第4話:消えたコンパス④

映理は教室の真ん中で、今日も一人休み時間を過ごす。


事件が起きるまではたまに話しかけてくる生徒がいたのだが、あれ以来すっかり映理の良からぬ評判が出回ってしまい、今では人っ子一人話しかけて来やしない。


グループでの話し合い学習の際など、まるで映理の存在など気付いていないかのようにほかのメンバーだけで話を進めていってしまうことさえある。


元来あまり他人と積極的にかかわったりしない方である映理を於いても、この境遇はなかなかに堪えるものであった。


本当ならば今すぐにでも件の男子生徒を追及して、すべて吐き出させ、身の潔白を証明したいところだった。しかし映理はそれをグッとこらえて、ここ数日間を過ごしていた。


というのも、作楽に提案された計画を実行するタイミングをうかがっていたのである。




箱と事件の謎が同時に解決した次の日のこと。休日だったこともあり朝から万来堂へ箱を返しに行った映理は、ついでにその詳細を告げた。


それに対し作楽が言ったのである。


『エリリンさ、次その男子にあったらすぐに文句言ってやろうとか思ってない?』

『当たり前でしょ。月曜の朝にアイツの道具箱ひっくり返してやる!』


息まく映理に、作楽はため息をついて首を振った。


『だめだよ……証拠隠滅されてたらどうするのさ。今度こそエリリンは超乱暴ヒステリック器物損壊少女眼鏡になり下がっちゃうよ』

『じゃあどうしたら……って、眼鏡と少女が逆よ! 眼鏡が本体みたいになってるじゃない!!』

『細かいところまで気がつくなあエリリンは』


カウンター越しに話しながら、作楽はアハハと笑う。何とも呑気なその立ち振る舞いは、本当に映理の不安や怒りを理解しているのだろうか疑わしい。


だが、映理はのちに悟る。世の中には、表情とその内心で考えていることとが全く釣り合うことのない人間も存在しているのだと。


カウンターの台に置かれていた「からくり箱」を作楽が持ち上げる。その中に、たまたまカウンターに置かれていた奇妙な笑顔を浮かべたネズミの人形を入れて、再び箱を閉じる。


再度開けても、ネズミの人形は姿を消してしまっている。つまみをスライドさせておらず、奥棚のロックがかかっているからだ。


作楽はつまみをスライドさせロックを外す。すると今度は閉じて開けた棚にネズミの人形が現れた。その悪趣味なまでに誇張された不気味な笑顔が、ちょうど映理の方を凝視しているような角度を向いていた。


作楽が何をしているのか分からず、映理は方眉を上げた。


『何してんの』

『これってさ、クセになるんだよね。仕組みが分かってても、出したり消したり自在にできるのが面白くてつい繰り返しちゃう』


作楽が再度棚を閉じる。本来であればつまみが自動でスライドして奥棚がロックされるのだが、作楽はそれをわざとスライドしないよう指で押さえつけた。すると中のネズミは消えることなく、また開けた時には先ほど同様その不気味な笑みが箱の中に現れた。


