第20話:呪いと占い④

先輩の後を追いかけて、瑠架は教室の喧騒から離れた廊下の一角へとやってきていた。


奇しくもつい先日、他ならぬ目の前の先輩に声を掛けられ図書室で占いをするきっかけとなったのと同じ場所である。しかし、こちらに背を向ける先輩の雰囲気も、所在なく佇む瑠架の心境も、あの時とは大きく違ってしまっていた。


先輩から漂う不穏なオーラにしり込みして瑠架が何も言えずにいると、背を向けたままで先輩が話し始めた。


「つい昨日、相談していた例の大会があったんだ」

「あ……そうなんですか、それで」


その言葉を受けて、瑠架は先輩が「良い結果が出たら報告する」と言っていたのを思い出した。しかし想起してすぐに、それにしては先輩の様子がおかしいことに気付く。


先輩の態度は、背中越しにも伝わってくるその感情は、明らかに「良い結果」が出た者のそれではなかったのである。


瑠架は再び押し黙る。そのまま時が過ぎて、昼放火の終わりを告げるチャイムがこの現状にも終わりを告げてくれることを期待した。


しかしそれは叶わない。


チャイムが鳴るより早く、こちらを振り向いた鬼面の如き面構えの先輩と目が合ってしまったからだ。


瑠架はアッと口から漏れ出そうになるのを何とか手で押さえる。


目が、眉が、鼻が口が、その全てが憎悪によって醜く歪んでいるようだった。


「もう分かっているだろうけど、結果は散々だったよ。ただ負けただけならまだいい。しかし俺は、全てを失ってしまった……!」

「せ、せんぱいっ……い、いいいったい何がっ」


瑠架は今にも漏れ出そうになる悲鳴を必死に押し殺しながら、先輩から事情を聞き出そうと対話を試みた。しかし、それは全くの無駄だったとその反応から悟ることとなる。


「全てきみのせいだっ!!!」

「ひぃ……っ」


鬼面を一層深く、醜く歪ませ先輩が叫ぶ。廊下の端から端まで轟いたのではないかと思えるほどの怒鳴り声に、とうとう瑠架は身を縮こませて怯えることしかできなくなってしまう。


「きみが……お前がっ! お前が俺をそそのかすようなことを言わなかったら、ここまでのことにはならなかった!!」

「ご、ごめんなさっ……ゆるし、ゆるして」


瑠架は必死で謝った。一体何に謝っているのか自分でも理解できていなかったが、とにかく目の前の恐ろしい存在の怒りを鎮めるためにできることがそれしかないことは分かっていた。


だが、唯一瑠架に残されていたその対処法すら、鬼と化した先輩には逆効果のようだった。その勢いはとどまることなく、とうとう瑠架はその肩をガシッと掴まれる。


ギリギリと両側から、さながら万力のねじを締めるように、力は強まる一方だった。


「許さなイ……!! オマエが、オマエノ占いさえナカッタら……ッッ!!」

「だ、誰か……たすけ」


見たくないのに、先輩の腕によって瑠架の体制は固定されてしまっていたがために、視線はもろに先輩の表情に向けさせられてしまっていた。目を閉じる勇気も無く、恐怖に目を見開いてしまった瑠架の網膜にしっかりと先輩の形相が刻まれていく。


自分が……自分の占いがこの怪物を生んだ……? 


「オレハ、オマエニ、ノロワレタッ!!」


呪い……私の占いが……!?


その言葉は、絶対に否定したい物であるはずなのに、なぜかストンと瑠架の心に落ちたような気もした。


「お、おい! お前達何している!!」

「あ……」


偶然通りかかった男性教師が、二人が組み合っている様子をどのように誤解したのか、慌てたそぶりで声をかけてきた。


瞬時に状況のマズさを悟ったのであろう先輩は、舌打ち一つ残して素早く廊下を逆側に走り去っていった。男性教師は一瞬追おうとしたものの、迷いなく廊下を全力疾走で駆けていく男子生徒を追うまでの気概は無かったのか、すぐに足を止めて瑠架の方を向いた。


「きみ、一体ここで何されてたんだ」

「あ、私……私は」


何をしていたのか……自分は一体何をしでかしてしまったのか。


そんなものは今、瑠架の方が最も知りたいことだった。


「……分かりません」

「何だ? ……ったく」


結局男性教師は瑠架が疚しいことを誤魔化したとでも思ったのか、いらだたし気に頭を掻くとそのまま去って行ってしまった。


そうして一人取り残された瑠架は、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴るとその場にへなへなと座り込んでしまった。


教室に戻る元気など、残されてなどいなかった。望むことならば、もう今この瞬間にワープして自分の部屋に戻してもらいたいぐらいだ。


しかし、当然そんな願いなど叶うはずもなく、しばらくしてからトボトボと瑠架は教室へと歩いて行ったのであった。





時刻はお昼過ぎ。学校の授業が終わり、多くの学生は家路に着くか、部活動に精を出すかしている、まだまだ活動的な時間帯だ。


まだ日が高く、多くの児童や家族連れで賑わう自然公園の横を、覇気なく歩く女子生徒。


瑠架は、下校前に花音から知らされた事を頭の中で何度も繰り返していた。


『やっぱり占ってもらったみんな、良くない結果になってしまったみたい』


花音は気まずそうに視線を逸らしながら言った。


曰く、家族仲は崩壊に向かい。


曰く、夢は破れ、意思は砕け。


曰く、失せ物は見つからず。


瑠架の評判は今地の底にまで落ちてしまっているとのことだった。


『占いするのは、しばらくやめた方がいいね』


それだけ告げて、花音はさっさと教室を出て行ってしまった。せめて今日ぐらいは一緒に帰ってほしかったのに……。


花音の自分を見る目すら、変わってしまっているように瑠架には思えた。


花音だけではない、校舎内ですれ違う人々の自分を見る目が、全て白く濁っているように見えて瑠架は恐ろしかった。


つい最近まで、世界はあんなにもキラキラしていたというのに……。


まるでこの世の全てが、180度入れ替わってしまったような前後不覚に瑠架は陥ってしまっていた。


どうして……? 一体なぜ、何がきっかけで……?


