法月作楽の万来堂雑貨店
貴志
第1話:消えたコンパス①
彼女はイライラしていた。この町のことが嫌いになり始めていた。
ただコンパスを買いに町にでただけである。だというのに、彼女はもう小一時間は外をさまよっていた。
コンビニもスーパーも本屋も、品切れ中か元々おいてないかの違いはあれど、ことごとく彼女の期待を裏切った。
とうとう店のめぼしもつかなくなり、普段あまり通らないような道をあてどなく進んでいた。
「ハァ、何で私が、こんな目に……それもこれも!」
もう何度も頭の中で反芻した「あの事件」のことが思い出され、歯を食いしばる。やり場のない怒りを少しでも放出しようと、『ダンッ』と大きく地面を踏みつけた。つけているメガネが大きくゆれ、視界にズレたフレームの影が重なる。
その視界が更にくぐもり、目の奥が熱くなる。感情の渦は次から次に彼女の内から沸き起こり、わなわなと腕が震え、彼女は立ち尽くすしかなかった。
――チリン、チリン
いつまでそうしていたのか、ふいに聞こえてきた甲高い金属音でハッとした彼女は顔を上げ、音の鳴った方を向く。
そこにはこじんまりとした、それなりに年季の入っていそうな建物があった。柱にはツタが絡まり、元々は白亜の建物であったのだろう壁面は所々黒く染みついている。
入り口の前には先ほどの音の出元である金属製の風鈴をはじめ、様々な飾りや小物が飾られており雑然としている。
看板には木に掘られた文字で大きく「万来堂」と書かれていた。
「……雑貨屋?」
眉をしかめ、彼女は呟く。
もしかしたら、コンパスが売っているかもしれない。店構えの異様さに身構えつつも、ここまで来たら、全ての可能性にあたって見るべきだと考えた彼女は、恐る恐る店内へと入っていった。
店の中は、いくつもの背高の棚が雑然と立ち並び、まるで迷路のようになっていた。棚にはいくつもの商品が所狭しと詰め込まれており、時計の横に人形が合ったり、本棚の端に衣類がハンガーでかけてあったりと、何の規則性も感じられないそれらを目端で流しながら歩く。
人が二人ようやくすれ違えるほどの道幅を遅々として進んでいるだけでは、なかなか店内の全容を掴むことが出来ない。
いつ終わるとも分からない道のりをあてどなくさまよっていると、まるでもう時間が無限に進んでしまったかのような、はたまた店に入って少しも経っていないような、不思議な前後不覚に陥るのだった。
店に入った当初の目的も忘れ、BGMも何もない無音の店内をうろついていると、視界の端に煌めく何かを捉え彼女は立ち止まる。
「……何これ、趣味わる」
それは、無色透明な水晶によって形作られた人の頭蓋骨……いわゆる髑髏だった。手のひらサイズで、細部に至るまでよく研磨されているのであろうそれは、店内のおぼろげな照明の中にあってなお、怪しく煌めいている。
内心で嫌悪感を抱きつつも、手に取り眺めてしまうのはその不思議な魔性のためか。照明に透かして見ると、光が髑髏の中でいくつも反射し、まるで目の部分から光が飛び出しているように見える。外面だけでなく、中身にまで細かい細工が施されていることがよく分かった。
「作った奴は頭おかしいわね」
「ホントにねぇ、一体何を考えて作ったんだか」
自分以外の人の声がして、彼女はギョッとして横を見た。
自分の目線より少し下にある、上目遣いの丸い瞳と目が合う。そこには、少年のような短髪をして、店の看板と同じ書体の前掛けをした少女が立っていた。
持っているはたきを肩に担ぎ、ふすっと一つ息をついた少女は、その幼い指で髑髏をさして語りだす。
「それはね、『水晶髑髏』。超古代文明の遺物と『言われていた』やつだね。なんか最近になって、ごく新しい加工品だったことが証明されたとか……まあ、それはレプリカなんだけど」
語りながら、視線は正面から外さずに、まるで様子を窺うような上目遣いのまま少女は首を傾げた。
「買う? それ、結構高いけど……ああ、あといらっしゃい。ようこそ万来堂へ」
半身になり、店内のさらに奥へと誘うように手を指し示す少女。店の奥は薄暗く、行ったら二度と戻って来れないかのような異様な雰囲気に、彼女は息をのんだ。
「店主代理の
差し出された手のひらを、おずおずと握り返す。
少女の乾いた肌の質感と、その柔らかさが何ともアンバランスで、汗でしめっている自分の手とはずいぶん対照的だなと、場違いな感想を彼女は抱いていた。
「……なるほど。エリリンはコンパスをご所望と」
「あのさ、それやめてほしいんだけど」
彼女は――
店の奥、バーのカウンターのような仕切りを挟んで、御大層なひじ掛けのついた椅子に座る店主代理の少女――作楽と向かい合いながら、深くため息をつく。
「何で? 可愛くない?」とまるで悪びれずに椅子でくるくると回る少女の奔放さに、映理は耐え切れずカウンターをバンッと叩く。
「可愛いかどうかじゃない、失礼かどうかだっ!!」
「ビッ……くりしたぁ」
「初対面の相手をあだ名でよぶな!!」
「コンパスだったら、確かあっちの方に……」
