第6話:ご利益の代償①

「あっはっはっはっは!! 長田くんそんなになっちゃったの? いやー可哀そう!」


所は夕暮れ時の万来堂。


傾いた陽光が差し込むべき窓はそのほとんどがカーテンを閉められており、店内は朝夕を問わず薄暗い。唯一入り込んでくる外界の光と言えば開けっ放しの出入り口からの僅かなものか、埃をかぶってもうしばらく手入れされていないことが窺える天窓からのものぐらいである。


そしてそのどちらもが、天井から吊り下げられた古ぼけた白熱灯の光にさえ対抗し得ないほどに希薄なものだった。


どこか退廃的な侘しさを感じる店内の景観に全くそぐわない、不躾な笑い声が辺りに響いていた。そして残念なことに、その声はこの店の店主代理である法月ほうづき作楽さくらのものであった。


事件の結末の報告がてら店を訪れていた眼鏡の少女――多々良部たたらべ映理えりは、これ以上ないほどにドン引きしていた。


顎が外れるのではないかと心配になってしまうほどに大口を上げて笑う作楽を、視線に非難の色を混ぜて映理は見つめる。


「あのさ、私結構真面目なトーンで話したつもりだったんだけど」


作楽のリアクションは、映理にとって全く不本意なものだった。


何せ話の顛末と言えば、結局長田という映理のコンパスを盗ろうとした男子は真相発覚の日以来学校に来なくなってしまい、転校すら噂されている事態にまでなってしまっているのである。


映理が被った被害は教師が親に報告したようで、母親には甚く心配されてしまった。そして母親ネットワークにより、長田という男子の所業はクラス中の……もしくは学校中の父母の知るところとなってしまっていることだろう。


映理が長田の立場だったらどうだろうか……とても平気な顔で学校に来ることなどできない。


そしてそのきっかけは、映理が彼の犯行を暴いたことだ。映理はそう感じざるを得なかった。


その気持ちを、計画の提案者である作楽にだったら分かってもらえるかと思い映理は万来堂にやって来たのだが……そのあまりの感覚の違いに彼女は愕然としていた。


ようやく笑いの引いた作楽は、目元の涙をぬぐいながらもう片方の手のひらで映理を指した。


「うん。エリリンの語り口も相まってツボにはまっちゃった」

「は、はあ!?」


ますます意味が分からず、映理は作楽へと詰め寄る。


「私の話し方の、どこがおかしかったって言うのよ」

「だって、まるで後悔しているみたいな話し方だったよ?」


作楽に言われ、映理はハッとする。


まるで自分の中に燻っていたもやもやがはっきりと形を得たように彼女は感じた。


「後悔、してるのよ」

「ええっ! 何で?」


作楽は信じられない物を見る目を映理に向けて来た。その時点で、やはり作楽と感情を共有するのは到底不可能なことなのだと、映理は心の中でため息をつく。


「だって、私があそこまであからさまに全員の前でアイツの犯行をバラさなかったら、ここまでのことにはならずに済んだかもしれないでしょ。そう思うと、やり過ぎだったかなって……アンタには分かんないでしょうけど」


映理の語り口は重い。どうせ理解はしてはもらえないだろうと確信しながら、なお自分の気持ちを説明することの何とおっくうなことか。


暖簾に腕押し、糠に釘……法月作楽にお悩み相談……。


「うーん……」


作楽は深く椅子に腰かけ、すぐそばにある雑然とした棚から一つ何かを取り出すと、それを手元でいじくり始めた。


薄暗い店内の照明の中では作楽が持っている物の正体が分からず、映理は自分の眼鏡に触れて目を細める。


「何それ」

「藁人形」

「わら……なんて物騒なもん置いてんのよこの店は!!」


映理でも聞いたことぐらいはある、憎い相手に呪いを振りかけるための道具。それを何の脈絡もなく、何の臆面もなく、まるで幼児がおもちゃで遊ぶような気軽さで触り続けている作楽へ映理は不満をぶつける。


