第21話 エピローグ
どうして、泉悠己が小西鏡花と付き合っているのかと聞かれたら、鏡花は平然と答えるだろう。
鏡花が悠己に付き合ってくれと頼んだからだ。
始まりはたったそれだけのことだった。
鏡花が悠己を好きになったきっかけは至極ありきたりなことだ。中学生の時、少し他の女子よりも見た目のかわいらしかった鏡花は、クラスメイトたちから避けられていた。小学校が同じだった気の強い女子に目の敵にされていたことが原因だった。別にいじめだと明言できるようなひどい被害はなかったが、毎日登校するのが苦痛だった。
授業中、鏡花が発言すれば周囲からくすくすと笑われた。移動教室もお昼も一人。体育はあまりもの。教師によってペアにされると、相手にはこれみよがしに顔を顰められた。
嫌な気分は少しずつ、積もっていた。
クラスの中心的な女子に嫌われていたから、男子たちも鏡花を腫物扱いしていた。しゃべりたいだなんて思いもしなかったけれど、それでも刺々しい言葉をかけられるのは堪えた。
そんなとき、悠己だけは鏡花に普通に接したのだ。
それがどんなに安心したか。本人は全く気づいていないだろう。
分かっている。悠己は誰にも興味がなかっただけなのだ。クラス内の確執にも、それでユウキが被る被害にも興味がなかったから、鏡花のことを避けなかっただけなのだ。別に特別扱いされたとか、そんな意図があって無視しなかったわけではない。
それは十分にわかっていた。ユウキはただどうでもよかっただけだと理解していた。
だから、二年生の冬。同じ高校に進んだ彼にある提案をした。
最後だから、来年のイベントごとを恋人のように一緒に過ごしてほしいと。
鏡花のことを好きじゃなかったことなんて知っている。断るのも面倒だったのだろう。断るほど嫌われていなかったことに、当時は安堵したものだ。でも、律儀な人だから、鏡花のしたかったことにはだいたい付き合ってくれた。悠己の家族である神谷朝飛も、鏡花とは中学からの同級生であり程よく仲を取り持ってくれた。
朝飛は、恵まれた環境であるが故に不自由を知らない人間だった。中学の頃から目立っていたから知っている。悠己のそばにいたからというだけで、彼の思いつきに付き合わされたことは一度や二度ではない。しかし全てを持っている彼は、それでも変に曲がらずひねくれず、朗らかな性格だった。傍若無人なところもあるが、彼の本質はいつだって善に基づいている。その奔放な行動が悠己のことを助けたのだろうと、それもなんとなく理解していた。
自分のことを好きになってほしくないわけではなかった。しかし、悠己の人に興味のなかったところに救われたのだから、強く言うことはできなかった。
それでも次第に願いを抱くようになった。もし願いが叶うなら、いつかあなたの目に熱がこもりますようにと、そう思い続けた。
悠己のことが好きだった。だからもうこの願いが叶うなら、もはや対象は自分でなくともいいとすら思っている。
誰かと幸せになりたいと、彼が自分で思ってくれるならばそれでいい。
八月後半に、朝飛からメッセージが来た。悠己に仕送りをするから、良ければ何か一緒に送るかと書かれていた。悠己の元へひとりで行くような勇気は鏡花にはない。帰ってこないなら鏡花は彼に会う手段はなかった。自分だけで何か贈り物をするのも思いきれずにいた。朝飛なりに気を遣ってくれたのだとわかった。
正直に言えば、この提案にのるか少し迷ったのだ。あまり悠己の領域に踏み込めば、彼が愛想をつかしてきっぱりと別れを告げられてしまうのではないかと悩んだ。特に神谷朝飛は悠己にとって特別な人間の一人だ。そこに干渉していいものか。
一年だけと思っていた交際は、卒業した後も悠己が何も言わないことをいいことにずるずると続けていた。
悩んだのちに、結局朝飛にお願いしたのだ。干渉が不快だと言われて振られれば、潮時だったと思おうと割り切った。
何を入れるか一緒に買いに行った後に、段ボール箱に詰めて送ろうと取り決めた。気軽に食べられるものがいいだろうか。物は多分嫌がるのではないだろうか。考えすぎてしばらく眠れない夜が続いた。
約束の日になり、鏡花の家の近くにある神谷家まで行く。長々と続いている塀に沿って歩いて行くと、門の前にはなぜか帰らないと言った悠己の姿があったのだ。
当の朝飛すら驚いた急な帰省だったらしい。
唐突なことで驚いたが、用事が終わって帰って来られたならよかった。なんだかやせたような気がするし、神谷の家でゆっくりしていった方がいいと思った。
悠己は真面目に見えて自分のことになるとずぼらだから、一人暮らしはかなり大変だろう。午後からでも遊びに行こうか、それとも家に居ようかと朝飛と話し合っていると、悠己が声を上げた。
朝飛と同時に彼の方を見る。
「ただいま。……その、たくさん、ありがとう」
その言葉ははっきりと耳に届いた。初めて見る泣き出しそうな笑顔に呆ける。
うっすらと涙すら滲む瞳に、確かに光を見つけた時、鏡花は自分の願い事が叶ったことを知った。
(了)
砂上を歩く 天音 @kakudake24
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