『どうせなら、現場を押さえちゃおうよ』


まるで楽しい遊びを提案するかのように、作楽はニカっと笑った。





人間とは、楽しかった……もしくは成功した経験をすると、再度その時の快感を得たくて同じことを繰り返してしまう生き物だ。


作楽は言った。その男子生徒は確実にまた同じような事件を起こすと。


人はタダで欲しいものを手に入れた快楽を、そして自分の策略によって他者を陥れた愉悦を、そう簡単に忘れ去ることなどできないのだ。


だからこそ映理はここ数日、耐えがたい屈辱にも耐え男子の動向をずっと探っていたのだ。


しかし、件の男子生徒はなかなか行動を起こさなかった。


やはり現場を押さえようとなどはせず、素直に本人に直接訴えるしか手はないのだろうか。


そう映理が諦めかけていた時に転機は訪れた。


ある日の朝の会の終わり際、担任がクラス全員に荷物の確認をした。


「あー、今日の四時間目の算数では分度器を使うわけだが、みんな持ってきたか?」


映理は当然準備してきていたので手を挙げた。とそこで、事件のあった日の状況が急激に彼女の頭の中で思い出されてきた。


――そう言えば、あの時も……。


ハッとして映理は例の男子生徒の方を見る。やはり彼はまたしても手を挙げてはいなかった。


その代わりとでもいうのか、手を挙げている生徒たちの顔を一人一人覚えるかのように首を伸ばして見回しているのが分かった。


その姿は、まるで今回の獲物を物色しているように映理には見えた。


――来るなら来い。


そう身構えて迎えた、2時間目の後の長い休み時間でのことだった。


「なあ、分度器かしてくれよ」

「え……で、でも」


男子生徒は映理でなく、クラスの中でも割と大人しめの他の女子に声をかけていた。


「自分じゃなかった」という部分に若干の残念さを感じつつも、「また女子」という事実に映理はまたしても怒りを覚えた。


コイツは確実に相手を選んで声をかけている。


皆がそれぞれの友達とおしゃべりしたり、外に遊びに行ったりしている中、映理やその女子などは自分の席で一人過ごしているという点において共通していた。今回、相手に映理を選ばなかったのは流石に断られるだろうと予期してのことか、それとも色々な相手に試してみたいという好奇心の故か。


映理はすぐにでも声をかけて女子生徒を助けたかった。しかし、その気持ちを内心で必死に押し殺し、遠くから観察するに留める。


今ここで声をかけて彼女を助けても奴の悪事は暴かれないままだ。そして奴はきっと犯行を繰り返す。


これは映理のためであり、彼女のためであり、今後被害にあうかもしれないすべての人のためなのだ。そう自分に言い聞かせて、映理は非常にやきもきとした休み時間を過ごした。


そしてとうとう訪れた4時間目。算数の時間である。


映理の確認した限りでは、やはり男子生徒は女子生徒に分度器を借りたまま、返したようなそぶりは見られなかった。


奴はまたしても同じ行為を繰り返すつもりなのだ。


しかし、映理が分度器を返す場面を見過ごしたという可能性もある。そのため、映理はすぐには行動に移らず様子を見守った。


「分度器忘れたやつ、学校のやつを貸すから前に来いよー」


授業を始める前に、教師がクラス全体に声をかける。すると、前に出て行った中に分度器を貸した女生徒の姿があるのを映理は認めた。


そして男子生徒は前に出てきていない。


これは決まりだ。


――アイツ、本当にやりやがった!


「穂高? お前は持ってきてたんじゃなかったか」

「あ、その……実は」

「全く、ちゃんと確認してから手を挙げてもらわなきゃ困るぞ」


女子生徒が何かを語りたそうにするも、授業の開始を急ぐ教師によってそれは阻まれてしまう。遠慮がちな女子生徒は、そのまま諦めて分度器を受け取り自分の席に戻っていった。