「一面的だなあエリリン。藁人形を厄除けとして利用する習俗だってあるのに」

「そんなん知るか。何でいきなりそんなの取り出したのかって聞いてんのよ」


知識量の多さで何となくマウントを取られたかのような気分になった映理は、素早く話題を切り替えることによってそれを誤魔化した。


作楽は「え、聞いてたっけ?」と一瞬懐疑的な態度を取ったものの、鼻から息をふっと漏らした後、藁人形を掲げ映理の質問に答えた。


「いやあ……これさ、エリリンが作戦に失敗した時のために用意してたんだけど」

「え……」

「人を呪わば穴二つ」


日本のことわざの一つだ。他人に害を加えれば、直接にしろ遠因的にしろ自らにまた害が戻ってくる。


その結果、墓穴が二つ必要になる、という。


「エリリンがもし作戦を中途半端にしか行わずに、長田くんがエリリンに恨みを持って学校に通い続けていたら、きっと今頃もっと別の不安に見舞われていただろうと思うよ」

「それは……」


映理は想像してみて、その光景がとてもリアルに思い描かれてしまったことに驚いた。


あの男子生徒ならば……他人の痛みにどこまでも鈍感そうな長田という人間は、その罪を暴かれて素直に反省できただろうか?


……そんなわけがない。映理の中には確信があった。


顔色を青くする映理を見て、作楽は満足そうに腕を組む。


「エリリンがこうやって後悔しているのも、エリリンが『勝った側』だからできることだよ」

「あんた……分かってたの? 私が長田の犯行を暴いたらこうなるだろうってこと」

「墓穴を一つにするには、相手を徹底的に叩きのめして排除することだよ」


どや顔を浮かべる作楽のことを、映理は素直に凄いとも、率直に恐ろしいとも思うことができなかった。情け容赦のなさすぎる口ぶりの中に、確かに映理に対する気遣いや優しさが示されていたからである。


幼児のように無邪気で残酷なのに、過保護なまでに気を回す様はまるで母親のようだ。


まるでちぐはぐなアンバランスさを匂わせる存在、それが映理にとっての法月作楽という少女への認識だった。





映理は二つ折りの財布から真新しい千円札二枚を取り出すと、カウンターの上に置いて作楽の前へと滑らした。


作楽は目線だけでそれを追うと、今度は映理の方を見て首をかしげた。仮にも一店舗の店主としてその振る舞いはいかがなものかと映理は内心で批判しつつ、その真意を話した。


「私、お母さんに2千円持たされて来たのよ。あんたへのお礼に、何か店で買い物してきなさいって」

「……面白い人だね。お母さんに作戦のこと話したんだ」

「事件のことについて質問攻めにされたのよ。それで仕方なく」


映理は当時の様子を思い出し、げんなりとため息をつく。


コンパス事件のことを教師から電話で知らされた後の母親の剣幕は物凄かった。事件当日の昼頃には既に教師が母親へ連絡を入れていたらしく、珍しく映理が家に着くより早く仕事から帰ってきていた母親に、帰宅早々に抱きしめられたのだ。


『ごめんね映理、気付けなくってごめんね……!』


記憶の限りでは初めて見た母親の涙に、映理はすっかり動揺してしまった。


今回の事件のことを、母親に対しては適当に煙に巻くつもりでいたのに、その後やって来た質問の荒波に対し全て正直に答えてしまったのである。その中で、コンパスを取り返す計画を作楽が提案したということも話してしまった。


なぜかそれまで沈痛な面持ちだった母親の顔が、その瞬間にパッと明るくなり、映理に嫌な予感が走った直後だった。


『じゃあ作楽ちゃんは恩人じゃないの! お母さんお礼を言いに行ってくる!』


息まく母親に、それだけは止めてくれと映理が必死に頼み込んだ結果、お礼として万来堂で買い物をするという代案になんとかこぎつけたのである。結局最後まで母親は付いて来たがったが、逃げるようにして映理は今日万来堂に来ていたのだ。


