第5話:消えたコンパス⑤+エピローグ

「ねえ、知ってる? 道具箱って言うのはね、道具が中に詰まっているから道具箱って言うのよ」

「知ってるに決まってんだろ、お前さっきから何を言って……」

「じゃあ、何でアンタの道具箱は空っぽなわけ? のりとか色鉛筆とかハサミとか、他の道具は一体どこに行ったのか説明してもらえる?」

「そ、それは……」


皆が心の中に浮かべていた疑問を、映理は次々と代弁していった。


初めクラス中の視線は、「分度器がどこに行ったのか」ということを焦点として事象を捉えていた。だからこそ、男子生徒の空っぽの道具箱を見ても「ここには分度器が無い」という部分にばかり集中してしまい、「箱の中身が消えてしまっている」というところにまで理解が及んでいなかったのである。


かつての映理もそうだった。だから、そのことに気付かず映理を非難したクラスメイトたちを責める気持ちは映理にはない。


今映理の中にある感情はただ一つ。徹底的に目の前の男子生徒を追い詰めてやろうという意思。


ただそれだけである。


「ら、ランドセルに全部しまったんだ。一旦持ち帰ろうと思って……」

「あっそ、じゃあランドセルの中見せて」

「……ああ、もう持ち帰ったんだった。だから今は家に」


男子生徒は、その場で思いついたような言い訳を次から次へと生み出しては、またすぐに言うことが変わっていく。


それはまさしくその場しのぎだった。


今この場を乗り切ってしまえば、あとで証拠隠滅などいくらでもできる。手品のさえ割れていなければ、真相にたどり着くことなどできやしない。そうたかをくくっているのだと映理には分かった。


なぜならば、空の道具箱を持つ手とは反対側、机の縁を抑えている左手が、力を込めすぎているせいでプルプルと震えている。


そして、これでとどめだ。


映理はその震えている手を見下ろし、顎で示した。


「その手をどけなさい」

「は……?」

「左手。どけなさいよ」


映理の指摘に、男子生徒の表情が明らかに変わった。薄っすらと浮かべていた余裕を残した笑みは消え去り、額からだらだらと汗が流れ始めている。


「ど、どうしてだよ」

「できないの?」


映理が男子生徒に向ける見下す視線。相手を非難するような、糾弾するような……奈落の底まで蹴落とすような。


それに捉えられた途端に、男子生徒は全てを悟った。


自分は既に、映理の仕掛けた泥沼にすっかり嵌められていたのだと。


「長田、一体どうした。左手が何だって?」

「やめろっ!! あ……っ」


男子生徒が冷や汗を浮かべている理由が分からない教師が、道具箱の中を改めようと手を伸ばした。それを拒否した男子生徒が暴れた瞬間、左手が机から離れ、同時に右手で道具箱の縁を引っ張ってしまった。


結果晒される。彼の行った所業の真相が。


地面に散らばったのは、空の道具箱だと思っていた。そして奥から現れた本当の道具箱とその中身だった。


つまり男子生徒は、蓋をひっくり返して本体の下に重ね、側面の一つを切り取りスライドできるようにすることで、からくり箱でいう外側の棚のように仕立てていたのである。そして引き出す際に本体の道具箱を机ごと抑えることで、蓋の部分だけを引き出し、あたかも道具箱の中身が消えたかのように見せかけたという訳だ。


そして散らばった男子生徒の道具箱の中身の中には、女子生徒から奪った分度器が混じっていた。


さらに驚くべきは、その中に映理のコンパスも混じっていたことだ。ご丁寧に名前シールまでそのまま。


コイツは馬鹿なのだろうかと思うと同時に、そんな馬鹿にしてやられたという思いが浮かんできて自己嫌悪に陥りかけたところで映理は思考することを辞めた。


とにかく、映理があと男子生徒に言ってやるべきことは、たった一言だけだ。


「長田……お前」

「ち、違う! これは……た、たまたま穂高の分度器と同じだけで……」


地面に這いつくばって、必死に道具箱の中身をかき集めて隠しながら、何やら言い訳を並べている男子生徒。その正面に、映理は思いっ切り両足を踏みしめて降り立つ。


「た、多々良部……」


男子生徒が顔を上げる。その情けない、許しを請うような弱者の顔面に向かって、映理は声の限りに叫んだ。


教室中に映理の憤りが伝わるように。


「土下座しろ!!!!」

「う、うぐ……うああああ!」


そのまま蹲り、嗚咽を漏らし始めてしまった男子生徒がきちんと心の底から映理に謝れたのかどうかは、結局分からないままになった。


その後男子生徒は、教師に連れられて職位室に引っ込んだのち、そのまま親が迎えに来て帰ってしまったのだ。


だが、映理にとってはもう十分だった。計画は見事完遂して、心にあったつっかえはとれたしコンパスも戻ってきた。


元から他人と積極的に関わろうとしないのが彼女の性分なのであって、目的を達成した今、あの男子生徒とはもうできるだけ関わりたくないというのが映理の正直な気持ちだった。


5時間目、未だざわつく自習となった教室の中、自分の机で本を開いた映理の元に一人の女生徒が近づいてきた。


「あの……多々良部さん、ありがとう」

「お礼なんかいらないわよ」

「え……」


声をかけて来たのはあの分度器を取られていた女子生徒……穂高ほだか 友莉恵ゆりえだった。お礼を言う彼女に視線を向けないまま、映理はつれなくそれを突っぱねる。


「私は私のためにやっただけだから」

「か、かっこいい!」

「んん?」


それは、彼女を自分の計画のために利用した後ろめたさと、彼女生来の無愛想さとが混じった結果だったが、図らずもそれが女生徒のツボにはまってしまったようだった。


友莉恵は若干頬を赤らめながら、映理と本の間に潜り込ませるぐらいの勢いでその顔を近づけてくる。


「長田くんに詰め寄っている時も思ったの、多々良部さんって小説の中に出てくる少女探偵みたいだなって!」


友莉恵が掲げた児童文学レーベルの表紙には、帽子とコートを身にまとってポーズをとる少女が、きらびやかな背景とともに描かれていた。


彼女には自分がこう見えているらしいと思った瞬間、何とも言えないむず痒さが映理の全身を襲った。


よく分からないが、ここは否定しておいた方が良いような気がする。そう感じた映理は、作楽を今回の顛末の主人公に据えて生贄とするため、友莉恵へと諸々の事情を説明しようとした。


「あのね、穂高さん。実はあれは……」

「このクラスにいる法月さんって子も凄く雰囲気のある子だったんだけどね、最近学校に来なくなっちゃって寂しいなって思ってたところだったんだ!」

「何だって?」


友莉恵が語った中に出てきたその苗字は、映理にとって全く看過できない少女と同じもので、彼女は方眉を大きくつり上げたのだった。

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