第9話:ご利益の代償④

作楽の提案で、二人は学校からほど近い公園にある、ドーム型の遊具の中へと場所を移していた。なぜベンチでなくそのような所にいるのかというと、移動中作楽がおどろおどろしい表情で映理を脅したからである。


『平日の午前中にランドセル背負って人目に着くとこなんかにいたら、すぐ奴らに連れ去られちゃうからね……』


映理がつばを飲み込みながら、『奴らって……?』と聞き返す。作楽は当時経験したというその時の光景を思い返しながら眉根を寄せた。


『其の者ら蒼き衣を纏い……無線と警棒を携えながら白黒の自動車にて交番へと連れて行くであろう……』

『警官かい! あんた補導されたことあんの!?』

『だから今日はランドセルを置いてきたのだよ』

『学校に何しに来たのよ』


『これを渡すためだって』と悪びれる様子もなく手提げを掲げる作楽。確かにそれ以外の荷物は何も持ってはいないようだった。


筆箱も教科書も何も持たず、怪しげな雑貨だけをもって校内に侵入しようとしている少女。それら異様な行動は、法月作楽という存在の奔放さを正しく示しているように作楽は思った。


そして、そう思えてしまっている時点で、自分は相当作楽に毒されているなとも。


『無断で学校から飛び出してくる小学生も、世間では相当異様な部類だと思うよエリリン』


そう言われ、ぐうの音も出ない映理であった。


今頃は教師が親に連絡を入れているころかもしれない。そうしたら、また母親に心配をかけてしまうことだろう。


自分を抱いて涙を流す母親の姿を思い出して、映理の心中に冷ややかなものが流れる。


学校に戻った方が良いのではないかとも思う。しかし戻ったところで映理を待ち受けるのは、不可思議で理解不能で、全てが自分にとって逆風下にあるとしか思えない教室と教師とクラスメイトである。


『それで、今度は何があったんだい』


だから、目の前の少女と話をすることで少しでも今の状況を変えることが出来たらいい。


そんな希望を胸に抱きながら、映理は事件の流れを作楽に話していった。





「なるほどなるほど……なるほどおぉー」

「……あんた、ここで店でも始める気」


話を聞きながら作楽は、手提げの中に入っていたものを次々に地面の上に並べ始めていた。事のあらましを一通り説明し終えた映理は、作楽の前にずらりと並んだ置物を端から眺めていく。


「何か、全体通して微妙に気味悪いんだけど」

「どれも縁起物なんだけどなあ」


でかい魚を抱えたおじさんやら、おじさんのような笑顔を浮かべた狸やら、おじさんのように寝そべったカエルやら……。一部分だけを取り換えれば愛らしさが垣間見えそうなものばかりだというのに、どれもどこか惜しい。


手提げの中身を出し終えると、作楽が『パンッ』と手を打って腕を広げた。


「さあ、2千円均一だよ! 選んだ選んだ!」

「これ一個2千円!?」


幾つか選んでいいものだと思っていた映理は仰天し、もう一度まじまじと品を見つめる。確かにどれも造形はしっかりとしており、材質も重々しさを感じさせるものばかりとはいえ一個2千円とは……。


万来堂に滅多に客が来ない理由を再確認しつつ、映理は一つの置物を指さした。


「この中じゃ、これが一番マシかな」

「お、エリリン正解」


作楽のつぶやきに、商売人には不適切な言葉を見つけて映理はこぶしを振り上げる。


「正解……正解って何だ! やっぱり他はぼったくりだってか!?」

「ちがうちがう、そういうことじゃなくて」


作楽は、指し示された置物を手に乗せると映理の眼前へと持って行った。


足を投げ出した姿勢で座る小太りのおじさんが、顔からはみ出さんばかりに口角を持ち上げて映理へと満面の笑みを浮かべている。映理はその丸いフォルムに愛嬌を感じ選んだものの、こうやって近くで見るとやはり若干薄気味悪く感じてしまう。


思わず腰が引け、置物から向けられる笑顔から逃れるように顔を横にずらして作楽を睨む。


「何なのよ」

「これはビリケン様だよ。幸運の神様と言われていて、割と有名なんだけど」

「知らない」

「えぇ……大阪民にとっては知らない人はいないシンボル的な存在なのに」

「私大阪民じゃないし。ねえ、この置物足の裏へこんでるんだけどやっぱり不良品じゃないの」


映理が指をさして指摘すると、作楽はニヤリと笑った。なぜかその笑みに攻撃的なものを感じ、映理は体をブルりと震わせる。


「な、なによ」

「……ビリケン様には謂れがあってね。足の裏を掻いてあげると願いが叶うんだって」

「それがへこんでいるのと何の関係があるの」

「参拝する人がみんなビリケン様の足の裏を掻いて行くものだから、次第に削れてへこんでいったそうだよ。この置物はそれを再現しているのさ」


作楽が流暢に語るも、映理はまだ何もピンと来てはいない。どうして作楽がこんな話をし始めたのかを、その表情を伺いながら必死に探っていた。


「そりゃあ、ずいぶん脆い材質でできてたのね」

「いいや、しっかりとした木彫りだったそうだけど。……一人一人が掻いて削る量は僅かでも、その数が重なるにつれいずれ大きな結果となって現れる」


「雨だれ石を穿つ」などという言葉がある。軒下から垂れる雨粒程の小さな礫の力でも、重なればいずれその下の石をも貫くほどの結果を残すことだってあることを示したものだ。


