第14話:すり替わったポイ捨て③

「ずいぶん話とは違うじゃない」


現場の公園に訪れた映理の目に最初に留まったのは、ゴミ一つ落ちていない綺麗な地面、ベンチや遊具だった。聞いた情報とは異なるその様子に、疑わし気な視線が加奈に向けられる。


加奈は、「心外だ」との内心を示さんばかりにその目を細め、映理を睨み返す。


「昨日地域の人たちが掃除してったって、先生の話聞いてなかったんかよ」

「んん……?」


加奈の言葉に信用の置けない映理は、確認の意を込めて友莉恵の顔色を伺った。視線で問われた友莉恵は、気を遣うようなあいまいな笑顔で答えた。


「言ってたよ。映理ちゃんにはちょっと聞こえてなかったかもしれないけど……」

「エリリンはその話の時、鉛筆をバラバラにするのに夢中だったからねー」

「ほ、法月さん……っ」


わざとはっきりとは言わずに、映理の名誉を傷つけまいとした友莉恵の努力が、あっさりと真相を暴露した作楽によって水泡に帰す。


当時の様子が思い返されるのか、作楽は映理の顔をちらちら見ながらクツクツと笑い声を押し殺した。


「怒った先生が目の前に立ってるのに、エリリン全く気付かずに、鉛筆の先っぽから芯をスポスポスポスポ……ブフスーッ!」

「あんったは、本当にムカつくわね!!」


わなわなと腕を震わせながら、映理は作楽の胸元を掴む。それでもお構いなしに作楽は口から空気を漏れ出させ、笑うのをやめなかった。


話を聞き届けた加奈がポツリと呟く。


「何それ、あたしより不良じゃん。ダサ」

「なっ!?」


ゴミを平気でポイ捨てするような奴に、不良扱いされた上に貶められた。


映理の頭の中で何かが切れた。


叫ぶ。


「あああああああああああ!! あんたら、全員許さん!!」

「え、映理ちゃん私も!?」


平日の午後、人もまばらな公園で突然の鬼ごっこが勃発した。


鬼は怒りに我を忘れた映理だ。


逃げ惑う子供たちの声がこだまする。近隣住民たちの目にはきっと、それが楽しそうに戯れる友人同士の姿に映っていたことだろう。




「……何しに来たか、忘れた訳じゃないわよね」


ベンチに腰掛けながら上半身だけを横に寝そべらせ、眼鏡のフレームのずれた映理がぐったりとつぶやく。


「て、テメエがっ……ハア、急に追いかけ回すからだろぉ」


そのすぐ横で息を切らしながら、ベンチに両手をおいて項垂れる加奈。


「あー……死にそう」

「私、何もしてないのに……」


ベンチの裏手、芝生部分に倒れているのが作楽と友莉恵だ。作楽は、普段の運動不足がたたっているのか顔を真っ青にしており、友莉恵は涙目になりながら遠い目を虚空へと向けていた。


既に時刻は午後3時を回っており、公園にはいつの間にか子供が集まり始めていた。ブランコ、ジャングルジム、滑り台、球体上のくるくる回るよく分からないやつ……どの遊具にも人がいて、それぞれが思い思いの時を過ごしている。


よく観察すると、所謂「3時のおやつ」の時間帯でもあるためか、お菓子の袋を持っている子供も多数いる。一人で駄菓子を食べたり、友達同士で袋のお菓子を分け合ったりと、実に楽しげな午後のひと時に見えた。


