第8話:ご利益の代償③

担任は続けて状況を説明した。


大石という男子生徒からは、昨日の給食前に確認した時にはまだ折れていなかったという報告があったそうだ。つまり犯行は、昨日の給食後から今日の朝までに行われたということになる。


生徒たちは皆黙って話を聞いていた。そしてその中には身を震わせ、怯えている様子の生徒すらいた。


確実に次の瞬間には教師の怒号が飛ぶと皆予見していたからだ。


今回のような、事前に警告していたにもかかわらずトラブルが発生した場合、この担任教師はまず全員に向かって「言っておいただろうが」と怒りをぶつけるのが常だった。連帯責任とまではいかないが、クラスの問題はクラス全員に関係があるという考えがその根底にあるからだ。


しかし以外過ぎるほどに、語りだした教師の口調は穏やかなものだった。


「……大石は、目撃情報を求めている。誰か、何か見たものはいるか?」


皆が顔を上げた。これまでに無かったパターンに生徒同士顔を見合わせる。


教師の異変にクラス中が混乱に包まれながらも、さらに教室内の異常事態は続いていた。


今度は、誰も目撃情報に名乗りを上げないのである。全員が顔を見合わせてけん制し合うだけで、誰も手を挙げないし、頑なに口を噤んでいる。


その状況に一番驚いていたのが、他ならぬ映理だった。


映理の目線で最も不自然な行動をとっている生徒の方を見る。丁度こちらを向いている友莉恵と目が合った。


何とか目線で自身の心境を伝えようと、映理は表情を厳しくした。


――何で昨日のことを言おうとしない!?


友莉恵は見ていたはずなのだ。犯行があったと思われる給食後の休み時間に、三人の男子生徒が例の粘土作品に触っているところを。


映理も一緒に見て、それについて会話まで交わしたのだから忘れようがない。


映理は初め、友莉恵が言い出してくれるものだと思って様子をうかがっていたのだ。というよりそもそも、三人の男子はかなり堂々と触っていたし、自分たち以外にも目撃者はごまんといると予想していた。


しかし結果はこの一同沈黙である。映理はもう、自分だけが別世界にでも迷い込んでしまったかのような気分だった。


未だ目線のあっている友莉恵が、ふるふると首を振った。


それは「言ってはダメだ」という意思表示だろうか。


映理は必死で、その内情を探ろうと考えた。何か友莉恵の側にも事情があるのかもしれないと精いっぱい慮った。


考えた結果、唯一絞り出した予想は、友莉恵の男子生徒達への同情心である。友莉恵は「触りたくなる気持ちも分かる」と言っていた。それ故に、彼らを庇おうとして発言を控えているという可能性だ。


――それじゃあ、被害者の気持ちはどうなるのよ!?


