第7話:ご利益の代償②

『うーん、ちょっと学校で嫌なことがあってね』


給食後の昼休み。


学級文庫から取って来た本は机に置かれたままで、映理は頬杖を突いて教室の風景を視界に入れていた。


頭では昨日別れ際に聞いた作楽の言葉を思い出している。


記憶の中、映理の方を向く作楽の表情が見えない。声色はいつもと変わらぬあっけらかんとしたものだったと思うが、ひょっとしてその顔色は暗く沈んでいたのではないか。


確認するのが怖くて、そのまま店を出てしまったことに映理は今更になって気を揉んでいた。


『でも、エリリンがいるんだったら学校に戻っても大丈夫かも』


最後の最後に、確かに作楽はそう言っていた。


「……私に何を期待してんのよ」


言われてから今までずっと、映理はその言葉の真意を測りかねていた。毒づく気持ちが、つい独り言となって口から出てしまうほどには、彼女は思い悩んでいたのだ。


「多々良部さんどうしたの?」

「え? いや別に」


目の前の風景を遮るように顔を覗かせてきたのは、先日の事件以来よく話すようになった穂高友莉恵である。


一見大人しめに見えた彼女は、実は結構交友関係が広いようで、色々な人と話をしているのを映理は見かけた。ただ、一人で本を読んで過ごすのも好きで、事件の日はたまたまその瞬間を狙われたということだったようだ。


「あ、それ今日追加されてたやつだよね。私も気になってた」


言われ、自分で取って来た本に映理は改めて目を向けた。その表紙のイラストには、虫眼鏡を持った少年が相棒キャラと思われる妖精のような生物と一緒に黒幕的な影に立ち向かっている様子が描かれている。


なるほど友莉恵が好きそうな絵柄だと、自分で持ってきておきながら映理は他人事のように思った。


映理も多少本を読むが、その好みは友莉恵とだいぶ異なっていることが会話の中で既にはっきりしていた。


友莉恵がファンタジー要素のある話や冒険活劇、探偵ヒーローものを好むのに対し、映理は家族や友人関係がテーマになった現代ドラマ的な話が好きだった。


この映理自身の好みというのも、今まではっきりしていなかったものが友莉恵との対比の中で明確になっていったものでもあるのだが。


映理は本を手に取り、友莉恵へと差し出した。


「……読む?」

「え、いいの? ありがとう!」


嬉々として受け取り、素直にお礼を言う友莉恵。こういうところが誰とでも円滑に人間関係を築けるポイントなのだなと映理は感心する。


友莉恵は受け取った本の表紙を見た後に、映理の方を見た。それを何度も繰り返しては、双方を見比べ始める。


初め何をしているのか分からなかった映理だったが、次第に友莉恵の顔がうっとりとし始めたのを確認すると、その表情をげんなりと曇らせた。


「ああ、また見てみたいなあ。多々良部さんの推理姿!」

「……その話はもういいって」


そう。あの事件以来、何かにつけて友莉恵は映理の推理のことを取り上げては、その当時のプレイバックを始めるのである。


それに対して映理は、気恥ずかしいのもあり、あまり思い出したくない記憶ということもあり、すっかり恐縮してしまっているのだが、それがなかなか友莉恵に伝わらない。……というのも。