それがふとした拍子に、食べ終わった袋を誰かがポイっと捨てる。


止めるものなど誰もいない。むしろそれに触発されるかのように、ゴミはポイポイと他でも破棄され、あっという間に綺麗な公園の姿は失われる。


注意する元気もない映理は、げっそりとした表情でその光景を眺めていた。


「本当、何なの。誰かおかしいと思わないわけ……?」

「『空気』ってヤツじゃん?」


横では、映理同様にその光景を眺めていた加奈が、何でもないことのように言い放つ。その表情には、映理が浮かべているような困惑や嫌悪感は微塵も含まれていない。


「この公園はそういうのオーケーな感じっていうか、捨てたってどうせまた掃除されるし」

「……」

「つい最近までゴミ箱があったんだけど、何でかいつの間にか無くなってて、じゃあポイ捨てするしかないじゃん? 的な?」

「もういいわ、いい」


しばらく黙って聞いていた映理だったが、とうとう途中から頭を抱え始めると、手のひらを加奈へと向けストップをかけた。


「頭おかしくなりそう……あんたら、同じ人間?」

「別に、理解してもらおうなんて思ってないし」


場には気まずい沈黙がしばし流れた。


停滞した空気を打ち破るように、努めて友莉恵が明るく加奈へと話しかける。


「か、加奈ちゃん! それで例の遊具って?」

「ん、おお……これよ、これ」


加奈は唇を尖らせたまま、すぐそばの遊具を示した。


それは、小規模な滑り台や上り網、ジャングルジムや、回して遊ぶ知育玩具などが組み合わさった複合型の幼児向け遊具だった。ただ、ずいぶん古い物で改修もされていないのか、錆やパーツの欠けなどが随所に目立つ。そのためなのか、その遊具に寄りつく者もいなかった。


やっと体力が回復した作楽がふらふらと立ち上がり、その遊具に近づく。全体を眺めたり、細部をなでたりしながら、その表情は晴れない。


「公園の管理が下手だなあ」


突拍子もない指摘が飛び出し、皆が首を傾げた。今度は公園全体を眺め始めた作楽が、続けて感想を述べる。


「ポイ捨てなんて、土台防げるものじゃないわけだよ。いちいち清掃に人員を割いたところで、カナブンの言う「捨てていい空気」を何とかしなくちゃ、どこまでいってもイタチごっこだ」

「……じゃあ、あんたはどうしたら良いって言うのよ」


映理が立ち上がり、作楽を見る。その目は厳しくも、どこか救いを求めているように頼りなく揺れていた。


作楽は再び、痛々しくも老朽化した遊具に手を置いた。


「とりあえずは、この子を直してあげてほしいかな。ボロボロの遊具がそのままの公園って、『放置されてる』感が強まるから、そういうのが『捨てていい空気』の原因の一つだと思うんだよね」


作楽の視線に促され、全員がその遊具の全容を眺めた。各所が擦り切れ、折れ、欠け、錆ついている姿はさながら廃墟を彷彿とさせる。


なるほど廃墟のイメージとは、ゴミが共にあるものだ。作楽が考えるポイ捨てする者の心理像に、三人は言葉なく納得せざるを得なかった。


「加奈ちゃんは、それでその……この遊具のどこに空き缶を隠したの?」


この雰囲気の中で最も尋ねずらいことを、友莉恵は意を決して切り出した。そこには、作楽と映理に加奈を引き合わせた者としての責任を全うせんという意思が込められている。


嫌そうな顔をする加奈だったが、友莉恵の強い意志に押されノロノロと遊具へ上り始めた。やがて遊具を支えている太めのポール――その頂点部分が欠けて穴が開いている――に手をかけ、背伸びして、その穴の中を指差した。


「……この中、缶がちょうど縦向きに入るからこう……『スコーンッ』って」


全員の表情が、聞いてはいけない物を聞いてしまったように歪んだ瞬間だった。





映理に肩車された作楽が、穴の中を覗く。


穴の中は真っ暗で、その先を見通すことはできなかった。


どうやらポールの反対側は塞がっているようだ。


「うーん……? ふむふむふむ、なるほどなるほど、なるほどぉー?」

「……っ、見終わったなら早く降りろぉ!!」


悠長に穴の中を覗きながら唸る作楽へ、足がプルプルと震え始めた映理が叫ぶ。


作楽に比べればマシだが、映理とて決して体力のある方ではない。作楽を担ぐ役に最も適任なのは加奈だったが、本人が頑なに嫌がったため映理の手番と相成ったのだ。


いつまでも終わる兆しのない作楽を無視し、映理はその場にしゃがみ込むと投げ出すように作楽を降ろした。


「うわあ!? エリリン、ちょっと危ないって」

「穴の中ぐらいサッと見てサッと終われ!」

「いや、それが少し気になることがあって……」


作楽は映理の怒りをさらりと受け流すと、今度は加奈の方へと目を向けた。


「カナブン、空き缶を穴に入れた時は、どんな感じだったの」

「……どうって、別に」


遊具の下で二人の様子を眺めていた加奈は、やはり不名誉なあだ名に眉をピクリとさせる。ピンと来ていなさそうな加奈を見て、作楽は言葉を付け足した。


「入れた時の感触とか、手ごたえとか」

「ああ? だからこう『スコーンッ』だよ、力を込めてねじ込んだっつーか」

「ふむん?」


首を傾げつつも、作楽の表情は何とも愉快そうだった。口角が上がり、目が細められ、スキップするように遊具から降りる。


そうしてポールの反対側、穴の底に当たる部分を指差して映理へと呼びかけた。


「エリリン、こっち側の底どうなってるか覗いてみてくれない?」

「はあ? 嫌よ」


映理が顰め面を浮かべ即答するのには理由があった。


長さ2メートルに迫ろうかというポールの下側の先は、地面にほぼ面しており、その隙間は30センチほどしかない。必然、その底を覗こうと思ったら、這いつくばり頭を地面につける格好になる。