映理は自分の想像とはいえ、あまりに公平性に欠けたその同情心に怒りすら覚えてしまう。


それ故に、映理は友莉恵へと首を振った。そして、彼女の反応を待たずにその手を挙げた。


全員の視線が、高く掲げられた映理の右手へと向けられた。


「……多々良部どうした」


指名する教師の表情は固い。


つい先日このクラスで起きた騒動も、全ては映理が振り上げた手のひらから始まった。その再来を予見してしまうのは無理のないことで、それは教師だけに限ったことではない。


映理は立ち上がり、教室の男子を次々と指さして行った。


「その人と、その人とその人が、昨日の昼休みに大石くんの作品を触っているのを見ました」

「……っ!」

「げぇ……」

「ちょ、ちょい……」


指された男子生徒は三者三様の態度を見せつつも、皆驚愕に目を見開き映理に視線を向けた。その視線に対し映理は、眼鏡越しに覗く一片の曇りもない強いまなざしで応える。


自ずと男子生徒たちは、特に苦情を言うことも無く気まずそうに顔を逸らした。


この時点で、映理目線から見た彼らの有罪は確定である。


「多々良部、本当なのか」

「はい。穂高さんも一緒に見てたので」


映理が名前を挙げたことにより、クラスの注目が今度は友莉恵へと集中する。いつの間にか俯いていた友莉恵は肩をびくりと揺らし、こわごわ教師の方へと顔を向けた。


「穂高、そうなのか」

「え……え……あの、その……」


友莉恵の歯切れは悪かった。


映理は今度こそ、友莉恵へと非難の視線を向けた。この期に及んで加害者を庇うかのようなその態度が、彼女には心底気に食わなかった。


様子を窺うようにこちらを向いた友莉恵と目が合う。もはや自分に枷を外してしまった映理の強烈な睨みつけに、友莉恵は顔色を一気に青ざめて顔を逸らした。


その振る舞いが、先ほど映理が指した三人の動きと寸分違うことなく重なり、映理は一瞬違和感を覚える。


なぜ友莉恵とあの三人の態度がこれほどまでに重なるのだろうか。


しかしそんな微かな違和感は、次の瞬間には霞のごとく感触を無くして霧散していく。


結局煮え切らない友莉恵の態度にしびれを切らした教師は、返事を聞くことなく三人を廊下へと連れ出していった。


「しばらく静かに待つように」


教師がドアを締め切る音が教室に響き渡る。普段であれば、そんな忠告などまるでなかったようにすぐさま皆お喋りをし始めるものなのだが、今日に限ってそれはない。


皆はそろって押し黙り、座ったまま動かない。まるで時が止まってしまったかのようだ。


唯一、廊下からぼそぼそと聞こえてくる教師と三人の話し声だけが時間の経過を感じさせてくれた。


映理は耳を澄まし、何とかその内容を聞き取ろうとするが、断片的にしか聞き取ることができない。


「お前達……にやった…………いないか」

「……と……………あと……です」

「……も…………した」


何のことだか分かりやしない。


しかしその声色から伝わってくることは、教師の口ぶりが説教をしている時のような強く、一方的なものでは決してないということだ。


それよりはむしろ話を聞いているような……テレビで見た、一般人に事情聴取をする刑事の話し方を映理は想起した。


やがて話し声がやみ、大げさに音を立てて扉が開く。ため息をつきながら顔を覗かせた教師に続き、三人の男子生徒も教室へと戻って来た。


面々の表情は一様に重々しい。とても問題が解決したような顔色には見えず、映理の心臓が不安で震えた。


まさか、自分の証言が間違ってたのだろうか、と。


しかし、映理は確かにこの目で見た。まだこの学校に転校してきて一か月とそこらで、名前と顔が一致しないクラスメイトがまだ何人かいるとはいえ、流石に間違えようがない。


それに、指名された時の彼らの反応は、間違いなく疚しいところがある者の反応だった。もし身に覚えがないのであれば、否定すればいいだけなのだから。


相手は映理一人、反論するのは容易のはずだ。……友莉恵が証言してくれなかったおかげで。


三人が席に着いたのを確認してから、教師が開口一番に言った。


「……三人は確かに大石の作品を触ったそうだ」


映理の気分は一気に落ち着きを取りもどした。やはり、自分が見たのは間違いではなかったのだ。


だが、次に教師が放った一言は、映理の心の潮を引かせるどころか、一気にどん底まで叩き落して再び困惑させるに十分なものだったのである。


「だが、三人の話を聞くと……もう少し事情を調べる必要がありそうだ。大石には悪いが、もう少し待っていてもらいたい」


映理には教師の言葉の意味が分からなかった。


事情。


事情ってなんだ。まさか担任教師まで……このクラスの秩序を守るために存在しているはずの大人まで、加害者側の肩を持つとでも言うのだろうか。


映理の心はすっかり冷え込んでいた。そんな中、教師がゆっくりと映理の方を向いたものだから、その体は一層の緊張を帯びる。


担任教師の口から放たれた一言は、彼女の頭を急激に熱くさせた。


「多々良部……お前は二時間目の休み時間に職員室に来い」


映理を見る教師の目は、まるで厄介者でも見るかのように苦々しいものだった。


同時にクラス中の視線が映理に向けられる。


……これは一体どういうことなのだろうか。


映理にはもう、向けられている視線一つ一つがどのような意思を込められているのか考えている余裕もなかった。だから、ただ漠然と、今この瞬間自分という存在は疎んじられているのだと思ってしまった。


