第23話 聖女姫香についに会えました


 ジードと学園の門の前で別れ、そのまま門を通り抜ける。

 始業時間も近いので校舎までの通りを歩く生徒は多く、時折チラチラと視線を感じる。

 三年の校舎が近づくにつれ、「どなた?」「まさかセレナ嬢?」「別人ではなくて?」といった声も。

 もともと顔の肉はそこまでついていたわけじゃないし、劇的に顔かたちが変わったわけじゃないんだけど、他人から見るとだいぶ変わったように見えるみたい。

 前髪も妖怪みたいに長かったし、肌も荒れてたし。表情もきっと違うんだろう。

 教室の前まで行くと、廊下に見覚えのある人影があった。

 長いサラサラストレートの黒髪、小柄で華奢な体。たれ気味の大きな黒い瞳に、愛らしい小さな唇。

 小説の主人公であり予言の聖女である、橘 姫香。


「あ、姫香……様」


「セレナ!」


 彼女は私に駆け寄って抱きついた。

 あまりの事態に私は動けなくなり、周囲はざわめく。


「良かった……生きてた。そのはずだとは思ったんだけど、あなたのことがもう何も見えなくなって。もしかしたらって思って、心配してた」


 小声で、彼女が言う。

 そしてはっとしたように体を離した。


「あ、ごめんなさい。ある意味初めましてなのに、この距離感はないよね。ずっとあなたのことを見てたから、勝手に親近感がわいてしまって」


「いいえ、うれしいです。お手紙本当にありがとうございました。命の恩人です」


「同級生なんだから、敬語なんてやめて。様もいらない。私、本当にあなたに会いたかったの」


 至近距離で小声で話し合う私たちは、完全に注目を集めている。

 姫香がセレナと呼んだことで、私がセレナだと周囲は完全に気付いた。

 容姿が激変しただけでもそこそこ注目されていたのに、姫香にこそこそ嫌味を言っていた雑魚悪女に姫香が駆け寄って抱きついたとなればそれはもう注目されるのは仕方がない。

 とはいえ、注目されて気持ちよくなるタイプではないので落ち着かない。


「君、セレナ嬢か。随分と雰囲気が変わったね」


 教室から出てきたのは、第二王子殿下。かつての憧れの人。太陽のような金色の髪に、青空のような瞳の美男子。

 セレナと芹奈が混じりあったのが今の私だからときめいたらどうしようかと思ったけれど、私の心は凪いだままだった。

 少し、安心した。


「第二王子殿下にご挨拶申し上げます」


「あはは、学園では堅苦しいのは禁止だよ。それよりヒメカが君と仲がいいとは知らなかった」


「女性にはいろいろあるの。ねー、セレナ」


「はい……ええそうね、ヒメカ」


 ニコニコとうれしそうに笑う姫香。

 やっぱりかわいらしいなあ。きっと日本でもモテたに違いない。懐かしい日本人の容姿に、心が和む。


「廊下じゃなんだし、そろそろ教室に入ろう?」


「ええ」


 教室は特に席が決まっていない。

 大学のように空いている席に座ることになっているけど、セレナは後ろの端の席にいつも一人で座っていた。

 今日も同じ席に座るけど、いつもと違うのは隣に姫香がいること。

 第二王子殿下もその隣に座ろうとしたけど、姫香に追い払われて一人寂しく別の席に座っている。

 二人はいつも一緒なのに、悪いことをしちゃった。


「あの……」


 隣の姫香がこそっと話しかけてくる。


「はい?」


「私、あなたと色々話したくて。でも学園じゃ話せないことが多いから、その、図々しいんだけど、今度あなたの家で話せないかな? 私は王宮に住んでるから、簡単には人を招けなくて。監視も厳しいし、そこじゃ例の彼にも会えないし」


 姫香の言う通り、ジードは王宮に入れない。というか、姫香はジードに会うつもりなんだ。

 そういえば陛下が姫香のために「聖女宮」を作ったって書いてあったなー、小説に。

 陛下や殿下が生活する区画とは離れているとはいえ、王宮に住むのって息苦しそう。


「私もお礼を言いたいし、お話ししたいこと、聞きたいことがたくさんあるわ。では週末に我が家へお招きしますね」


「やった! ありがとう!」


「こちらこそ」


 姫香はもっと落ち着いた人というイメージだったけど、思ったより気さくで無邪気な人だった。

 気兼ねなく色々なことを話せる日が楽しみ。




 そして週末。

 姫香は、護衛の騎士を四人ほど引き連れてわが家へやって来た。

 お父様は屋敷の警備を強化するのに忙しかったようでぐったりしていたし、ギルは憧れの姫香が家に来るというので頬を赤らめてソワソワしていた。夏休み中の姉上へのあれこれはどこいった。切り替え早くない?