最近変わったこと……変わった物?


ぐるぐるとめぐる思考の末、瑠架は一つの恐ろしい仮説に行きあたってしまった。


全部、ルーンストーンを使って占った人達だ。ルーンストーンを使い始めてから、まるで呪われてでもいるかのように、自分を取り巻く世界は変わってしまった。


――呪いでもかけられてるんじゃないかと思った。


自分の何気ないつぶやきが思い出される。そして、それに相対する作楽の笑顔。


『そんなもの売る訳無いよ』


灰色の瞳を瞼で覆い隠した大げさな笑顔。その表情は真実だったのだろうか。


だって、少し傷がついているだけでいくら何でも安すぎたのではないか。


疑問は疑念を生み、疑念は確信を産む種となって、瑠架の中でムクムクと暗い感情を呼び覚ましていった。


突然、世界はグラッと歪み、瑠架の足元を絶え間なく揺らす。


「うぷ……っ」


耐えがたい吐き気に襲われ、瑠架はその場で立ち止まり口元を抑えた。


ぐわんぐわんと揺らめく世界の中で、すぐ横をすれ違う自動車の風圧ですら自分を吹き飛ばすようで、恐怖から瑠架はすぐ横の自然公園へと逃れる。


そうして何とかベンチまでたどり着くと、倒れこむようにその場に蹲った。


すぐ近くからはけたたましく笑う子供の声や、和やかに会話する人々の話し声が聞こえてくる。しかしそれがまるで遠い世界の出来事のように、瑠架には現実感なく聞こえていた。


すると、そのうちの一つの笑い声が止み、トコトコとこちらに誰かが歩み寄ってきているようであった。


「あの……大丈夫ですか」


おっとりとした、こちらを気遣うように優しい女の子の声が聞こえて、瑠架は顔を伏せた状態のまま瞼を開けた。


視界に移ったすぐ足元の風景には、自分の物ではない誰かの足元が視界の端に移っていた。スニーカーで、女の子らしい薄紫色。デザイン的には小学生だろうか、少し端の方が土に汚れているのが、少女らしい活発さを表しているようだった。


声だけで返事をして、目の前の女の子を安心させてあげようとした寸前、視界にさらにもう一つの足元が入り込んできた。


今度のスニーカーは白いメッシュ生地の無地で、先ほどの子の物よりも機能性を重視したようなデザインだ。


「友莉恵、知らない人に声をかけちゃいけないって先生に習わなかったの」

「だ、だけど」


新しい女の子の声が聞こえて来た。恐らくは今視界に入り込んだ白いスニーカーの子の声だ。


どこか突き放すような冷たい声。瑠架は聞きながら、紫のスニーカーの子が困っているのでないかと感じた。


「『被害者も加害者も、全てを救うのがヒーロー探偵だ』って助手妖精のコロンが……」

「絶対架空の存在よね、それ!?」


しかし、実態は違ったようだ。全く淀みなく、すらすらと行われる目の前のやり取りからは、互いが互いを信頼している関係性であることが伝わってくる。感覚としては、紫の靴の子が白い靴の子に甘えているような、そんな雰囲気さえ伝わってくる。


賑やかな少女たちのやり取りに巻き込まれただけで、少しだけ元気を取り戻した瑠架は今度こそ顔を上げてお礼を言おうとした。


「先生の言うことより妖精の言うことを聞くなんて、どうかしてるわ」


瑠架はその言葉に、その声色に聞き覚えががあった。


『こんな店のモン買おうだなんて、どうかしてるわ』


あの日すれ違った女の子、何か事情を知っているようだった。その女の子が、今目の前にいる……!?


瑠架は慌ててガバッと頭を振り上げた。


「きゃっ!」

「うわっ!?」


振り乱れていた頭髪が頭にかかり、視界を邪魔する。それでも前髪のすだれ越しに覗いた二人の少女が、驚愕に目を見開いているのは分かった。


一人は想像通り、切添えられた前髪とくしゃくしゃとカールした毛先がその純朴さを表しているような、丸い瞳の女の子だ。瑠架は一旦その子を置いておいて、その横に立つもう一人の少女へと視線を向ける。


視界を邪魔する髪を横に流し、はっきりと確認する。


やはり、あの日万来堂ですれ違った少女だ。眼鏡のフレーム越しに覗く、知らずこちらを威圧するような切れ長の瞳。驚きに目を見開いてなお、その造形は整っていて乱れることが無い。


瑠架は未だ驚愕のまま固まっている少女に向かって手を伸ばし、縋りつくように顔を寄せた。


「あの、あなた……万来堂の、作楽ちゃんのことについて教えてほしいの!」

「……あんた、あの時のお客?」


少女の方も瑠架のことを覚えていたのか、丸く見開かれた瞳の形がほんの少し変わり、やがて細められた。


「あいつ、また何かやらかした訳」


やはりこの子は何かを知っている。


ますます確信を強めた瑠架は、しかしその質問に対し頷くとも首を振るともできずに、黙ってその目を見つめ続けることしかできなかった。

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