そう、積み重なっていけばどんな微かな力でも……ほんの出来心に近いような僅かな悪意だったとしても、それが寄り集まれば悲劇的な結末を導くことにもなる。


「大石氏作のトカゲさんは、きっとビリケン様になり損ねたのさ。土粘土製だったばっかりにね」

「そんな……まさか!」


ようやく作楽の真意に勘づいた映理が、しかし到底信じられずに目と口を大開く。


それでも、作楽の確信めいた表情は少しの揺らぎも見せることはなく、堂々と映理の叫びを受け止めていた。


「後ろめたいものが在る者は、不自然なまでに多弁になるか、不必要なまでにその口を閉ざすか……」


映理の中に、一時間目の教室の風景がよみがえる。


皆が異様なまでに黙りこくり、いつもなら怒号を響かせる教師すらもが大人しかった、常とは全く異なる異質な空間。


それら全てが作楽の言葉と重なった。


「そのどちらかなんだよ」


今回の事件の全容が明確に形を帯びて、その正体が姿を晒しているのを映理は感じていた。





二時間目を自習にしてから、5年2組の担任教師はすぐに職員室へと駆け込み電話をかけようとしていた。電話のかけ先は、つい一か月ほど前に転校してきた多々良部映理の母親だ。


映理の生徒個票を取り出し電話番号を確認していると、職員室に控えていた教頭から声をかけられる。


「岩井先生、今学校の周りを用務員さんに探してもらってるから!」

「あ、ありがとうございます……ああ、クソ!」


担任教師は気が重かった。


多々良部映理の母親にはつい先日もネガティブな報告をしたばっかりだ。電話口に出た様子からはさほど怒ったり悲しんだりといった雰囲気は感じられなかったが、それにしたって続けざまに、今度は学校脱走の知らせである。


出来れば連絡を入れたくはない……入れるにしても映理を発見してからの事後報告の体にしたい。そうした自己保身の気持ちが、電話番号を入力する手の動きを鈍くさせた。


それが功を奏したのか、それとも裏目に出たのか。


「失礼しまーす。岩井先生いますかあ!?」


まだ授業時間だというのに職員室のドアが開かれ、生徒の声が室内に響き渡った。


室内にいた他の教師が、軽い調子でその生徒に対して戒めの言葉をかける。


「学年と組を言いなさい」

「あ、すいやせん。5年……何組だったっけ、の法月です!」

「法月……!?」


その名前は担任教師にとって、映理の件と同じぐらいに気分を重くさせる、自分が担任する生徒の名前だった。


番号をプッシュする手が止まり、とうとう今まで打ち込んでいた番号入力がキャンセルされてしまう。


顔を上げて入り口を見た教師は、その在り得ない光景に、ただでさえ混乱している脳内がさらにかき乱されるようだった。呑気にこちらに手を振っているしばらくぶりに会う生徒の横には、今まさに捜索していた生徒の姿があったのである。


「多々良部!? お前どこ行ってたんだ!!」


すぐさま駆け寄り声を荒げる担任教師。職員室にいる面々も、皆騒然としてその様子を見守っていた。


「…………」

「多々良部……?」


担任教師はすぐに彼女の様子がおかしいことに気付く。こちらを見上げるその視線は、決して畏敬を示すべき己が担任教師を見るものでは決してなかった。


そこにはまるで、今まさに仇敵を瞳に映しているような恨みが込められている。


映理は間違いなく、担任教師を睨んでいた。


「どうし……」

「先生、今から教室で皆に話をしてきていいですか?」


映理に事情を聞こうと思った彼の腰を砕くように、作楽が手を振り上げて割り込んでくる。それに対して舌打ちをしそうになるのを抑えながら、担任教師は困り顔を作った。


「法月、今みんなはちょっと色々あって話ができる感じでは」

「その事件について話したいんです」


いつの間にか雰囲気がガラッと変わっていた作楽の表情に気付き、担任教師はハッとした。


一見呑気そうに見えるその笑みの中に、状況を面白がる野次馬のような残酷さを彼は見出したのだ。


そう思えるのも、5年2組の担任になる際に作楽の噂を聞いていたからだ。


曰く、彼女の発言にクラスメイトが凍り付き、行動には教員が振り回され、その全てが学級経営の秩序を崩壊させる要因となり得ると。


その法月作楽と、ここ数日クラスの騒動の常に中心にいた多々良部映理が、どういう訳か今一緒にいる。


教師の自己防衛本能が、明確に警鐘を鳴らしていた。


この二人の好きにさせてはならない、と。


「法月悪いが今は」

「尻尾のご利益はありましたか?」


笑顔のままの作楽が言ったことの意味が、最初担任教師には不明だった。だが、何か非常にまずい事実が明らかにされたような感覚だけがはっきりとしていた。


教師は目を見開き、口からは声が漏れ出る。


「は……?」

「……大石くんの作品の触り心地はどうだったのかと聞いてるのよ。私たちには散々注意してたっていうのにね」


今度は映理の方から声が上がった。作楽の物よりもだいぶ直接的で糾弾するような物言いに、担任教師はすっかり自分の逃げ道が塞がっていることを悟った。


教師の体から力が抜け、ひざから崩れ落ちる格好となる。


「楽しい自習の時間になりそうだね、エリリン」

「まさか。こんなの最低よ」


今度は見下ろす側となった映理と作楽は、それぞれ対極的な感想を述べた。

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