 ガラス張りのコンサバトリーで庭を眺めながらお茶をすることになったけど、入り口の外に一人、ガラスの外側に三人の警備がつく。

 部屋の中で警護を、というのは姫香が断固断っていた。

 お茶を飲み始めたころ、全身くまなくチェックされたらしいジードがノックの後に入ってきた。


「お目にかかれて光栄です、聖女様」


 ジードが頭を下げる。

 エドゥアの民は姫香の予言で待遇改善されたから、彼女に感謝しているんだろう。


「あなたがセレナの護衛騎士のジードさんね。初めまして、姫香です」


「エドゥアの民を救っていただき、感謝いたします」


「私が何かをしたわけじゃないんです。エドゥアの待遇改善に尽力されたのは王太子殿下だから」


「それも聖女様の予言があってのことです」


 このジードに殺されないよう必死で頑張った身としては、姫香がジードから無条件で感謝されているのを見ると複雑ではある。

 いやいやダメだそんな心の狭いこと。

 私の命の恩人で、ジードの祖国の恩人なんだから、アホなことを考えるのはやめよう。


「ジードさん」


「ジードとお呼びください。なんでしょう」


「……オフィリア妃は、お元気です」


 オフィリア妃。エドゥアの王女だった、陛下の側室。


「……」


 ジードは答えない。

 続く言葉を、姫香は少し躊躇ったように見えた。


「オフィリア妃は今も故郷への想いと誇りを胸に生きていらっしゃいます」


「……お教えいただき感謝します」


 二人の間の話がよく見えない。

 元気だというのはわかるんだけど、何か含みがあるように感じる。

 でもまあいっか。私の前ではっきり言わないということは、私が知る必要のない話だということ。

 好きな男のことだからって、何でも知る権利があるとは思わない。


「あ、そうそう。ジードさんはもしかして、近々エドゥアの地でアレが起こることを予想してますか?」


「聖女様が仰るアレが私の考えている通りのものなら、その通りだとお答えします」


「さすがエドゥア出身の方ですね。このことは王太子殿下にご報告済みです。対策もなされるでしょう。その対策の時がチャンスですね。王太子殿下は柔軟で偏見もなく、また戦争に最後まで反対された方ですから」


 ……まったくわからない。

 目の前で内緒話をされているようなモヤモヤ感が生まれるけど、姫香の言うことは予知を含んでいるようなので、今はあまり口を出さないでおこう。

 ジードはというと、口元に手を当ててしばらく考え込んでいた。

 彼の手が下ろされる。あらわになった口元には、不敵な笑みが浮かんでいた。


「重ねて感謝いたします」


「どういたしまして」


「長居して申し訳ありません。私はこれで失礼いたします」


「はーい」


 ふと扉の方を見ると、半開きの扉から騎士が警戒した様子でこちらを窺っている。

 誓約の指輪をしていて王族と同じ扱いを受ける姫香に害を及ぼせないとはいえ、元戦争奴隷が聖女と長々と話すのは本来は許されない行為だろう。


「ごめんねセレナ、あなたの彼氏と内緒話みたいになっちゃって」


 ジードが部屋から出てから、姫香が申し訳なさそうに言う。


「ううん、気にしてないよ」


 ジードは彼氏ではないんだけどね。


「今はまだはっきり言えないことがあって。うまく言えないんだけど」


「気にしないで。ところで、ずっと姫香に聞きたかったことがあるのだけど」


「なぁに?」


「今私たちがいる世界が、登場人物含めて前世でネットで読んでた小説によく似ているの。ジードは出てこなかったし、私は雑魚悪女として夏休み中に死んでたんだけど」


「あーあれ、読んでくれたんだ!」


「え?」


「“予言の聖女”だよね? あれの作者私なの」


 えーーーー!?

 姫香が作者!?

 どどどどういうこと!?


