第22話:呪いと占い⑥+エピローグ

その女子生徒は廊下の隅っこにある階段の踊り場で、先ほどからしつこく詰め寄ってくる相手への扱いに四苦八苦していた。


「ねえーいい加減に占ってほしいんだけど。順番どおりでいえば、すぐ次が私だったんだからねー?」

「だから、駄目なんだって」


努めて笑顔で、相手に不信感を与えないように穏やかな態度で、もう何度言ったか分からない言葉を彼女は言い放つ。


「瑠架今スランプなの。占いへの気持ちが落ち込んじゃってて、今は誰も受け付けてないから」

「えー……。あーあ、つまんないのー」


朝の時間からしつこかったその相手は、ようやく観念したのか頭の後ろで両手を組みながら階段を下りて行った。


全く、いつになったらこの相談の波が止むのだろうか。最初はすぐに潰えるかと思っていた相談者の声は、まだまだ止む気配を見せない。


それまでずっとこんな風に断り続けて、それで休み時間が消費されてしまうのだろうか。自分が始めたこととはいえ、彼女はぞっとする思いだった。


大きくため息をつき、自分の教室へ戻るため女子生徒は階段の上階の方を向く。


「瑠架……!?」

「……」


一体いつからそこに立っていたのか。階段の手すり越しにこちらを覗く園宮瑠架の姿を見て、女子生徒は息が止まる思いだった。


女子生徒……菱田花音にとって、最も見られたくない相手にその現場を目撃されたことに、彼女は内心で激しく動揺していたのである。





「いやあ、そのさ……いつまでも占いの相談ばっかりで瑠架も疲れてると思って」

「……」

「黙っててごめん! でも、瑠架のためだと思ってやったことなの……っ」


花音はいつも瑠架に向けている、少しとぼけているような人好きのする笑みでつらつらと言葉を綴った。その態度はごく自然で、もし今回の現場を偶然見ただけだったら、きっと瑠架は多少疑問には思いつつも花音の言うことを信じてしまっていたことだろう。


だが、全てを知ってしまった今となっては、その自然な笑みはむしろ瑠架の目にはひたすら不気味に映った。


人は、こんなにも堂々と善人の面をして人を欺けるものなのだ、と。


「ねえ花音、どうして嘘をついたの」

「へ? いや、だからそれは瑠架のために」

「そうじゃない!!」


地面をダンッと踏みつけると、瑠架が思っていたよりも大きな音が鳴り階段中に響き渡った。


瑠架の行動がよっぽど意外だったのか、花音が笑顔の仮面をかぶるのも忘れて大きく目を見開いている。


瑠架自身も、自分がこんなにも怒りに身を任すことができてしまうとは思っていなかった。


だがしかし、瑠架は悔しかったのだ。


自分が騙されていたことに。騙せてしまえると思われていたことに。


そしてそのことに、今日まで気付かず呑気に花音のことを盲信してしまっていた自分自身に。


「私、これまで占ってきた子たちに会ってきたの。それで、占った後その子たちがどうなったのかを聞いた」


家族仲を相談しに来た子は、瑠架の占い通りしばらく両親の喧嘩に口を出すことなく我慢した。結果、両親の方から彼女の意見を求めてきて、自分の思いを打ち明けた結果両親の仲直りへと繋がった。


将来の夢について相談しに来た子は、友達と話しているうちに同じようにミュージシャン志望の子をたくさん見つけ、友達同士でバンドを組んだ。友達と楽しく音楽活動をしている間に、将来のことは一旦置いておいて今を楽しめるようになった。


失せ物探しを相談しに来た子は、たまたま棚の隅に入り込んでしまったお菓子の欠片を、何の気なしに追いかけて棚をどかしてみたところ、棚の裏側にはみ出してしまっていた手紙を発見した。


皆それぞれが、瑠架にずっとお礼を伝えたかったと再会を喜んでくれた。「なぜ直接会いに来てくれなかったのか」と尋ねたところ、全員が口をそろえて言ったのだ。


「花音に、瑠架はあまり人付き合いが得意じゃないからお礼は控えてくれと言われた」と。


「ねえ、花音」

「……あちゃー」


そっぽを向き、花音が頭を掻いた。思えば彼女は、こちらを見ずに話をすることが多かったように瑠架は今更ながら思った。


顔を見られたくなかったのはなぜか。今の瑠架であれば、その理由はいくらでも想像することができた。


「何でこんなことしたの。私、花音に何かした!?」

「……分かんないの? 流石は『瑠架先生』だね」


花音が逸らした顔を元に戻し、真っ直ぐに瑠架を見た。


その表情は、今まで瑠架が見たことのないものだった。笑っているようで、こちらを馬鹿にしているようで、悲しんでいるような。


「内気で、陰気で、こんなに分かりやすく騙されても全然気づかない……おまけに占いかじってまだ一年も経ってないようなニワカのアンタに、どうして皆占ってもらいたがる訳!? ほんっっっっっと! 意味分かんない!!」