そう感じた瞬間、映理の精神はもう限界を超えてしまっていたのである。




一時間目の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。教室にいる生徒たちの動きは鈍かったが、皆だんだんと席を立ち始めると、それぞれが三々五々に教室から姿を消していった。


そして最後に、呆然と立ち尽くす映理と友莉恵だけが残る。


「あ、あのね映理ちゃん私」


弱り切ったような表情で、友莉恵は恐る恐る近づいて来た。


「来ないで」

「え……」


だが、映理からの拒絶によりその足が止まる。


短く、強い言葉だった。


キッと鋭い目つきで、映理は友莉恵の方を向いた。その口は堅く結ばれ、目じりには薄っすらと涙が浮かんでいる。


ひたすら強い言葉とともに、その口が開かれた。


「何が助手役よ。あなたなんて、正義の味方になんか絶対になれない!」

「ご、ごめんなさい……ごめんなさいっ」


映理の糾弾を受けて、友莉恵の涙腺も決壊した。


ぶわっと涙をあふれさせ、ただ謝罪の言葉を言うだけになってしまった友莉恵のことを、もう映理は見ていられなかった。


最低限の荷物だけをまとめて教室を飛び出す。


「あ……映理ちゃん!」


もう限界だった。意味の分からない行動、意味の分からない事件、意味の分からない教師、意味の分からない友人。


友人、だったのだろうか。もうそれすら覚束ない。


階段を降り、靴を履き替え、早歩きで校門へと向かう。近づく。迫る。


休み時間の喧騒に包まれた校庭の横を一人、ランドセルを背負った場違いな少女が歩いていても、誰一人声をかけたりはしなかった。


門は閉まっていた。だが鍵がかかっている訳ではない。ごく簡単なつっかえを外し、スライド式の重たい門を通るのに必要な分だけ開ける。門を過ぎ、開けた時とは逆の工程を門の隙間から手を伸ばして済ました。


そうしてあっさりと映理の脱出劇は完了してしまった。


学校という敷地から出ただけで映理の気持ちの整理が付くわけではない。勢いのまま出てきてしまった映理は、この先どうするのか、どこへ行くのかまで全くの未定だ。


とにかく学校から離れようと、映理は前を見た。


「……エリリン、どしたの?」

「…………あんたこそ、何してんのよ」


そこにいたのは、よく見知った短髪の少女だった。いつもと違っているところといえば、店名のついた前掛けをしていないということぐらいだ。


だが、普段会っている場所とは全く異なる場所というだけで、まるで別人のように雰囲気まで違って見えるのが映理には不思議だった。


作楽はその手に持つ黒無地の手提げを掲げると、不満そうに唇を尖らせた。


「エリリンが約束破って来ないから、万来堂出張サービスが開幕しちゃったよ!」

「行く日は、決めてなかった……っ」

「あれ、そだっけ? ……エリリン?」


万来堂で幾度となく交わしたとりとめのない会話。


それがどうしてこんなにも胸を打つのか、映理には分からなかった。


次から次に出てこようとする涙を押さえつけるため、映理は俯き作楽から顔を隠す。


がしかし、下を向いた方が余計涙が出やすいことに気付くとすぐに空を見上げた。


「あんた、学校来るの嫌なんじゃ、なかったの」


感情を誤魔化すため、映理は意地で会話を続ける。そうすると、本当に聞きたいことが素直にも一番目に口から出る。


「私なんかじゃあ、あんたの助けになんか、なれないわよ……っ」


余計な本心まで映理の口からは漏れ出始める。それでも映理は口を閉ざさなかった。


「……私、学校が嫌だなんて言ったっけ」

「言ったわよ、あんた脳みそ餡子でできてんの」

「餡子じゃ電気信号流れないよ! 記憶するどころか手足すら動かせないよ!」


映理の軽口に対し、作楽が憤慨しつつ丹念に言葉を重ねる。


今だけは、このどうしようもなく不毛な会話に身を投げ出していたい気分だったのだ。

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