必死の叫びも虚しく、作楽はそそくさとカウンターを出て、店の奥へと隠れていってしまう。まさしくのれんに腕押しであり、映理はガクリとカウンターに倒れ伏し、これまでの人間関係がいかに秩序に守られたものだったのかを振り返っていた。
映理は転勤族だった。その土地に慣れるが早いか、住む場所がまた変わり、人間関係が構築されてはまたリセットされを繰り返してきた。そのため、映理はこれまで、深い人間関係を築いたことがなく、そのうちに周りとは当たり障りのない距離感を保つ癖がついてしまっていたのである。
自分から話しかけることは滅多にないが、話しかけられればそれなりに応対はする。そうして、集団で孤立することはないが、中心になったり、目立ったりすることもない。それが映理の処世術だった。
そういう事情で、この町に引っ越してきてからまだ一ヶ月も経っていないが、映理なりには今まで通り上手くやってきたつもりだった。
今日コンパスを買いに来た原因でもある「あの事件」が起きるまでは……。
「あった、あった! ……エリリン、どしたの?」
「何でもないわ、さくら餅」
またしても不名誉なあだ名で呼ばれ、映理はスッと顔を上げる。
嫌な記憶を思い返したことで、またイライラし始めた心を鎮めるため、あだ名で呼び返すという些細な仕返しを試みた。
作楽は一瞬動作を止めて映理を見たが、「何それおいしそう」と一言だけ触れると、さっさとカウンター内に戻ってしまう。
相手の反応が全く期待したようなものではなかったことに、自信の試みが失敗に終わったことを察し、映理は舌打ちをする。
それを全く気にしていないように、作楽は手に抱えてきたものをカウンターに置くと、どうだと言わんばかりに手を広げ映理に見せつけた。
「ちょっと古いけど、質は抜群だよ!」
「デカッ!!」
映理が叫びたくなるのも無理はなく、出されたコンパスは鋼鉄製の、長さ30センチ以上はあろうかという明らかに業務用のものだった。
「こんなの筆箱に入るか!」
「でもこれ、直径150センチの円がかける優れもので……」
「ノートどころか机からはみ出るわ!!」
次から次に飛び出す作楽のズレた発言に、映理は内心のイライラをそのままぶつけるようにツッコんでいく。
普段あまり叫び声を出すことなどない映理は疲れ果て、肩で荒く呼吸をする。
目の前で疲れ果てている少女のことを、作楽は唖然として眺めた。
「……エリリンはおもしろいなぁー。特別に三千円でいいよ」
「買わないって……高いし」
呆れたように息を吐き、映理はカウンター近くの丸椅子に腰かける。
放心したようにその身を投げ出している少女のことを、作楽はつぶさに観察する。
眼鏡越しに除く切れ長の瞳は、深く長いまつ毛と二重瞼で彩られ、レンズにさえぎられてなおその端正さを主張していた。顔の造作も全体的に整っており、肩口まですらりと下ろされた亜麻色の髪と言い、大人しめながら色合いや雰囲気の統一されたコーディネートと言い、多々良部映理は美少女と言って何ら差支えのない風貌をしている。
そんな雰囲気の少女が、こんな町の端の雑貨屋で一人、コンパスを求めて疲れ果てている姿は、作楽にとって何とも違和感のある光景だった。
「……そもそもさ、どうしてうちなんかにコンパス買いにきたの?」
「この町じゃ他にどこも置いてなかったのよ」
「お母さんとかに言って、買ってきてもらえばいいじゃん。あと、ネット通販とか」
「うるさいわね!!」
『ダンッ』と大きな音が響き、作楽はビクリと体を震わせる。イライラが頂点に達した映理が、床を乱暴に踏みつけた音だった。
作楽が驚き、目を丸くして映理を見る。そっぽを向いて唇を固く結んでいるその目元が、うっすらと滲んでいた。
「ネットなんて駄目よ……親に相談なんか、絶対できない」
「……できない?」
作楽が再び問いかけ、映理をじっと見る。
映理も逸らしていた視線を前に戻し、作楽に正面から向き直った。
二人が見つめ合い、無言の時間が流れる。それはまるで、お互いがお互いの瞳の奥に隠されているものを探り合うような時間だった。
先に目をそらしたのは映理だった。瞳からとうとう涙がこぼれ、それにつられるように首が落ち、その場に項垂れてしまう。
「できない……したくない。私が、私がこんな……!」
「どうやら、尋常でない事情がありそうだね」
作楽が立ち上がり、カウンターから出て映理の正面へと立つ。涙で濡れた顔を上げた映理の前へと、手を差し伸べた。
どうしていいか分からず、伸ばされた手を呆然と眺める映理へと、作楽は不敵な笑みを浮かべた。
「話を聞かせてよ。コンパスはただであげられないけど、相談料は一円もいらないからさ」
映理の目が大きく見開かれる。その視線が、何回か作楽の手と顔とを行き来する。
そうして映理は決心した。そもそも、この店に入ろうと決めた時から、彼女は既に覚悟はしていたのだ。
当たれる可能性は全て試してみるのだと。
「あのコンパスは、ただでもいらないけどね」
映理は涙をぬぐい、作楽の表情に負けないくらい強気な笑みを浮かべる。
差し出された手をしっかりと握る。彼女にとってその手は、どこまでも未知数な可能性だった。
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