「あ、私の本名、実は新谷 日芽香っていうんだ。私って日本にいたときから予知能力があって、十歳のころからこの世界のこともたびたび予知してたんだよね。だからその情報をまとめて小説にしてみたの。もちろん脚色してる部分もあるけど。こっちに来る前に完結して最終巻出すところまでギリギリ間に合ったんだ」


 驚きのあまりなかなか言葉が出てこない。

 でも、納得した。

 小説の中に転生なんてあるのかと思ってたけど、小説の中じゃなく、姫香が予知能力で見ていた実際に存在する世界に転生したというならまだ話はわかる。

 でも待って。最終巻が出たのが召喚される直前だったんだよね?


「時間軸がおかしいというか。あなたがこっちの世界に来た時期と前世の私が死んだ時期ってそうズレてないはずなのに、私は十八年前にこの世界に転生?」


「そのへんはよくわからないけど、転移と転生じゃ色々違うから時間軸がずれたのかも? 可能性としては私の転移に死んだばかりのあなたの魂が巻き込まれて、でも魂だけと肉体ごとだと違うから色々とズレたのかな、とか。これは推論だけど」


「うーんそうだったんだ……」


 としか言えない。

 ここは考えても答えが出ないのかもしれない。


「日本にいる頃はあなたは夏休み中に死ぬという運命しか見えなかったんだけど、こっちの世界にきた途端あなたの運命の分岐点がたくさん見えて。その中であなたは日本人の転生者だということを知って、死なせたくない! と思うようになってあの手紙を書いたの」


「小説の中の私って、どうして死んだの? そこは書かれていなかったよね」


「……弟さんがね、かっとなってあなたを突き飛ばしてしまったの。殺意はなかったんだけど、打ちどころが悪くて。あなたのお父様はあなたの死を事故死として届け出たけど、弟さんは罪悪感でおかしくなっていった」


 それがヤンデレギルバート誕生の原因だったのか。

 あのまま嫌われ続けてたら、と思うとぞっとする。


「それにしても、すごいね姫香」


 姫香じゃなくて日芽香? まあ発音が同じだからいいや。

 さすがに小説の主人公を自分の本名にできないからちょっと変えたんだろうけど。


「なにが?」


「逆算すると、小説書いてたのって、高校生になるかならないかくらいからだよね? そんな頃から小説を書けるなんて」


「あー……」


 姫香が気まずそうな顔をして斜め上を見る。


「ここだけの話なんだけど」


「うん」


「本当は三歳ほどサバ読んでるの」


「……え?」


「私いま、十七歳じゃなくて二十歳なの。今年二十一歳」


 口に含んだクッキーが勢いよく飛び出そうになって、慌てて口元を押さえる。


「は、はたち!?」


「シーッ! 日本の学生時代がつまらなかったから、学園生活を楽しみたかったの。東洋人って若く見えるし問題ないかなって」


 内緒ね、と笑う姫香をよく見ると、たしかに日本基準で見れば高校生よりは少し大人びているかも。

 いやー……なかなかの人物だわ、姫香。


「私、こっちに来た時は生活に慣れなくてほんと苦労したんだ。下水道とかそこらへんはちゃんとしててお風呂も入れて不潔じゃないし、食べ物もわりと美味しかったのは良かったけど。あ、お風呂といえば。石鹸があるのはよかったけど、リンスないよね!」


「ないない。私はレモンを使ったのだけど」


「あ、私も! 最初石鹸だけで洗ったら髪がバサバサになっちゃって。黒髪ストレートだから目立つし泣いたよもう」


「あはは」


「日本にいた頃は〇〇のトリートメントがお気に入りだったんだ」


「あれいいよね。私はアラサーになってからはちょっとお高めの××の……」


 それからは、ただひたすら日本の話をした。

 好きな食べ物、お店、ドラマ、俳優さんにお笑い芸人。

 私の過去の恋愛話も面白おかしく話して、腹筋が痛くなるほど二人で笑った。

 結局日が暮れ始めて、扉の外に立っていた騎士が遠慮がちに「お戻りの時間です」と声をかけてくるまで、これでもかというくらいしゃべっていた。

 日本の話も同性と話しまくるのも本当に久しぶり。姫香もそれは同じだったようで、また今度お話しよう、今度は宮にも来て! といつまでも手を振りながら帰っていった。


 姫香、いい子だったなあ。

 うれしい。

 それにしても、立ちっぱなし警戒しっぱなしの姫香の護衛騎士たちには申し訳ないことをした。

 きっと私が宮を訪ねて行ったらまた話が長すぎてゲンナリするんだろうな、と想像するとちょっと笑ってしまった。

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