花音は泣いていた。


涙は流れていないかもしれない。それでも確かに、泣いていた。


自分から顔を逸らしていた時、その向こう側で花音はずっとこんな表情を浮かべていたのだろうか。


瑠架の心はまたもいらだちを募らせた。


ずっと自分に本当の顔を隠していた親友に対し、そしてそれに全く気付けなかった愚かな自分に。両方への怒りを心でぶつけ合い、更に増長させて、その目をキッと鋭く細める。


瑠架は生まれて初めて、他人を睨みたくなったのである。


「どうせアンタなんか、自分から人に話しかけられる訳ないから、うまくいくと思ったんだけどね。凄いじゃん、これでもう本当に私はお払い箱ってわけ!」

「花音!!」

「なによ」


細長く引き結ばれた瑠架の目から、涙がポロリとこぼれた。


「謝って!!」


目の奥も、頭も、体中がとにかく熱い。瑠架にはもう、花音がどんな顔を浮かべているのかも分からなかった。


他人のこと何てもう考えられない。とにかく、自分のしたいようにしたい。


だから瑠架は、手足をググっと踏ん張って、もう一度表情を作って花音を睨みつけた。


「私だって頑張ってる! 毎日占いの勉強して、うまく話せるようにイメトレして、何回も自分を占って! 花音に馬鹿にされる筋合いなんてない!!」


鋭く向けられる視線、大きな声、強い言葉。そのどれもが花音の中の瑠架のイメージからは意外過ぎて、どうしても気圧されてしまう。


それでも、もう花音だって後には引けなかった。


自分は親友を裏切ったのだ。誰よりも一緒に占いについて話して、一番お互いを理解していて、……そして自分の占いを誰よりも喜んでくれた相手を。


もう今更、元の関係になど戻れないのならばいっそ粉々に。


花音は地面を思いっきり蹴って、顔を突き出した。


「はああ!? そんなの私だってしてるし! ていうかあんたなんか顔で得してるだけじゃん。道具だって良いのばっか使って……あんたは恵まれてるのに気づいてないんだよ!!」

「道具が凄く見えるのは、使う人が凄いからなのよ!!」

「意味わかんないこと言うな!!」

「分かんないのは花音が馬鹿だからでしょ!」

「は!? 瑠架のが馬鹿でしょ、中間テスト何位だったっけ!!」


二人はいつまでも叫び続けた。


二人の周りに野次馬が集まってきて、教師が駆け付け静止を呼びかけても、なお叫び続けた。


最後には、もう誰も二人を止めるものはいなくなった。


周りの目には、もうどこからどう見た所で「友達二人が、しょうもないことで言い合いをしている」ようにしか、二人の様子は映らなかったのだ。





「そういえばさあ、瑠架聞いた?」

「ん……何を?」


瑠架は手元のタロットカードをいじくりながら、最近クラスで話すようになった女子生徒の言うことに耳を傾けた。


「あの凄くイケメンで人気だった先輩、実はオタクだったんだってー」

「え、あの先輩が?」


瑠架は思わず手を止めて顔を上げた。その反応が欲しかったのか、女子生徒は得意げに笑みを浮かべると、話を続けた。


「そうそう。何かカードゲームの大会に出てさ、カードをリストバンドの中に隠し持っていたのがバレてその店出禁食らったんだって! ダサいよねー!」

「そうだったんだ……っ。だ、ダサすぎだねそれー!!」


「ヤバいヤバい」と女子生徒に調子を合わせながら、瑠架は口端を一生懸命に持ち上げた。


あの日、自分から勇気を出して他人に声をかけて、瑠架には気付いたことがあった。


それは、他人は思ったよりもあっさり自分を受け入れてくれるということ。そしてその心の内は、態度や顔色、瞳の奥をのぞき込むだけで結構分かってしまうということだ。


これは、自分にだけある才能なのではと、瑠架は薄々感じ始めていた。


相手が何を求めて、自分にどんな態度を取ってほしいかを読み取ってしまえば、その通り振舞うのはそんなに難しくない。そうしているうちに、クラスの中で話せる相手がどんどん増えて来た。


もう他人を占うことはしなくなっていた。そんなことをしなくても、他人と円滑に交流を深めることは瑠架にとって難しいことではなくなってしまったからだ。


それでも、時々ふと思い出したように自分を占うことがある。


そうしないと自分を見失ってしまいそうになるから。


他人に合わせることは簡単になったけど、その分自分がどんな人間だったのかがどんどん希薄になってきているのを瑠架は感じていた。


もっとありのままで接することができる人がいたら……そう思うから、人は皆親友という存在を求めるのだろう。


瑠架にもかつては親友がいた。


……いると思っていた。


だけど、結局はそれも幻想だったのだろう。だって、ありのままでいることができたのは自分だけで、親友だと思っていた相手はその醜い内情を包み隠して、無理して自分と接していたのだから。


片側からだけの一方通行では、親友というものは成立しないのだ。


「あ、来た。じゃあ瑠架、また後でねー」

「うん。じゃあね」


他クラスの女子生徒が扉の前で立っていた。今まで仲良く話をしていた相手も、自分以外に仲のいい人はいて、そして自分にも彼女の他に仲のいい相手はいる。当たり前の話だ。


でも、そんな時少し心に風が吹くのはなぜだろうか。




空になった自分の前の席に、またもう一人誰かが来てそこに座る。


今度はこの子に合わせて話せばいいのか。


瑠架はその相手の顔色を確認しようと顔を上げる。


そして、その姿勢のまま固まった。


「ねえ、占ってほしいんだけど……」


――生憎、もう他人を占うことはやっていない。


返事をしようとして、そう言えば一人例外がいてもよかったことを思い出した。


自分に占いを教えてくれた人。たくさん話をして、お互いを占ったり、それについて文句を言ったり、お互いの一番ありのままに近いものをぶつけ合った相手。


その人だったら、自分の心に吹く風を止めてくれるのだろうか。はたまた、寂しがる余裕などないほどに、暴風を吹かせてくれるのだろうか。


「し、親友と仲直りしたくて……どうしたらいいんだろう」


目の前に広がる未知の可能性に、瑠架はニコリとほほ笑んだ。


「教えてくれる? 瑠架」

「いいよ。花音!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

法月作楽の万来堂雑貨店 貴志 @isikawa334

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