「じゃあ今日は教科書の――どうした多々良部」


全員が教師の指示を受けながら授業の準備に勤しむ中、真っ直ぐに挙げられた手がその場の視線を一手に集めた。


それは他でもない、表情を引き締めた映理の決心と断罪の意志が込められた挙手だった。


「先生、穂高さんは分度器を忘れてなんかいません」

「んん? 何だ、どういうことだ」

「多々良部さん……?」


名前を呼ばれた女子生徒が、驚いた表情で映理を見た。


きっと彼女の内心では、どうしてそのことを知っているんだとか、見てたのならどうして止めてくれなかったのかとか、様々な疑問が頭の中で渦巻いていることだろう。


――利用しちゃってごめん、でも絶対無駄にはしないから。


心の中で女子生徒への謝罪を済まし、クラス中の全注目を浴びながら映理は毅然と男子生徒を指さす。


全員の視線が移動するその直前、男子生徒が道具箱の中に素早く何かを入れた。


「アイツが穂高さんから分度器を借りて、そのまま返していないんです。ていうか、きっと元から返す気なんてないのよ!」

「……またお前かよ。人に濡れ衣を着せんのはそんなに楽しいか!?」


男子生徒は立ち上がり、声高々に前の事件をやり玉にあげ、映理が悪いという風な空気を作り出す。


生徒たちの脳裏にも、つい先日の映理と男子生徒のやり取りが浮かんだ。その時は映理の勘違いという形で結末を迎えてしまっていたため、自ずと映理を見る生徒たちの視線が批判的になっていく。


クラス中から白い目を剥けられ、映理の心は暗く冷え込んだ。


だが、そんなことで挫けてなどいられない。もしここで跪いてしまうようなことがあれば、こんどこそ映理の残りの小学校生活は、立ち戻ることのできない日陰者生活が決定してしまうのだから。


「どういうことだ長田」

「前もあったんだよ、俺がコンパスを取ったのどうのって勘違いして……なあみんな!」


男子生徒自体、あまりクラスから好かれてはいない。だから彼が周囲に同意を求めても積極的に彼を援護するような声は上がらなかった。


しかしそれでも、周囲の雰囲気が彼の言っていることを肯定しているのは教師にも伝わった。教師はまず映理のことは置いておいて、分度器を取られたという女子生徒の方に声をかけた。


「穂高、本当に長田に分度器を貸したのか」

「はい……そうなんです、けど」


女子生徒の歯切れは悪かった。以前の映理の光景を思い出し、もし自分もそうなった時のことを想像して怖くなったのだろう。


教師は頭を悩ませたのち、長田へと近寄りその机の上を確認した。だが当然分度器は見当たらない。


教師は再び映理の方を向いた。


「無いようだが」

「道具箱の中に入れたのを見ました」


映理はあくまで堂々と、内心の動揺を表に出さないようにふるまった。その胸の奥では、もうずっと鼓動がバクバクとうるさくて、淀みなく呼吸をすることすら難しいくらいだ。


映理の願いは一つだった。


どうか、奴が揚々と道具箱の中身を見せつけてくれますように。ただそれだけがこの作戦の狙いなのだ。


教師が男子生徒に言った。


「だ、そうだ。道具箱の中を……」

「いいっすよ、ほら!!」


男子生徒が、以前映理に見せつけた時と同じように片手で机の縁を抑え、道具箱を引き出した。


その中身に、教師だけでなく教室中全員の視線が集中する。


そこには、道具箱の底が見えるぐらいすっからかんである中身の光景が広がっていた。若干白く擦り切れた青い紙製の道具箱の面が、はっきりと衆目に晒されている。


またしても周囲から漏れ出るため息。それが狭い教室の中で合わさり、どよめきとなって響き渡った。


「おい静かに! 多々良部、これを……?」


教師がそれをなだめすかしながら、事を起こした本人である映理にも道具箱の中身を見せようと振り返った。しかしその先にあった映理の表情は、教師の予想したものとはあまりにかけ離れていたものだった。


そこにあったのは、獰猛な笑みを浮かべる映理の姿だった。それはまるで、滑稽なものを見ているような、哀れな存在を圧倒的な高みから見下ろしているような。


まだ映理が転校してきて間もないが、教師は彼女が微笑んだところ一つ見たことが無かったというのに。


その笑顔には、見るものを戦慄させる何かがあった。現に教室は、教師が言っても全然聞かなかったというのに、今はもうしんと水を打ったように静まり返っている。


映理がゆっくりと立ち上がった。


全員が次に映理が言う言葉に注目している奇妙な緊張感の中で、彼女は数歩男子生徒の方へと近づいて行き、空になっている道具箱の中身を指さした。


「ねえ、何でアンタ道具箱の中身が空っぽなわけ?」

「え」


その瞬間、クラスの全員がハッと事の異常さに気付いたのだった。

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