第2話
七月末日。
ユウキは最後のレポートを書き終えた。自宅のローテーブルにかじりつくようにして過ごした一週間だった。大学に入って初めてのテスト期間。慣れないこともありひどく緊張した期間だったと、終わった今だからこそゆとりを持って振り返ることができる。出席必須の筆記試験は最初の三日間に詰まっていたから、他の科目はレポート提出だけだった。
夏季休暇中の八月、ユウキには用事がある。絶対に外せない用事だ。その前に課題を終わらせておく必要があり、寝食を惜しんで課題を片付けなくてはいけない地獄のような一週間だった。試験や課題が片付いてよかったと無理矢理納得しておく。
書き終わったレポートの誤字脱字と内容を、最後の仕上げに確認する。ミスはない。書き終えたばかりのレポートをメールに添付し、担当教授に送信した。
メールが無事送信済みになっているのを見て、勢いよく後ろのベッドに背を預ける。課題中にユウキの尻に敷かれていた座布団はあまり役目を果たしていない。今更ながら、安かったからと適当に薄くても気にせず買ったことを後悔していた。ユウキの尻はほぼ直に床に当たっていたために、腰骨がバキバキだった。
「終わった……」
その事実を声に出してみて実感する。八月にある用事のために、まだまだ提出期限に余裕のあるレポートもすべて提出したのだ。終わった。この解放感は尋常ではない。
働き詰めだった愛用のパソコンにも、お疲れという気持ちを込めて電源を落とす。入学前にセールで買ったものだが、授業のまとめや課題等、本当によく働いてくれた。
開放感のまま腕を広げ、頭をベッドの上にのせてぼんやりと天井を見上げる。ユウキの部屋は、よくある学生アパートのワンルームだ。風呂もトイレも洗面台も独立していない。一口コンロ。別に、何の不自由もない。
天井の真ん中に設置されている安っぽい照明が、部屋を明々と照らしている。レースカーテンの向こう側の空は、夏らしく雲一つない青色だった。
ふと、そういえばレポート作成中にメッセージが来ていたのを思い出す。思考の端で着信音を何回か聞いた気がする。緩慢な動きで、ベッドの上で充電しつつ放置されていたスマホを手に取った。
サークルにも入っていないユウキに連絡をよこす相手は限られている。大方相手の見当はついているのだが、新着メッセージは二人から合わせて六件。相手も予想通りだった。一人はユウキが世話になっている家の次男で、幼馴染の朝飛だ。そしてもう一人は、地元の大学に進学したために遠距離恋愛となっているユウキの彼女の鏡花だった。
ロック画面で見えたとき、連続で大量にメッセージを送ってきていた方を先に開く。
(なあいつから休み?)
(兄ちゃんが悠己帰って来るかって聞いてた)
(そっちで過ごす?)
(てかもうテスト終わった? 俺まだあるんだけど。レポートも多いしやばくね。第二言語落としたかも。カッコつけてドイツ語とか選択するんじゃなかったわ笑)
無理かも泣いちゃうと、ご丁寧に泣いている絵文字までつけて送ってきている朝飛に、少し笑って返信を打つ。
(用事があるからわからない。帰らないつもり)
後半の怒涛の長文愚痴メッセージに、どう返信を打とうかと内容を考えていると、即座にユウキの返信に既読が付いた。そのまま了解!というスタンプメッセージが表示される。
自分の言いたいことを言うだけ言って相手の返事を聞かないのは、対面でも変わらない朝飛の性格だ。鷹揚と捉えれば長所だし、身勝手と捉えれば短所だよなとことあるごとに考えさせられる。その邪気のないストレートな性格に救われたことも多いから何ともいえないのだが。
朝飛に対する返信は切り上げて、もう一人の方を見る。鏡花からは短く、夏休み会える?とだけだった。朝飛に返したのと同じように用事があるだけと返信した。
唐突にぐうと腹が鳴る。午後二時すぎ。そういえば朝はだるくて、課題に取り掛かる前の学校帰りにコンビニで買ったチョコレートをかじっただけだったのを思い出した。
立ち上がりキッチンへと向かう。朝飛がこの前送って来た、誕生日プレゼントという名目の仕送りにあったカップ麺がまだいくつか残っていたはずだ。予想通り残っていた天ぷらそばに、湯を入れて机に戻る。
カップ麺にペットボトルのお茶。朝ごはんはチョコ。不摂生極まりない。あまり神谷家には知られたくない事情だった。知れば朝飛も、その兄の陽一も渋い顔をして、夏休みくらい家に戻ったらどうだと言うだろう。
ローテーブルに置かれたスマホが光る。覗いて見れば、鏡花からの返信だった。
(わかった。暑いから体調に気をつけてね)
短い返信に申し訳なさを感じつつも、いつも全く我儘を言ってこない彼女に、少なからず安堵していた。
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