「えー、お母さんに会いたかったな私は」

「絶対無理、恥ずかしくてその場にいられないわそんなの」

「じゃあお母さんだけ来てもらえば」

「何を話されるか分かったもんじゃないでしょ、それじゃ!」

「んもー、お年頃だなあ」


作楽は映理の話をニヤニヤしながら聞いており、それもまた映理の癇に障った。


机に置いた千円札二枚をバンバンと叩き、不満を表すとともに作楽を急かす。


「いいから、さっさと2千円分の商品持ってきなさい!」

「んん?」


映理の発言に不自然な点を見つけた作楽は首をかしげる。


「私が選ぶの? エリリンが買うのに?」

「当たり前でしょ」


映理は目をきつく細め、作楽を睨む。未だに不思議そうにしている目の前の少女に対し舌打ちをしたかと思うと、映理は立ち上がった。


そして、店内のありとあらゆる商品を順に指差していった。


「いらない、いらない、意味が分からない、気持ち悪い、いらない、ゴミにしか見えない、いらない!」

「わー……」


作楽は開いた口が塞がらなかった。


かつてここまで店主の前でその店の商品を貶す客がいただろうか。


買う気が無いならともかく、彼女が携えるのは2千円である。小学生には結構な大金だ。


親から預かったお金とはいえ、今からそれと等価交換しようという品々をそこまで貶めることができるなんて、一体どんな精神構造なのか作楽は疑問だった。


最後に、映理の指差しは作楽へと戻って来た。まさか自分までゴミ扱いされるのかと思い、その指先を見つめながら作楽は身構える。


「どれ買ったってどうせいらない物なんだから、どうせなら在庫処分なり不良品の押し付けなり、あんたの都合のいいもの買い取ってやろうって言うのよ」

「最悪の客かと思ったら最高の客だった!」


指をひっこめた映理が腕を組み、そっぽを向く。薄暗闇の照明に慣れている作楽はその頬が若干赤みを帯びているのを見逃さない。


ふっと笑い作楽が立ち上がる。


「エリリン、この店に在庫とか不良品という概念はないよ。全部がオススメの品で、大売出し中なのさ」

「……あっそ、そりゃあ悪かったわね」

「ふふふ、でもエリリンには分からないのも無理はないからね」


カウンターから出て、店内をツカツカと歩き始めた作楽を映理が視線で追う。商品を次々に指差し確認していくその姿は、先ほどの映理の行為と名称こそ同じだが、その動きの丁寧さや商品を見る目の真剣さは比べるまでもなかった。


商品に対する作楽の思い入れが垣間見えるその挙動を見て、映理は先ほどの罵声をほんの少し反省し始めた。言い過ぎだったかと映理は謝罪の言葉を口にしかける。


だがそれは、突然振り向いた作楽が高らかに放った宣言により打ち消されてしまった。


「作戦成功のお祝いに、最高の品を選んであげるよ!」

「なによ、それ」


映理は思わず笑ってしまった。それでは、今日ここに来た本来の目的と全く逆だ。


だが、瞳を輝かせて商品を吟味する作楽の顔を見ていたら、映理はそれ以上文句を言う気持ちにはならなかった。


きっと法月作楽という少女にとって、客のために商品を見繕うというのはそれ自体が喜びなのだと。そう思うことにしたのである。


「また来店する時までに商品を選んでおく」という作楽の言葉を受けて、映理は2千円札を再び財布にしまい店の出口へと向かった。


別れ際、映理は作楽に聞き忘れていたことを思い出し、店の扉をくぐる直前に振り返る。


視界の先で、相変わらず商品を指差したり、手に持っては唸ったりしている作楽に対し声をかけた。


「そう言えば、あんた何で学校来ないわけ」

「んー?」


こちらを向いた作楽の表情は、店内の薄暗闇に包まれていた。


出口から差し込む光に包まれている映理からは、それが非常に見え辛く映ったのである。

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