それはあまり年頃の女子がする格好ではないと言えた。続けて話を振られた加奈も、もちろん首を振った。


「てか、テメエがやれよ」

「えー……体汚れるし」


――お前がやれって言ったんだろうが!――


映理と加奈の声がきれいに重なり、絶妙なハーモニーを生んだ。それだけの圧に阻まれては作楽も二人に仕事を押し付けるのを断念せざるを得ない。


作楽はしぶしぶ残りの一人を見た。そこにはボールを投げられるのを待つ犬のように、今か今かと瞳を輝かせる友莉恵の姿があった。


「……ゆりえってぃー、お願いで」

「はいぃ! この助手めにお任せあれ!!」


ビシッと敬礼のポーズをとると、作楽が言い終わる前に、友莉恵は高速で地面へと這いつくばった。顔や膝に砂をつけ、服も汚れてしまっているというのに、友莉恵は瞳に輝きを宿したままポールの底を覗き見る。


確かに探偵の助手としては申し分ないのかもしれないが、その謎過ぎる行動原理が理解できない作楽にとっては、何となく友莉恵に頼むのが憚られる瞬間だった。


「ん、あれ?」

「どうしたの穂高さん」

「ゆりえ?」


ポールの底を確認した途端、友莉恵は目を見開き眉根を寄せた。そして覗くのをやめて体を起こしてからも、その目は困惑に彩られたままだ。


不審に思った映理と加奈からの問いかけに、友莉恵は不明瞭な表情のまま答えた。


「え、うーん……何て言ったらいいんだろう、空き缶が……空き缶が詰まってて……?」


友莉恵の証言は要領を得ず、全員が首を傾げた。自分の見た光景がうまく伝わっていないのを察して、友莉恵がブンブンと首を振り、頭を下げる。


「ご、ごめんね。私、うまく表現できなくて」

「いいよ、ゆりえってぃー。やっぱり私も見る」


そしてとうとう我慢しきれなくなった作楽も結局、地面へと這いつくばりポールの底を覗き見た。


その瞳が、底の様子を捉える。


しかし、その後の反応は友莉恵と劇的に異なっていた。


「プッ……クックックック……!!」


体勢を戻した作楽は、その場で腹を抱えて笑い始めたのである。


当然周りは困惑した。既に覗いた当人である友莉恵でさえ、不思議なものを見るような顔を作楽に向けていたのだ。


「法月さん?」

「え、エリリン見てみて! 本当に、見て損しないから!」

「はあ? 何なの一体……」


ブツブツと不満を漏らしながらも、湧き上がる好奇心を抑えることができずに、映理もノソノソ地面へと這った。


眼鏡が地面につかないよう気を使いながら、ポールの底をのぞき込む。


そして、を見た途端、映理の琴線は爆発した。


「あははははははは!!! ば、馬鹿! 馬鹿みたい! くだらない!!」

「ね、ね! 面白いでしょ!!」


向かい合って、瞳に涙さえ浮かべ始める二人を、友莉恵と加奈は呆然と眺めていた。


それを気にも留めず、二人の笑いはいつまでも止むことを知らない。


映理が指を一本立てて、作楽の顔を指した。


「こ、これってあれよね」

「そうそう! 私も真っ先に思った!」


二人は示し合うことも無く、ぴったりと息をそろえて叫んだ。


「ロケット鉛筆!!」




二人が笑い合うのを呆然と眺める友莉恵の陰で、加奈はこっそりポールの底を覗き込んだ。


一体そこに何が隠されているのか、流石に気になってしまったからだ。


地面に這い、髪に砂が付くのを気にしながらもポールの底の様子を視界に入れる。


「……はあ?」


だが、やはりというべきか、加奈にはそれを可笑しいと思うことなどできなかった。


そこにあったのは、空き缶の底の部分だった。まるでもともと遊具の一部であったかのように、ポールの底にぴっちりはまり込むように晒されている。


遥か未来を示す賞味期限の日付が、そこには無機質に印字されていた。

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