角く狭い部屋で立っているのはただ一人。

 リク――正式名称「汎用型複製検体06号」は、今しがたモニター越しに見た映像に小さく笑い声をあげた。

 昨日から能力を使って館内の全システムを掌握し、自身の素体が逃亡する道筋を作ったのは紛れもなく彼であった。館内においてはすべてリクの手中であり、タグで報告されるはずだったユウキの動揺も、彼が眠っていないことも、部屋から抜け出したことも、全て異常なしの表示を偽装していた。

 これらのユウキの行動は、本来ならば即座にスタッフの収集がかかる事態だ。

 館内から逃すことは比較的簡単にできる。しかし外に出てしまえば、そこからはリクが手助けできることはない。外も警備のロボなりスタッフなりが巡回しているために、どうにか逃げ切ってほしいと思っていたのだが。

 せめて、迎撃に能力を使ってくれと願っていた。

 一か月に及ぶ能力開発訓練で、ユウキの超能力は大幅に向上し精度も上げていた。追手に捕まりそうになれば、遠くへ飛ばしてくれと考えていたのだが。

 固い床には、システム管理室常務のスタッフたちが伏している。殺してはいない。うめき声がたまに上がる。

 その中で、リクはもう一度口角を上げた。

 まさかあんな土壇場、最後の最後で自分自身の転送に成功するなんて。今までは一度も成功したことがなかったのに。己の素体であるが純粋な賞賛をおくる。

 警備用のロボが真後ろにいる状態で転んだときは、流石にリクももうだめだと思った。捕まれば殺されていただろう。施設内まで運んでから処分ならまだ助ける契機があったかもしれないが、あのロボにはその場での処分命令が下っていた。ロボには別系統から命令がされる。どうしても、リクが干渉することができなかった。

 腕を伸ばすロボを確認して、リクも絶望に襲われた。しかし、次の瞬間にはもうユウキはそこにいなかった。

 命令を実行できず停止したロボを思い出し、また笑いが湧きあがる。カメラ越しでも傑作だった。最後にこんなに楽しいことが起こるなんて思いもしなかった。

 昨日の絶望を体現したかのような、オリジナルの顔を思い出す。レイが処分されたと聞いたときの顔だ。

 処分なんて当たり前のことだ。特に留意すべきことじゃない。実際、ユウキにはああ言ったが、ユウキの処分も検討段階に入っていた。

 泉悠己は素体として優秀すぎた。本人は気づいていなかったが、施設の研究員がコントロールできないほどの規格で能力が増幅してしまったのだ。

 自分たちの手に負えない巨大な力を、人は理解しないし許容しない。ただ恐怖し排除するのみだ。新田がユウキに会わせるように指示したクローンたちは、オリジナルの能力を超えて、彼を抹殺するために培われた個体だった。能力開発の研究と素材の処分。それらを同時に行うことができるはずの策。成功するならばとても合理的な計画だと、その計画の一部に組み込まれた素材ではあるが、発案者の柔軟性と冷酷さに素直に感心する。

 しかし、感情の不安定さがネックだったレイは、予想を超えてオリジナルに懐いてしまった。あれでは抹殺は難しいだろうということで処分となったのだ。リクにも同様の抹殺命令は下っていた。実のところ、ユウキがリクの部屋を探しに来た時、命令実行にちょうどいいと思ったのだ。

 しかし、あんな必死な顔で、逃げようだなんて言うから。今まさに自分を殺そうとしている贋作に、君なんだなんて言うから。

 一人の命を、選んでしまったのだ。

 くすりと笑う。

 そして、可笑しいなと思う。この笑みはなんだろうか。その疑問はなんなのだ。自分の思考なんて持たないように作られたのに。

 一人、館内を走っている研究員をモニターで捉える。管理室に向かっているようだった。リクの偽装に気付いたらしい。

 ぱちりと、指先で電気がはじける。この力が、リクの発現したものだ。

 館内の電気による支配系統はすべて把握している。これは、偽物にそんな芸当できるはずないと侮っていたスタッフたちの怠慢だ。すでに能力増幅は終了している。そもそも、泉悠己の複製に失敗作はなかったのだと、今頃気付いたって遅いのだ。

 ようやく管理室の扉が開かれた。彼が向かってきていることがわかっていたから、ロックをかけずに待っていた。

 荒い息が聞こえる。敵意がないのはわかる。狼狽しているようだが、先ほど昏倒させたスタッフたちとは明らかに気配が違った。

「……泉さんを外に逃したんですか」

「はい、ドクター。オリジナルの部屋に行っていましたね。どうしてこちらに来られたのですか? 逃げる方が賢明です。ここはもうすぐに自壊します。あなたの逃げる道くらいなら作りますよ」