「次は絶対私、助手役ね! 多々良部さんのカッコよさを一層引き立ててみせるから!」


瞳を輝かせて鼻息荒く語る友莉恵に対し、もはや映理は何も言うことができずにため息を漏らす。


どうやら彼女はワトソン志望らしく、自分が引き立てるに足るホームズ役をずっと探していたらしい。そしてそのホームズ役を、男子生徒を追い詰める映理に見たのだと。


誰とでも隔てなく接し人脈を広げているのも、いずれワトソンとして調査をする際に役立つようにしているのだと、友莉恵は語っていた。


全く大した熱意だと映理は頭の下がる思いだったが、友莉恵がとんだ見当違いをしてしまっていることを不憫にも思っていた。


友莉恵が感激したというあの作戦は、作楽が立てたものだ。映理ではない。


残念ながら彼女にとってのホームズは学校にはおらず、裏路地のツタの絡んだ白亜塗りの建物の中で今日もへんてこな品々に囲まれているのだ。


「あのさ穂高さん。聞きたいことがあって」


作楽のことについて友莉恵に尋ねたいことがあったのを思い出し、映理は声をかけた。


「あ! あの三人、大石くんの作品触ってる」


しかしタイミング悪く、ちょうど友莉恵は教室後方のとある光景に目を奪われてしまっているところだった。


またしても機を逸してしまったことに一人ため息をつき、映理も友莉恵が見ているのと同じ方向に視線を向けた。


そこにいた男子三人は、後方の教室ロッカーの上に置いてある、先日の図工で作った土粘土作品の一つに集まっていた。よく見れば、表面をなでたりつまんだりしている。


「あんなに触ったら壊れちゃうのに……」


土粘土作品は乾くと固まり、まるで焼いたような仕上がりになるのが特徴だ。そしてその代わり、乾いてからは非常に脆く壊れやすいという性質を持つ。


そのため、担任教師が「ほかの人の作品には絶対触らないように」と警鐘を鳴らしていたのだが、あの男子たちにはそれが聞こえていなかったらしい。


映理は意識せず呟く。


「……何であんなの触りたがるんだろ」


映理は男子の、特に教師やクラスメイトの注意を無視して振舞う姿が理解できなかった。


少し考えれば、その注意の裏には自他の不利益を回避するための理屈が控えていることぐらい分かるはずだ、というのが映理の考えだった。


そして、それが分からない者のためにルールや決まりというものはあるはずなのに、いつだってルールを破るのはその裏の読めない阿呆である。


「あ……でも、触りたくなるのは分かる、かな」

「は?」


当然、友莉恵からも賛同の声が上がると思い込んでいた映理は驚愕した。


つい友莉恵を見る目に批判的なものを込めてしまうのを抑えられず、漏れ出る声も高圧的になってしまった。


「いやその、大石くんの作品凄く上手だし! 尻尾が細くてすべすべで、つい触りたくなる気持ちも分かるっていうか……」

「……」


確かに、トカゲなのか恐竜なのか、とにかく爬虫類的なものを模したその作品は特に尻尾に力が入っていた。


普通であれば細く長く作ることは、乾く際に壊れやすい土粘土ではタブーとされているのだが、大石という男子はそこを絶妙なバランスで仕上げているのだ。実になめらかでムラ一つないその表面が、念入りに粘土を捏ね、造形に気を使ったことを窺わせた。


しかしだからといって、あそこまで群がって、教師の警告を無視してまで触りたいかというと、やはり映理にはどうしても理解できなかった。むしろ、そこまで頑張った力作を壊してしまうリスクを考えたら、なおさら触れないだろうという気さえ起きてくる。


友莉恵の表情を横目で覗き見る。映理の否定的な意思を感じ取っているのか、おどおどしながら瞳を揺らしている様子は何とも痛々しい。


これ以上彼女の言うことを否定したらこちらの罪悪感が刺激されてしまうような、とても上手な表情の作り方に感心する。


映理とて、せっかくできたクラスでまともに話せる相手とこんなことで決別を選ぶほど極端な性格はしていない。


だから、目を閉じてため息を一回。それだけで心の整理はできた。


「そうだね」

「……!」


友莉恵があからさまに表情を明るくし、ほうっと口から吐息を漏らした。とどめには、息をついた拍子にその目尻から小粒の涙がぽろっとこぼれ出る。


「ちょっと」

「あ、あはは……ごめんね」


流石に映理も慌てた。これではまるで自分が泣かせたみたいだ。


きょろきょろ辺りを見回し、誰もこの現場を目撃していないことを悟り一安心する。人脈の広い友莉恵を泣かせたとあっては、翌日から一体どんな噂を流されるか分かったものではない。


映理の心労を知ってか知らずか、調子を取り戻した友莉恵はずいっと映理との距離を詰め、その顔を近づける。


「ねえ多々良部さん! 今日放課後にお互いの本を公園で持ち合わない?」

「えーっと……今日は」


映理はしばし逡巡する。


友莉恵と遊ぶのが嫌ということではない。本を持ち合って読むのも、楽しそうだと思う。


しかし映理は、作楽との約束だけが気がかりだった。


『また来店した時までに、映理が購入するものを選んでおく』


そう作楽は言っていた。


だが、次に映理が来店する日までは決めなかった。


映理は漠然とすぐ次の日……つまりは今日の放課後に行くつもりではあったが、作楽の方までそう考えていたとは限らない。


というか、普通に考えたら二日続けて同じ店に行くという発想の方が少数派のような気さえ映理はしてきていた。


作楽にとっても、商品を選ぶ猶予は多いに越したことはないだろう。 


「うん、大丈夫」

「やった! 何冊持ってくる?」

「そんなには……」


映理は決断し、友莉恵と放課後の予定について話を進めていく。


その判断は一見合理的で、何の瑕疵も認められないもののように思えた。


だがその裏には「一旦作楽との距離をとっておきたい」という独りよがりな理屈が隠れていることに、映理自身ですら気づいてはいなかったのだ。





翌日。


一時間目の教室の中は、朝方の閑静さとも合わさって非常に重々しい沈黙に包まれていた。


クラスメイトは皆俯いているか、教師の方を見ているかそっぽを向いているかで、常日頃の、暇さえあれば近くの人とおしゃべりをしてざわついている教室の雰囲気が今は見る影もない。


同じく先ほどから全く喋らない教師が手を置く教卓の上には、昨日までロッカーの上にあった大石という男子生徒の粘土作品が置かれていた。


尻尾がその根元からぽっきりと折れてしまっているという、何とも痛ましい変貌を遂げて。


沈黙を打ち破り、ここでようやく教師が話を始めた。


「今朝方、大石自身から訴えがあった。朝登校して自分の作品を見たら、もう壊れていたと」


恐れていた事態が起きてしまったのである。

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