 振り向いて向き合えば、池内の目には深い苦しみがあった。この色を苦しみだと理解できるようになってから、彼の苦悩をようやく慮れた。

 向いてないのだろうなと、勝手ながら哀れに思う。

 レイの手を引いて食事をとりに行っていたスタッフは、同じように手を引いて死を促すための薬剤をレイに投与した。動かなくなったクローンを、もうその目には映していなかった。

 ゴミと同じように捨てられた同胞たちを繰り返し見てきた。

 同じことを、池内はできない。

 精神的に参っているユウキを助けるために外に行く許可まで取ったのだから。

「……逃してどうするのです。彼はもう普通には暮らせない」

「いいえ。きっと暮らせます。ドクターが能力のことを懸念しているのであれば、問題ないでしょう。現在の段階では、継続して投薬しないと能力は使用できなくなることが判明しています。しかしすでに何体かの複製が複数回の投薬に耐えきれずに死亡していることから、泉悠己への投薬は制限されていました。薬剤開発の遅れによりオリジナルには一度しか投薬を行っていません。効果の平均持続時間から見て、もうすぐ彼は発現した能力を使えなくなるでしょう」

 薬剤の開発が間に合わなくてよかった。リクには3度投与されている。施設全体を操作していることもあって限界は近いことを感じていた。

 ユウキには体への影響から一度しか投与されていないのは分かっている。大事な唯一の本物なのだ。だからきっと、家にたどり着けば大丈夫だろう。今回の研究で研究所のミスは多々あるが、最大のものは泉悠己が世話になっている家の影響力を考えなかったことだ。あの家ならば、極秘研究とはいえ圧力には屈しないはずだ。

 リク同様の考えに至ったのか、池内は気の抜けた表情になる。それが安堵だとわかり、さらに彼に対する憐憫の情が湧いた。

「ドクター、逃げてください。僕はやると決めたのです」

 この施設に自壊機能があるのは知っている。その信号も把握した。

 ――なかったことになんてされるべきじゃないんだよ。

 必死な声で告げられたそれが、ただ嬉しかった。それだけだった。

 ――なかったことに、しなくては。

 なかったことにするのだ。ユウキ以外の何者も外には出さず抱えていくと誓っていたが、この研究員には目を瞑ることができる。

「僕はたった一つのために全てを終わらせます。でも、ドクター一人ならなんとか……」

 しかし、リクが説得しようとしているにも拘らず、池内は部屋の入り口から離れ、最奥のガラス壁に近づいてきた。彼はリクの隣に立つ。

 ここはシステムを管理する部屋であるのと同時に、最深部を監視する部屋でもあった。

 池内が目を向けている、一階にある中央の大きな筒が並ぶ部屋を見た。あれは培養器だ。リクも少し前まであそこに入っていた。今培養されているのは第三次複製計画のクローンだ。同胞たちは目覚めず眠り続けている。まだ不安定な技術。全ての複製が目覚めるとも限らない。

 リクは運よく目覚めた。そしてさらに幸運なことに、素体同様すぐれた能力を獲得した。それを幸運だと思うところまで自分の意思が及ぶ領域を広げることができた。

 かわいそうに、と思う。同時にすまないとも、よかったとも思う。“思う”ことがリクにとっては異常なのだ。

 歩くことも、目を開けることもない同胞を偲ぶ。この感情。罪悪感と歓喜が、リクに宿命づけられた贖罪だった。

 ――なかったことに、しなくてはいけない。

 にわかに下層部がざわついた。なんの悪戯だろうか、まさにこの瞬間に意識を得たクローンが一体いたようだ。培養器から吐き出されるようにして出てきた、自分と同質の個体を静かな感情をもって見つめる。

 職員が数人たったいま生まれたばかりの複製に駆け寄った。濡れた体を白い布で拭いてやっている。

 横を向くと、池内はリクと同じように凪いだような顔だった。彼もまた、新たな研究対象の誕生に慌ただしく喜んでいる最深部を見ていた。

 逃げるつもりはないらしい。

 突如大きな音を立てて扉が開かれる。武装した職員たちが雪崩のように押し入って来た。

 “06号”が“笑って”振り向けば、彼らは驚愕する。

「……そうだね。全部、なかったことにしようか」

 聞こえてきた穏やかな声に、無言で同意してリクは最後の指示を出した。

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